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[#21434] 行儀作法について ひなた 07/8/9(木) 14:26 [未読]

[#21438] Re:行儀作法について ひなた 07/8/9(木) 18:57 [未読]
[#21440] Re:行儀作法について 六華 07/8/9(木) 19:40 [未読]
[#21442] Re:行儀作法について じゅんこ 07/8/9(木) 19:57 [未読]

[#21438] Re:行儀作法について
 ひなた  - 07/8/9(木) 18:57 -

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   ▼六華さん:

ご意見ありがとうございます。

「躾」というのは、人として最低限出来ていなければならないと考えられること一般なのだと捉えています。
よって、それすら完璧に出来ていないというのは人間たる資格が無いということと同義になると思います。

ですから、人格否定にも感じてしまいます。

親の躾がなっていない、といわれる場合、自分の行いの所為で親までも責められていると思い、悲しくなります。

こう書いても伝わりづらいかもしれませんけれども…。


>ひなたさん、はじめまして
>六華(りっか)と申します。
>
>>他人から「躾がなっていない」、「非常識」などと言われるととても傷ついてしまいます。
>
>一般論としてお話ししますね。
>躾というのは、立ち居振る舞いや身だしなみなどのことですよね?
>礼儀作法、マナー、広義の意味では他者への配慮ともいえます。
>
>>しかし、人によって価値観や要求水準が違うため、完璧に躾がなっている態度を取るのは難しいと思うのですが…。
>
>「躾とは何か」を考えてしまうから、「完璧に」「人によって価値観や要求水準が違う」と悩んでしまうのではないでしょうか。
>でも、躾がなぜ大事かといえば、自分の立ち居振る舞いで周囲の人に不快感を与えることなく、気持ちよく過ごせるようにするためです。
>つまりは、方法が大切なのではなくて、目的が大切なんです。
>食べ方が汚かったり、歩く時に大きな音を立てたり、身だしなみが不潔だったりetc、そういうことで不快感を与えるのは、集団のなかでは一種の迷惑行為みたいなもの。
>注意されたら、「すみません。気をつけます」と謝罪することが大切だと思います。
>
>また、「人によって価値観や要求水準が違う」とのことですが、何も言われないからといって、相手が気にしていないわけではなく、ただ黙っていた、我慢していたということも少なくないです。
>なぜなら、人は成長すればするほど、本人の自主性に任せて些細なことは注意しなくなるからです。
>特に躾というのは、注意しにくい事柄です。
>
>だから、注意してくれる人がいたら、他の人も同じように気にしていたのかもしれないと省みる機会にされた方がいいと思います。
>
>>今日もあるサイトを読んでいて「躾がなっていない」と言われると人格否定に感じる、という意見があったのですが(わたしも同意見)、その程度で人格否定に感じるのはおかしいと一蹴されていました。
>
>人格否定に感じてしまうのは、どういうお気持ちからでしょうか。
>もしかしたら、言葉をダイレクトに受け取るAS者の特性が影響しているのかもしれないですね。
>
>私自身は躾に限らず、他人に何か注意されても、人格が否定されたとは感じない人間なので…すみません。
>
>>どうしたら良いのでしょうか?
>>本当に困っています。
>
>できるだけ、同じことを注意されないように改めること。
>その繰り返しです。
>
>ただ、あまり注意ばかりされても、落ち込みますよね。
>特に躾というのは、常識的な範疇のことを指していて、集団のなかで自然と学んでいくことが苦手なAS者にとっては、指摘されると辛い部分です。
>
>「自分は至らない人間なんだ」とマイナスに考えるよりも、「躾を身につけることで、お互いに気持ちよく過ごせるんだ」とプラスに考えた方がいいと思いますよ。

[#21440] Re:行儀作法について
 六華  - 07/8/9(木) 19:40 -

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   ひなたさん、早速のレスをありがとうございました。

>「躾」というのは、人として最低限出来ていなければならないと考えられること一般なのだと捉えています。

最低限できていた方がよいことではあります。

>よって、それすら完璧に出来ていないというのは人間たる資格が無いということと同義になると思います。
>ですから、人格否定にも感じてしまいます。

「人間たる資格がない」という発想が飛躍のし過ぎだと思いますね。

「注意すること=ひなたさんの存在を否定したい。嫌いだから言う」ではないです。
相手は、今後改めてほしいと思っているだけではないでしょうか。
ひなたさんが他の場で注意されたり、恥ずかしい思いをしないように言ってくれる場合もあると思います。

>親の躾がなっていない、といわれる場合、自分の行いの所為で親までも責められていると思い、悲しくなります。

先天的な機能障害のせいなのに、「親の躾がなっていない」と責められるのは、辛いことですね。

でも、私は発達障害の宿命だと思っています。
だって、子どものうちならともかく、成人してしまえば、理由がどうであろうと障害は免罪符になりませんから。
他人に何か言われても、落ち込みません。
それよりも、少しでも改めて、生きやすくなる方がいいです。

