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皆さんレスありがとうございます。
今日は、おかげさまで、またいつもの囚われに嵌っていた!と気づくことができて、とりあえず考えてないで引きこもり生活を脱しようと思って、
いわれているとおりの薬を飲んで、
そしたら調子も良くなって、
自転車を空気入れに行って、少し乗ってきました。
1年ぶりだったので怖かったです。
思ったんですが、歩道って、けっこう殺伐としてますね。
段差もあるしバイクで車道を走るより、怖かったです。
不慣れなのもありますが、人や他の自転車の動きって、車道の車より予測不可能です。誰も自転車レーン守らないし。
車道はせいぜい交差点や駐車車両で判断迷うくらいです。
目がすごく乾いたので瞬きしてなかったかもしれません。
明子さんのレスから、
>過半数の人ができることであっても、できないことは頑張ってもできない、それはどうしようもないことなので、できないときにはどうしたらいいか、を考えることも大事なことだと思います。
思ったのですが、できることと、できないことが、自分でわかるテスト(←テスト好きです)あればいいですね。
仕事してみたり、学校行ったりして、失敗してみないと、だめなところが分からないので、しかも、辞めてしまうとすぐ何が我慢できなかったのかわからなくなってしまうので、つかみにくいです。
だから私は本当に努力をしたんだろうか、それすらも怪しいです。
だから、頑張ったんだよ!でもできないんだよ、とは言えないです。
どのくらいやれば限界なのかって分かりにくいですね。
私はたいていストレスがたまると、
死ぬか、やめるかみたいな極端な二択思考が生まれるのですが、たいてい逃げてしまうので、結局本当に死ぬほど大変だったのかは死なないので証明できないです。どれくらいストレスがたまっているかって、目に見える形じゃないと、人は信用してくれないと思うので(つまり精神的なものは証明できないのでしんどいとは言わない)でも死にかけたりすることは言語道断なので、結局二択で、いきなりだめになってしまいます(無断欠勤、音信不通等)。
でも巧妙な自分すらも欺く言い訳かもしれないです。
だってストレス源が消えたら途端にうつ状態から復活したりします。
それで、ほんとはもっと頑張れたのではないか?を繰り返しています。
自分が信用できないです。
どうやって自分にできないことと向いてることを探せばいいかなぁ?
例えば私は犬がものすごくものすごく好きで、犬種や毛色や骨格、性質など、知識はありますが実際には生かせていません。犬を触るとアレルギー症状が出るからです。それがなかったらブリーダー等専門職になって生活していただろうと思います。大人になってからは触れないのに知識を集め続けるのに虚しさを覚えます。
でもこれは不運なだけで、障害ではない。
ただ困るのは犬にしか興味が持てないところですね。
ぼやきになってしまいました。
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