アスペルガーの館の掲示板

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[#22394] Cyperusさんへのメッセージ POLINECIA 07/10/16(火) 22:16 [未読]

[#22431] Re:掲示板でのコミュニケーションの取り方... めえめえ 07/10/19(金) 10:48 [未読]
[#22453] Re:掲示板でのコミュニケーションの取り方... POLINECIA 07/10/20(土) 0:40 [未読]
[#22466] Re:掲示板でのコミュニケーションの取り方... めえめえ 07/10/20(土) 22:55 [未読]
[#22475] Re:掲示板でのコミュニケーションの取り方... POLINECIA 07/10/21(日) 10:23 [未読]
[#22476] ちょっとだけ補足 POLINECIA 07/10/21(日) 12:03 [未読]

[#22431] Re:掲示板でのコミュニケーションの取り方について
 めえめえ  - 07/10/19(金) 10:48 -

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   ▼POLINECIAさん:
ひとつお伺いしたいのですが、「認識の暴力」という言葉は
厳密に言うとどのように定義されるのでしょうか。
これはPOLINECIAさん個人の造語なのですか。

[#22453] Re:掲示板でのコミュニケーションの取り方について
 POLINECIA  - 07/10/20(土) 0:40 -

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   ご質問ありがとうございます。

▼めえめえさん:
>ひとつお伺いしたいのですが、「認識の暴力」という言葉は
>厳密に言うとどのように定義されるのでしょうか。
>これはPOLINECIAさん個人の造語なのですか。

「認識の暴力論」というのは社会学の一派
カルチュラル・スタディーズで使われることがある言葉でございます。
代表的な論者としては故E・W・サイード(パレスチナ問題評論),
G・C・スピヴァク(開発途上国の女性問題)などがおります。

出発点は欧米の研究者・マスメディア・文学者が開発途上国に
向ける目にあったと言われています。
欧米の論者たちが描く開発途上国像は
野蛮視するもの,危険視するもの,同情的なもの,悲観的なもの
共感的なもの,肯定的なもの,理想郷のように描いているもの
など多数ございます。

しかし、これらに共通する特徴として、
欧米の目から開発途上国を一方的に観察し分析するという立場に
立っているということが挙げられます。
つまり、

1.開発途上国に対する表現が肯定的か否定的かに関係なく、
相手を分析・統御可能な存在として規定していること

2.それを分析する側の知の体系が何ら問題にされていないこと

に問題があるとサイード,スピヴァクらは考えた訳です。
この議論がマイノリティー問題全般に広く応用されたのが、
認識の暴力論ということになるでしょう。

その一部は障害者の研究などにも応用されてございます。
ほとんどの研究は「障害者そのもの」についてではなく、
研究,メディア.文学が「障害者をどのように語っているか」
に向けられております。

あたしから見て非常に興味深いテーマが多いのですが、
弱点としては

1.この理論に則った分析自体が別種の認識の暴力に
つながる可能性がある。

2.逆分析されることに対して抵抗感を持つ
関係者が多い。
(もっとも認識の暴力論の立場からすれば、
「では、なぜ自分がテーマにしているマイノリティーを分析
することは平気なのか。
自分たちならば一方的に分析する立場に立ってよい
と考えるのか?」ということになる。)

ということが挙げられるでしょう。

以上が概略でございます。
もっと詳しいことを知りたければ、
日本語になっているカルチュラル・スタディーズの
入門書を手にお取りくださいませ。

なお、あたし自身の時間の制約もあり、
事態が収束するまではあまり詳しい説明はできませんでした。
この点につきましてはお詫び申し上げます。

[#22466] Re:掲示板でのコミュニケーションの取り方について
 めえめえ  - 07/10/20(土) 22:55 -

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   ▼POLINECIAさん:
丁寧なご返事をありがとうございます。勉強になります。

>1.開発途上国に対する表現が肯定的か否定的かに関係なく、
>相手を分析・統御可能な存在として規定していること
>
>2.それを分析する側の知の体系が何ら問題にされていないこと

そうしますと、掲示板での対話にこの言葉を適用された真意は

「相手の意見を自分の考えに添って勝手に分析しない」
「自分の考えを絶対だとは思わない」

ことを注意喚起なさりたかったのですね。

また、POLINECIAさんご自身も

>1.この理論に則った分析自体が別種の認識の暴力に
>つながる可能性がある。

即ち、「認識の暴力」という言葉を持ち込んで掲示板上の対話を
分析すること自体が、乱暴かもしれない、と
ご自分の考えを相対化なさってらっしゃることと受け止めます。

話の流れから、たとえば掲示板における、定型発達者と非定型発達者
との考え方や行動についての比較を
> 発達障害の分野で言えば、認識の暴力の最たるものと言えるでしょう。
とおしゃってますが、私はこの点については異論があります。

