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ぽぽすさん
我が家には高校受験の息子がおりますので、ぽぽすさんの心配やら、いらだちやらを自分のことのように毎日感じています。
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>息子の「通信制」への転学が【面接】予定の段階まで進みました。
>夫に「転学後の生活のルールなどを決めよう」と言ったところ、
>「別に決めなくてもいいんじゃないか?」と言います。
前回にも書き込みさせていただきましたが、お母さんが子どもに失敗させないためによかれと判断して「ルールを決めよう!」という提案になっていませんか?私自身が子どもとの日々で、親である自分を改革できなくて悩む大きなネックです。
生きていく主体はお子さん自身で、親が変わって子どもの人生を生きていくことはできません。
で、子どもにまかせようと決心するわけですが、そうすると、今度は子どものわがままを容認しているような居心地の悪さを感じる・・・。
このままでいいわけない
子どもを甘やかしているだめな母親のレッテルをはられるのがいや
というあせりにも似た感情から、あれこれ子どもを縛ってしまうことになるのです。
「子どもの人生のハンドルを、となりからにゅっと腕をのばして、親がその主導権をにぎろうとする」
これに対し、子どものリアクションは
1.無条件降伏、2.敵前逃亡、3.徹底抗戦
という3つのどれかだというのです。
親はあくまでもこの無条件降伏を子どもに求めて頑張るのですが、結果は自分のことを自分で決められない、無気力な人間を育てることなのだということに気づかされました。
親子の会話は親の言うことに子どもが従うことではなく、互いに自分の思いを出し合って、一緒に考えることだと思うのです。
お母さんであるぽぽすさんが心配だと思っていること、息子さんにこうしてもらいたいと思っていることを、箇条書きにしてみます。
お母さん自身が息子さんに期待していることも書いてみます。
そうすることで、お母さん自身の気持ちが整理出来ると思います。
わたしは、箇条書きにしたものを見つめて、本当に伝えたいことはなにか?を考えていると
「我が子の人生のハンドルを握っている、独裁者である親」である私の姿が浮き彫りになってぞっとした経験がありました。
ぽぽすさんの文章を読んでいると、
自分で言ったことを実行できない息子さんへの不満(こだわり?)が強いように感じました。
確かに自分で言ったことの責任をとるのは大事ですが、我が家の場合の以前までのやりとりを考えてみると、けっこう親が「どうするつもりなの?」とせまったことに対して、それに回答する形でこどもが口にする。そして「あの時こういったでしょ!」と責め立てるというおきまりの険悪なムードが家庭に流れるんですが、ぽぽすさんのお宅ではいかがでしょう?
失敗しながら自分の人生を自分で決めて、自分の力で生きていく!
そんな生き方ができればいいですね。
お互いに関係しあって生きていくのが人間だから、「私はこう思っているよ」
を伝える。
君自身はどんな人生を生きていきたいの?
そのために人に頼らないで自分で努力していくことはどんなこと?
どうしてもできないところや、困ったことは手伝うよ!
失敗したらやりなおせばいいじゃない!
こんな会話を中心に、互いが気持ちよくすごせるルールを互いに出し合って決めていくといいようです。
朝、自分自身で起きることが大事だと思うんだよねー。
というのと、
もう絶対朝起こさないから、自分で起きなさいよ。
というのでは伝わることが違いますよね。
我が家では、朝、本人から頼まれた時間に起こしているのに起きることができなくて、遅刻しそうになった時、それは自分の責任なので遅刻しても自力で登校する(親が送らない)というルールをこれから話しあって決めていきたいと思っているところですが、こうしたルールを親が一方的に押しつけるのではなく、子ども自身から考えつくことができるように話しあうのが目標です。
ぽぽすさんの息子さんの場合も、売り言葉に買い言葉的な感情をぶつけあうやりとりが多いようですから、難しいところです。
親も「怒りたくなくなる自分」を「怒らない自分」に変えることは無理なので、「怒りたくなる感情」を上手に外にだしてあげる方法を探ってみると、親である自分が楽になるかなと思いました!
ぼちぼちです。
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