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私 わるなすび は 「障害者」と言う言葉を使うのが嫌いです。
初めて(知らない分野について)知ったことが、私の「絶対的な見解」になってることなんですが。(ASの息子を見てよくわかった)
私にとって「障害」とのはじめての接点は ホームヘルパー2級 の講座を受けたときでした。
カリキュラムが時間いっぱいにもかかわらず、講師(大学の教授や看護師さんなど)「障害の理念」についてたっぷり時間をとって受講者同士で議論させてくれました。
そこでの議論はこの下の ポリネシアさんの書き込み に似たことでした。
さすがに「ヘルパーになる!」という「善の性根」が備わった方たちばかりだったので、「質の高い」意見を勉強させてもらえました。
「障害」・・それは、本人の意思とは全く関係ないものであること。
99.999999・・%の人が障害を 「持ちたくて持った訳ではない」と
責任の所在は決して「障害者」には無いことを私は知りました。今でもそうとしか思っていません。
しかし、私にその意味が本当に理解できたのはASを知ってからですが・・。
「障害者」では その反対は? というと 「健常者」 になってしまうんです。
いくら「前向き」で「努力をしていて」「健全」であっても、この定義では「障害を持った人」は「健常者」になれないんです。
「健常者」ってパーフェクトな人間ではないはずです。
どこかしら、何かしらの不都合を必ず抱えているでしょう。
でもそれが、「社会の認知の枠」に当てはめられると「障害者」になってしまう。
なんか切ないんです。・・最初っから区別されてるみたいで・・。
だから、私は「障害を持った人」と言う言い方をします。
身体的不自由?メンタル的な不自由?知能的な不自由?
みんな「持っている人に責任は無いのです」
事故で障害を持たれた方も「原因」はあるでしょう。しかし、「責任」はないはずです。
だからこそ「(たまたま)持ち合わせて生きている・・けれど必死に生きている」
と思い 「障害を持った人」と 私は表現します。
書くときちょっと長いんですがね。でもこれで誰かが傷つかなくて済むのなら。
>ひっかかってたのはコレです。
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