だから、よく注意されることや、自分で直したいと思うことがあれば、身近な人に「私はこういう傾向があるから、見かけたら指摘してほしい」と頼んでいます。
「障害を理解してもらう」とは、「自分や親のせいではないから、見逃してもらう」ことではなく、「自分がやりやすいように、サポートしてもらう」ことだと思っています。
(発達障害のこと自体は話していません)

他者とスタート地点や努力する内容が違う。
ただ、それだけのことです。

ひとつでもできることが増えたら、うれしい。
だから、人生終えるまで、小さな目標を持ち続けるつもりです。
一気に完璧は目指しません。

ひなたさんは、「人格否定」の部分にこだわっていらっしゃるようですが、私のレスの他の部分については、どう感じられたのでしょうか。
一番伝えたかったのは、次の部分なのですが。

>躾がなぜ大事かといえば、自分の立ち居振る舞いで周囲の人に不快感を与えることなく、気持ちよく過ごせるようにするためです。
>注意されたら、「すみません。気をつけます」と謝罪することが大切だと思います。

>「自分は至らない人間なんだ」とマイナスに考えるよりも、「躾を身につけることで、お互いに気持ちよく過ごせるんだ」とプラスに考えた方がいいと思いますよ。

躾があたり前のように身についている人は、その努力が目に見えにくいですよね。
でも、相手に行儀作法が身についているからこそ、自分も気持ちよく過ごせているということは、日常のなかで多々あるのだと思います。

マナーや礼儀作法とは、つまりは周囲を思いやっての行為。
その思いやりを還していくつもりで自分も身につけていこうと考えた方が、人生も楽しくなります。

[#21442] Re:行儀作法について
 じゅんこ  - 07/8/9(木) 19:57 -

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   ひなたさん、六華さん
こんばんは

>「躾」というのは、人として最低限出来ていなければならないと考えられること一般なのだと捉えています。
>よって、それすら完璧に出来ていないというのは人間たる資格が無いということと同義になると思います。
>
>ですから、人格否定にも感じてしまいます。
>
>親の躾がなっていない、といわれる場合、自分の行いの所為で親までも責められていると思い、悲しくなります。
>
>こう書いても伝わりづらいかもしれませんけれども…。

 どんなことでも、批判されたり、非難されるという出来事は、自分の存在そのものを否定されたような気持ちになってしまうという点では、がっかりする気持ちはよくわかります。

 私が尊敬いえ、大好きな漫画家で、「槇村さとる」という人がいます。
彼女は私より3歳年上で、ご自分の生きてこられた壮絶な人生をエッセイでカミングアウトされました。
 両親の離婚、父親から暴力を日常的に受け、12歳の時には性的な虐待を受けたこと

 彼女は漫画を書くということを通して、そして成功を得たことを通して、親から独立しましたが、心がいつも地に足が着いていないような不安の中にいたといいます。性的な虐待があった記憶を自分の中で消し去ってしまう人間の心の不思議を経験し、鮮明におもいだすことになったのが35歳の時だったそうです。
カウンセリングなどを受けながら、被性的虐待者として全てをそのせいにして、生きていきたくない!と自分の生き方を苦しみながら探しつづけ、漫画の作品の中でもがきくるしむ主人公たちと一緒に自分の苦しみを昇華させておられる方です。


 その彼女が、「自分で自分をしつけなおす」
ということを語っておられました。

人として最低限出来ていなければならないと考えられること
を自分で身につけていけばいいことなのだと思いますがいかがでしょう?


 自分の身を内面的に美しくするというしつけ「躾」は、犬や猿をしつける「しつけ」とは違うものです。親という立場から考えると、私自身は子どもが育っていくうえで「しつけはいらない」と思っています。平井信義さんという先生が「おかあさんは心の基地」の本で「躾不要論」を唱えておられて、とても共感を覚えました。

 病院で、我が子が4歳の時「昨日からおなかが痛くて、きょうはうんちがびちょびちょでした」と自分の症状をお医者さんに話したところ、医者から「しつけが行き届いていますね」とびっくりされてとても違和感を覚えました。
待合室で、「お医者さんにわかってもらうためにどんな風におなかがいたくなったか考えてみよう。」と一緒に考えただけであり、子どもは自分のことを説明しただけでとてもあたりまえのことだからです。
 
「しつけができていない」などと、批判する人もとても表現があいまいだし、失礼な言い方だなぁ〜と思います。でも、ひなたさんにとってこれからも関係をつづけていく必要がある人ならば、少し考えていかなければならないかもしれませんね。
 
六華さんがとても具体的に書いてくださっています。

>>できるだけ、同じことを注意されないように改めること。
>>その繰り返しです。
>>
>>ただ、あまり注意ばかりされても、落ち込みますよね。
>>特に躾というのは、常識的な範疇のことを指していて、集団のなかで自然と学んでいくことが苦手なAS者にとっては、指摘されると辛い部分です。
>>
>>「自分は至らない人間なんだ」とマイナスに考えるよりも、「躾を身につけることで、お互いに気持ちよく過ごせるんだ」とプラスに考えた方がいいと思いますよ。

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