アスペルガーの館の掲示板

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[#22590] 自分の怠けを発達障害に責任転嫁する ss 07/10/28(日) 16:11 [未読]

[#22629] Re:自分の怠けを発達障害に責任転嫁する 明子 07/10/29(月) 23:46 [未読]
[#22651] Re:自分の怠けを発達障害に責任転嫁する ss 07/10/30(火) 18:51 [未読]
[#22656] Re:自分の怠けを発達障害に責任転嫁する めえめえ 07/10/30(火) 23:37 [未読]
[#22696] Re:自分の怠けを発達障害に責任転嫁する ss 07/11/1(木) 12:14 [未読]
[#22711] Re:自分の怠けを発達障害に責任転嫁する めえめえ 07/11/2(金) 9:55 [未読]
[#22660] Re:自分の怠けを発達障害に責任転嫁する 明子 07/10/31(水) 7:42 [未読]
[#22698] Re:自分の怠けを発達障害に責任転嫁する ss 07/11/1(木) 12:43 [未読]

[#22629] Re:自分の怠けを発達障害に責任転嫁する
 明子 メール  - 07/10/29(月) 23:46 -

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   ▼ssさん、こんにちは。
じゅんこさん、横レスですみません。

> 人が怒っているのか ここは笑う場面なのか という事を感じることができます。でもそれをするのは義務感であって、例えばたくさんの人間がいる「輪」のようなところで、みんな笑っていますが、その内容がとても意味の無いような会話の内容で、そこでみんなで笑うという事をする事の為に、意味の無い内容で笑うような事をしていると思います。

多分、大抵の場合、笑っている人は面白いから笑っているのでは?と思います。
人に合わせるために笑ってるのではなく、笑いのツボがたまたま同じだから、みんなが笑うのだと思います。
人が面白くて笑ってるということに気がついていないようにも見えますが、いかがでしょうか?

> また、そういう風に周りが感じるのも、私としては「解る」のです。ですから何も言えません。

そうですね、この部分は、アスペっぽくないですね。

> 私がもし真摯に相手の言わんとしている事を理解しようと試みようとすると、顔には笑顔はなく、冷静に対話のような状態になり、その状況が相手は不快にというか、違和感を感じるようです。「そこまで深く考える事じゃない」といわれます。

場面にあった適切な対応ができてない、という見方もできますね…。

飲み会のことは、どうすれば適切な行動が取れるか、はわかるんですよね。
でも、無理して頑張ってたんですよね。

場を壊さないよう雰囲気を読むことまではできるけど、でも人と合わせるとストレスを感じる、というのも、コミュニケーション面の問題として挙げることができるのでは?と思います。

> 飲み会があって、その飲み会という状況では明るく全体の流れというものに乗るという事は、義務であり、そうしないという事は罪であるという状況ですが、

楽しんでいる人も結構います。
それを義務・罪と思ってしまうのだとしたら、「相手の人の気持ち(この場合飲み会を楽しいと思うこと)がわかっていない」状況のように感じます。

> 自分も自分が苦しんでいる理由がわかるという事に快感を覚える為に精神科医に掛かり、アスペルガーと診断されました。でも本当にそうなのか?とまだ自分を許していません。自分のここがこういう理由でアスペルガー症候群的であると理路整然とわからないと、どこまでがそうで、どこからが自分の怠慢であるかがわからないからです。

ssさんの書いたものを読んだ限りでは、無理して(がんばって)周りに合わせているように感じました。
でも、多数派の人たちは、多分無理してないしがんばってない(あるいは無理したりがんばったりしていても大したことはない)のだろう、と思います。

人と感性が違うからssさんはがんばらざるを得なかったのではないでしょうか?

まず、人と感性が違うことに、個人的にはアスペの可能性を感じます。
人と感性が違うのは多かれ少なかれいたしかたないことだと思うのですが、無理する・頑張るということで対応してきたことが、限界に達してしまったのではないか?と感じました。
もちろん、無理することや頑張ることも必要になることもありますが、対人関係においては、無理したり頑張ったりするよりも、相手の気持ちを理解し、自分が納得した上で対応するのがストレスのたまらないお付き合いのしかただと思います。

例えば、相手の人の、一つ一つの言動を気にして、不快になった場合などは我慢してますか?
それとも、一つ一つの言動にあまり心を動かされず、人間性などを総合的に見てますか?

後者なら、あまり対人関係にストレスを感じなくてすむと思いますが…。

[#22651] Re:自分の怠けを発達障害に責任転嫁する
 ss ホームページ  - 07/10/30(火) 18:51 -

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   ▼明子さん、ご回答有難うございます。


>多分、大抵の場合、笑っている人は面白いから笑っているのでは?と思います。
>人に合わせるために笑ってるのではなく、笑いのツボがたまたま同じだから、みんなが笑うのだと思います。
>人が面白くて笑ってるということに気がついていないようにも見えますが、いかがでしょうか?

