アスペルガーの館の掲示板

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[#21611] It is not a disease, it is a way of life Ryu 07/8/22(水) 1:00 [未読]

[#21824] Re:POLINECIAさんへ(訂正) POLINECIA 07/9/2(日) 18:01 [未読]
[#21855] Re:POLINECIAさんへ Ryu 07/9/3(月) 21:38 [未読]

[#21824] Re:POLINECIAさんへ(訂正)
 POLINECIA  - 07/9/2(日) 18:01 -

引用なし
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   丁寧なご回答ありがとうございました。
アメリカの当事者団体の主張だけでなく、
Ryuさん自身の生のご意見も伺えて非常に有意義でした。

テーマを対話形式とRyuさん自身の特性に対する持論に分けて
レスしてまいりたいと思います。

1.対話形式

▼Ryuさん:

>ただこの掲示板を見ていると、例えば「自分でも何を言っているか分かっていな
>い自閉症者の言うことは聞くに足りない」「当事者よりも専門知識を持った専門
>家の方が当事者のことをよく分かっている」とでも言わんばかりの発言(ちょっ
>と極端に書いています)も過去にあったような記憶があるので、少しは権威の衣
>も身につけなければ話も聞いてもらいにくいのかな、と思っています。

時々、この掲示板でトラブルになったスレッドが
どんな論理空間に支配されているのかを自分なりに分析しておりますが、
そのような側面もあると認識してございます。

・当事者の発言を生身の声として受け止めず、
「認知に歪みないし偏りがあるからだ」と歯牙にもかけない言説。

・支援の有資格者の見解を絶対視するような言説

は少なからずございますね。(イチイチ証拠は挙げていきませんが)

ニキ・リンコさんの単著
(『自閉っ子、深読みしなけりゃうまくいく』)では
アメリカではこの状況がさらに深刻と伺っております。
Ryuさんが紹介しておられるANIの言説活動というのも
専門家主義パターナリズム,生の管理の打破
(支援者や保護者が当事者の生き方,価値観までも決定することへの抵抗)
当事者が支援諸科学に縛られず自らの世界観を自由に語る空間の確保
といった出発点があると認識してございます。

しかし、だからこそ、
支援者,保護者などの非専門家批判
(専門家ではない者が好き勝手に語っている)
に付き合って、「自分にはこういう経歴や肩書きがある」
と強調する必要はないとも思うのですよ。
むしろ相手の世界の価値観(専門家主義)に巻き込まれてしまい、
本来の当事者の語りの意義が失われてしまうのではないか、と。

>だからそういう意味では、臨床経験や他の当事者との関わりも自分を客観視する
>いい材料にはなると思います。

これについては異存ございません。
相手の言っていることを批判的に論じる場合でも、
相手の議論を徹底して知り尽くすことは大切だと思うので。

>言葉に表される部分というのは意識のほんの一部であり、必ずしも言葉にした内
>容が意識全体を言い表しているとは言えない。だからどのような集団の主張も、
>その集団の意識で把握しているものの一面しか表していない。

どちらかと言えば、類は友を呼ぶという話だと思ってください。
臨床家さんであれば自分の得意領域があって、
その結果としてたまたまその臨床家の周りに集まる当事者さんは
非常によく似た共通点を持っているという場合もございます。
当事者グループであっても、
ウェブ・サイトでグループの方針を示しておけば、
その方針に共鳴するような当事者さんが多く集まります。
従って臨床家の説明であれ、当事者の語りであれ、
いくら数多くの当事者と関わっているとは言っても
全体像を理解するには至らないという話でございます。
あたしの身の周りにいる当事者さんの中にも、
「別に支援諸科学で発達障害についてどんな事実が明らかにされ
提言されていたとしても、
俺がそれに従わなければならない理由はない。」
(ヴィトゲンシュタイン風に言うと
「科学的事実はいかなる行動原理にはなりえない」)
という手合いが多うございます。
しかし、だからと言ってAS当事者がそういう奴ばかりとも
限らない訳です。

2.Ryuさんの持論について


>僕はまず前提として、別に自閉症者が「出来る人間」とか「役に立つ人間」とい
>うことを社会に対して主張しないで済むならしないに越したことはないと思いま
>す。

Ryuさん自身がそういう観点を持っていることを知り、
非常にうれしく思います。

「アスペルガー当事者は有能だ」
という言説の出所はハンス・アスペルガーにあると言われます。
ナチス政権下のドイツで臨床家として活動していた
H・アスペルガーはナチスによる障害者安楽死計画
(10万人の障害者が犠牲になりました)が進行する中で、
自らが担当していた子どもたちが迫害されるのを恐れ、
彼らが有能で国家の役に立つことを強調したと言われています。
しかし、ナチスから「有能ではない」
とみなされた障害者10万人はやはり殺されてしまいました。
また、あたしが掴んでいる情報では、
日本の省庁でもAS当事者の就労を支援の取り組みは
それなりに始まっているのですが、
その理由は「『軽度』であり、『重度』よりも就労が実現しやすそうだから」
というもの。
悪く言えば、就労の実現が難しいと見なされた当事者たちは
苦難の道を歩むことになりそうです。