まず、多くの場合、定型を上・非定型を下と見るのではなく、
並列して書かれていると私は受け止めます。
「みんな違って、みんないい」の”違い”を説明しているだけ、と。

そして、若い頃私の突拍子もない言動によって、多くの人を困惑させたり
怒らせたり傷つけたりしてきましたが、その際に
「それを言われるとボク、立場なくなっちゃうな」、
「それはあなたの受け止め方の問題じゃないの?」等から、
「わざと(悪意で)シカトしてるのか?」といった手厳しいものまで、
”他者がどう受け止めるのか”を知ることは、
自分の考えが絶対ではない、ということに気付く助けとなりました。
(自分だけでは自分の考え方のクセに気付くことができなかったのです)

このように、自分の言動について他者からのコメントをもらえることは、
かえって「認識の暴力」という構造を作らない作用があるかと思います。

従いまして、POLINECIAさんが「認識の暴力」という概念を適用なさるのも、
また”一利用者の個人的な感想”としてのことと受け止めておきます。
お教えありがとうございました。

[#22475] Re:掲示板でのコミュニケーションの取り方について
 POLINECIA  - 07/10/21(日) 10:23 -

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   ご指摘おありがとうございます。
(以下、あたしが何も言及していない部分は
合意事項と思ってください)

▼めえめえさん:
>>1.この理論に則った分析自体が別種の認識の暴力に
>>つながる可能性がある。
>
>即ち、「認識の暴力」という言葉を持ち込んで掲示板上の対話を
>分析すること自体が、乱暴かもしれない、と
>ご自分の考えを相対化なさってらっしゃることと受け止めます。

これについては全くその通りです。
だからあたしもこの理論を使った書き込みはほとんどの場合、
自ら禁じ手としてございます。
創始者である故サイード自身も
この理論自体の暴力性に気がついており、
『知識人とは何か』という本の中で
自らあるいはこの理論を利用する者の立ち位置について
言及しておられました。

あたし自身も相手が賛成しようがしまいが、
とにかく問題点が伝わり相手から真剣な回答が返ってきた時点で
話は終わりとの立場でございます。

>まず、多くの場合、定型を上・非定型を下と見るのではなく、
>並列して書かれていると私は受け止めます。
>「みんな違って、みんないい」の”違い”を説明しているだけ、と。

ニキリンコさんがこの言葉を使用しはじめた際のご理念は
そうだったでしょうね。
もっとも言葉というのは普及していく過程で
様々な人の思いが交錯して全く別の意味も持ってしまうもの。
ネット上の論者によっては
当事者の言動を「正しくする」ために使われてしまう場合
もあるとだけお考えください。

なお、今回ははしょっておりましたが
めいめいさんが今回説明しておられる
「差異を説明するだけの概念」もまた、
本来の「認識の暴力論」ではテーマとされることもございます。
あたしがめいめいさんへの説明の中で
「相手の肯定的な面を強調する表現」
「相手を相対的に捉えようとした表現」
にも初期の論者たちが光を当てていたという点は
いちおう知っておいてくださいませ。
この掲示板でそこまで問題化する必要はないかと思って
普段あまり話題にしておりませんが。

>また”一利用者の個人的な感想”としてのことと受け止めておきます。

というより、ほとんどの理論はそのように受け止めてしまって
よろしいのではないでしょうか?
サイードを含めてほとんどの論者は
理論は別の視角や選択肢を提示するだけが限界という態度
を取っておりました。

また、全く自分の思いのない理論など存在しない、
あくまで自分を出発点にして考えよ
というのもカルチュラル・スタディーにおいては
常識的な見解でございます。
あたし自身、障害科学で提示された理論も含めて
そのように受け止めてございました。
(例えば、困っている人がいれば支援や配慮をした方がよい
という前提なく障害科学が成り立つとは思えない)

という訳で他人の理論を拝借した責任として、
その理論についての誤解がないように詳細説明をいたしましたが、
特に白黒を争う気はございません。

乱文失礼いたしました。

[#22476] ちょっとだけ補足
 POLINECIA  - 07/10/21(日) 12:03 -

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   >サイードを含めてほとんどの論者は
>理論は別の視角や選択肢を提示するだけが限界という態度
>を取っておりました。

むしろ、故サイード自身が言いたかったことは
いかなる一般論,常識,観察,尺度,解釈体系,価値観,理論も
ある種の人々に対しては価値観の押しつけであり認識の暴力になる
ということだったと理解してございます。

しかし、皮肉なことに、
その後サイードは抵抗学問のカリスマとして
祭り上げられていくことになりました。

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