 面白くて笑っている事は解っています。単に笑いのツボがあわないという事でしょうかね。


>> また、そういう風に周りが感じるのも、私としては「解る」のです。ですから何も言えません。
>
>そうですね、この部分は、アスペっぽくないですね。

 「解る」という事は、アスペルガーであり得ないという事でしょうか。


> 私がもし真摯に相手の言わんとしている事を理解しようと試みようとすると、顔には笑顔はなく、冷静に対話のような状態になり、その状況が相手は不快にというか、違和感を感じるようです。「そこまで深く考える事じゃない」といわれます。
>
>場面にあった適切な対応ができてない、という見方もできますね…。

 これも場面にあった適切な対応が不可能なわけではなく、飲み会の時と同様、笑顔を交えたり相手の求めるようなリアクションを取る自分を俯瞰的に観ているような窮屈な感じになり疲れます。


>場を壊さないよう雰囲気を読むことまではできるけど、でも人と合わせるとストレスを感じる、というのも、コミュニケーション面の問題として挙げることができるのでは?と思います。

 そうでしょうか。ただ単にわがままなだけなんじゃないかと自分の事ですが思います。
 
>> 飲み会があって、その飲み会という状況では明るく全体の流れというものに乗るという事は、義務であり、そうしないという事は罪であるという状況ですが、
>
>楽しんでいる人も結構います。
>それを義務・罪と思ってしまうのだとしたら、「相手の人の気持ち(この場合飲み会を楽しいと思うこと)がわかっていない」状況のように感じます。

 相手が楽しかったりするのが解るからって、同じように感じられるものなのでしょうか。


>ssさんの書いたものを読んだ限りでは、無理して(がんばって)周りに合わせているように感じました。
>でも、多数派の人たちは、多分無理してないしがんばってない(あるいは無理したりがんばったりしていても大したことはない)のだろう、と思います。
>
>人と感性が違うからssさんはがんばらざるを得なかったのではないでしょうか?
>
>まず、人と感性が違うことに、個人的にはアスペの可能性を感じます。
>人と感性が違うのは多かれ少なかれいたしかたないことだと思うのですが、無理する・頑張るということで対応してきたことが、限界に達してしまったのではないか?と感じました。
>もちろん、無理することや頑張ることも必要になることもありますが、対人関係においては、無理したり頑張ったりするよりも、相手の気持ちを理解し、自分が納得した上で対応するのがストレスのたまらないお付き合いのしかただと思います。

 やはり自分はあまり発達障害の部分は無いように思いました。あったとしても少しだと思いました。自分が感じている生きにくさは、それとは別のような気がしました。
 出来るけどやらないというのは、アスペルガー症候群と別のような気がしました。


>例えば、相手の人の、一つ一つの言動を気にして、不快になった場合などは我慢してますか?
>それとも、一つ一つの言動にあまり心を動かされず、人間性などを総合的に見てますか?
>
>後者なら、あまり対人関係にストレスを感じなくてすむと思いますが…。

 不快になった場合は我慢します。人間性を総合的に見る為に必要な自分のものさしがありません。


 この場では発達障害でいろいろな事が出来ず、その出来ない事で悩んでいるという人が、それを出来る方へ近づけていこうという為に話をする場で、またアスペルガー症候群の辛さとはそういう事だと思うので、出来るという自分は他に問題があるのかも知れないと思いました。
 
 しかし、自分は「出来て」いるんだろうか。見た目には自分と人の「出来る」は同じように見えても、その構造が全然違うのではないかという疑問もあります。
 自分もまわりのように楽しもうと自分を強制したこともありましたが、どうしても戻ってきてしまい、一人になります。

 でもそれは、重複しますがこことは違うテーマのような気がしました。

 どうもありがとうございました。

[#22656] Re:自分の怠けを発達障害に責任転嫁する
 めえめえ  - 07/10/30(火) 23:37 -

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   ▼ssさん:
▼明子さん
横から失礼します。
ごめんなさい、最初の発言特に2.の方で、何を求めてらっしゃるのか
わからなくてコメントを差し控えておりましたが、

> しかし、自分は「出来て」いるんだろうか。見た目には自分と人の「出来る」は同じように見えても、その構造が全然違うのではないかという疑問もあります。

『あなたがあなたであるために―自分らしく生きるための
 アスペルガー症候群ガイド』(吉田友子著、ローナ・ウイング監修)
という本に、人の顔や状況を認知する際に、アスペのひとと、
そうでないひとと、働く脳の部位が違う、という写真が載っていました。

この説明は私にとってすごくわかりやすいものでした。
私自身、ひとの顔色を読んだり、雰囲気に合わせることが一応できてる?
と自認はしていますが、理解のしかた、周囲に合わせて行動するための努力
のしかた、というのは、独特の回り道をしているので。
(たとえばいったん”知識”や”基準”を言語化して、そこを通って
 あるいは参照して理解しないと納得できない、など)

ssさんは客観的なデータや、厳密な定義あるいは分類にこだわりを
感じるタイプの方のようですが、
人間の行動も特性も、かなり基準があいまいなものだと理解した方が
けっこう当っているように思います。
あいまいということは、よく言えば許容範囲が広いということなので、
多少、変人でも受け容れてもらえる可能性も高いと思うと気が楽です。