当事者の所得保障の実現、迫害のリスクを防ぐという意味で
「能力の高さ」を強調するという戦略は
極限下では必要なのかもしれません。
しかし、当事者自身が自らそれを信仰してしまう事態は
あまり好ましいものではないかもしれないと考えてございます。
(どうやら、Ryuさんは信仰しておられないようですね。)
能力・役に立つ・適応できているといった価値観
に当事者が囚われすぎないようになることも、
一つの課題とは言えるでしょう。

認知特性に関するお話は非常に面白く
拝聴させていただきました。
学問によって学問に対抗するという戦略。
今回の件に見られるように水掛論に巻き込まれるリスクは高う
ございます。
(あなたには臨床経験があるのか、
学会で認められているのか、
専門家であり、有資格者なのかと言った専門家主義的議論に)
しかし、是非とも深めていってくださいな。

当事者の語りの世界に正答も誤答もございません。
それが学問的な方法でなかったとしても、
どこまで常識を疑い、問題を抉り出し、
とことん突き詰めて考えることができたかといったことに
価値がございます。
守ることは人に語る時の対話のルールぐらい。。。

ご健闘を祈ります。

[#21855] Re:POLINECIAさんへ
 Ryu メールホームページ  - 07/9/3(月) 21:38 -

引用なし
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   ▼POLINECIAさん:

スレッドが移ったようですが、POLINECIAさんのメールアドレスも存じませんし、僕の投稿の締めとしてここに返信します。

>1.対話形式
>
>しかし、だからこそ、
>支援者,保護者などの非専門家批判
>(専門家ではない者が好き勝手に語っている)
>に付き合って、「自分にはこういう経歴や肩書きがある」
>と強調する必要はないとも思うのですよ。
>むしろ相手の世界の価値観(専門家主義)に巻き込まれてしまい、
>本来の当事者の語りの意義が失われてしまうのではないか、と。

ご意見ありがとうございます。
僕が自分の経歴を語ることで他の当事者の方が発言しにくくなってしまうことがあるかもしれないですけど、僕自信はは専門家主義に巻き込まれることはないと思います。何故なら僕には専門家と同列に考えられない要素も多く、例え専門家の肩書きを持ったところで当事者としてのスタンスは失われないからです。

例えば僕は本があまり読めないので、言っていることのほとんどは僕が自分で考えついたオリジナルの内容です。他の多くの専門家と違って中学もまともに行っていないし高校へも行っていません。確かに現在ならLDの生徒向けの大学プログラムも海外にありますから、そういうところで勉強して普通に専門家を目指す道もあるかもしれません。でも僕はあえてそういうことをしようと思わないのです。

それは何故かといったら、自分自身で自閉症本来の特性を体現するためです。アナログ思考の自閉症は、本来なら文字や言葉から学問を修得するのではなく、自分の体験から自然現象や社会現象のしくみを習得する方が得意なのです。小さな子供が落下という現象自体を重力加速度やニュートンのリンゴの話を聞く以前に理解するように、自閉症の人は実際の現象から学ぶ方が得意なのです。普通の人は学校へ行って専門的なことを勉強しなければ学問は分かるようにはならないと思っているようですが、自閉症者にとってはむしろ何でも言葉で教えようとするから分からなくなるのです。それをみんなに分かってもらうために、僕はあえて専門家の資格や肩書きを得るために言葉を使って物事を理解しようと思わないのです。

そしてそれは、資格や肩書きを見るとすぐに信じてしまい、その言説の中身を自分で疑ってみようとしない人達に対する啓発でもあります。裸の王様の透明な権威の衣を信じ、自分の目で目の前のことを見ようとしない、または自分の心の中の声を聞こうとしない人達に対する一声です。これはもしかしたらPOLINECIAさんの仰る専門家主義や権威主義に対する批判にもなるかもしれません。その際声を上げるのは、同じような権威の衣を着ている人達ではなく無垢な少年の方が効果があるからです。(僕は少年といえるような歳ではありませんが。)


>2.Ryuさんの持論について

>しかし、当事者自身が自らそれを信仰してしまう事態は
>あまり好ましいものではないかもしれないと考えてございます。
>(どうやら、Ryuさんは信仰しておられないようですね。)
>能力・役に立つ・適応できているといった価値観
>に当事者が囚われすぎないようになることも、
>一つの課題とは言えるでしょう。

社会的な価値観に当事者が囚われすぎないように、というのはごもっともだと思います。僕は自閉症者全てが社会的に認められるような能力があるとは思っていませんが、人間としての能力ならば皆が同じように持っていると思います。自閉症者でも普通の人でも、社会的に認められる能力を発揮できるのは、分布曲線状でデジタルとアナログの特性がほどよくバランスの取れた一握りの人達だと思います。しかしそれは時代によって診断基準が移り変わるように、社会で求められる能力もいつも同じとは限らないので、何をもって社会的能力というのかを考える必要もありますね。

>ご健闘を祈ります。

お付き合いいただき、ありがとうございました。


それからもう一つ最後に見ている方に言っておきますが、この投稿の最初のテーマである'It is not a disease, it is a way of life'という主張は、別に当事者文化の中だけで言われていることでもなく、明言している専門家の方も沢山います。

例えばこのオーストラリアの精神科医も有名な方ですが、トップページの右側でアスペルガー症候群は障害ではなく違いだとはっきり言っています。

http://www.tonyattwood.com.au/index.html

要は、特性を障害と受け取ってしまうか違いと受け取るかはその人と関わるそれぞれの人の捉え方によるのです。

Ryu

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