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▼POLINECIAさん:
丁寧なご返事をありがとうございます。勉強になります。
>1.開発途上国に対する表現が肯定的か否定的かに関係なく、
>相手を分析・統御可能な存在として規定していること
>
>2.それを分析する側の知の体系が何ら問題にされていないこと
そうしますと、掲示板での対話にこの言葉を適用された真意は
「相手の意見を自分の考えに添って勝手に分析しない」
「自分の考えを絶対だとは思わない」
ことを注意喚起なさりたかったのですね。
また、POLINECIAさんご自身も
>1.この理論に則った分析自体が別種の認識の暴力に
>つながる可能性がある。
即ち、「認識の暴力」という言葉を持ち込んで掲示板上の対話を
分析すること自体が、乱暴かもしれない、と
ご自分の考えを相対化なさってらっしゃることと受け止めます。
話の流れから、たとえば掲示板における、定型発達者と非定型発達者
との考え方や行動についての比較を
> 発達障害の分野で言えば、認識の暴力の最たるものと言えるでしょう。
とおしゃってますが、私はこの点については異論があります。
まず、多くの場合、定型を上・非定型を下と見るのではなく、
並列して書かれていると私は受け止めます。
「みんな違って、みんないい」の”違い”を説明しているだけ、と。
そして、若い頃私の突拍子もない言動によって、多くの人を困惑させたり
怒らせたり傷つけたりしてきましたが、その際に
「それを言われるとボク、立場なくなっちゃうな」、
「それはあなたの受け止め方の問題じゃないの?」等から、
「わざと(悪意で)シカトしてるのか?」といった手厳しいものまで、
”他者がどう受け止めるのか”を知ることは、
自分の考えが絶対ではない、ということに気付く助けとなりました。
(自分だけでは自分の考え方のクセに気付くことができなかったのです)
このように、自分の言動について他者からのコメントをもらえることは、
かえって「認識の暴力」という構造を作らない作用があるかと思います。
従いまして、POLINECIAさんが「認識の暴力」という概念を適用なさるのも、
また”一利用者の個人的な感想”としてのことと受け止めておきます。
お教えありがとうございました。
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