[#22660] Re:自分の怠けを発達障害に責任転嫁する
 明子 メール  - 07/10/31(水) 7:42 -

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   ▼ssさん、こんにちは。

> 面白くて笑っている事は解っています。単に笑いのツボがあわないという事でしょうかね。

感性の違いなんでしょうね。
一般の人が面白いと思うことを面白いと思わない場面が多ければ、無理して笑わなければなりません。
自然に笑える人よりは、ストレスが溜まりやすいですよね。

どちらの人が多数派かといえば、面白くて笑ってる人。
ストレスを感じないか、感じているとしても、ストレスは少な目と思われます。

どう振舞うべきか理解できることは大事なことですが、それができるからといってアスペルガーではないとはいえないと思います。
○○ができればアスペルガーではない、とは言えないと思います。

アスペルガーの特性を持っていたとしても、それは「怠け」ではないと私は思います。
ssさんは、今まで頑張って合わせることで適応されてきたのだ、と思います。

受診された理由として、辛かったからと書かれていましたよね?
受診するほど辛いというのは、今まで頑張り過ぎてたからだ、と思うのです。
不適応の症状が出始めているのでは?と感じられます。
ssさんはアスペと診断された原因を「自分の怠け」と感じているようなので、これ以上頑張りすぎたらもっと辛くなってしまうのでは?という危機感を、ssさんの中に感じました。

受診するほど辛いのに、さらに頑張ろうとしたら、もっと辛くなってしまう、と思います。
頑張るのではなく、少しでもラクになる方法を見つけたほうがいいと思います。
これ以上頑張ったら、さらに辛い状況に自分を追い込んでしまいませんか?
むしろ逆に、ご自身の辛さを軽減することが必要な状態のように思います。

私自身にも発達障害の傾向があり(「自称」なので診断は受けてません)、精神疲労で定期的に通院してます。
精神疲労の直接的な原因は育児です。
でも、受診するほど疲れる前に自分で自覚し何らかの対策を立てて問題を解決し、受診まで至らないほうが多数派だろう、と考えてます。
そこまで自分の状態を客観視できてなかった、それが真の原因だろうと考えてます。

自分の能力以上に頑張りすぎてしまってたので、今はもっと自分を客観的に見て少しでも自分が無理しすぎてないか、自分で自分をチェックしてます。
ssさんはまだ頑張りが足りない、と思われていないですか?

> 相手が楽しかったりするのが解るからって、同じように感じられるものなのでしょうか。

解る=同じように感じられるというのは、全然別のものだと思います。
解っても楽しくなるわけではないと思います。
ただ、同じ気持ちにならないから、ssさんは辛い思いをしてるのですよね。

こちらの掲示板でも、社会的に適応しているように見えても、内面的にはアスペルガー的な特性をお持ちのかたがいます。

後半でssさんはできる・できないのことについて書かれていますけれど、例えばこの部分に限って言えば「人が楽しいと思う」ことをssさんは「楽しいと感じることが『できない』」のですよね。

> しかし、自分は「出来て」いるんだろうか。見た目には自分と人の「出来る」は同じように見えても、その構造が全然違うのではないかという疑問もあります。
> 自分もまわりのように楽しもうと自分を強制したこともありましたが、どうしても戻ってきてしまい、一人になります。

読んだ限りは、「出来てない」面もあるように感じました。
表面は対応できていても、心の中で不適応を起こしているように感じました。
出来なくて辛い思いをしてるように私には感じられましたが…。

「出来ない」部分については、頑張ったり無理して周りに合わせるのではなく、別の方向からアプローチしたほうがいいと私は思います。
例えば、飲み会の件なら、飲み会への参加を減らす、その代わり一人になってしまうのはしかたないことだと割り切るようにすれば、少しでも気持ちがラクになりませんか?

> やはり自分はあまり発達障害の部分は無いように思いました。あったとしても少しだと思いました。

発達障害の傾向があったとしても、多分軽度なんでしょうね。
私も自称軽度の発達障害(ただし現実社会で発達障害と名乗ることはありません)ですが、発達障害だと考えて客観的に自分を見るようにして、対応を考えていくことで、自分がよりラクに生きられるのです。
即効性はないにしても、辛さが軽減していきます。

自分のことを発達障害、と考えるのは、甘えるためではありません。
特性を考慮して、自分がどうしたら社会で生きやすくなるか考えるための材料の一つと考えてます。

>>例えば、相手の人の、一つ一つの言動を気にして、不快になった場合などは我慢してますか?
>>それとも、一つ一つの言動にあまり心を動かされず、人間性などを総合的に見てますか?
>>
>>後者なら、あまり対人関係にストレスを感じなくてすむと思いますが…。
>
> 不快になった場合は我慢します。人間性を総合的に見る為に必要な自分のものさしがありません。

「人には誰にもよい面と悪い面があるもの、多少悪い面があってもしかたがない」と割り切り、相手の人の不快な言動・行動はある程度まではスルーして流せる(気にしないようにする・我慢しないように心がける)ことができると、人間関係はラクになってくると思います。
このような対処法ができれば、対人面のストレスはかなり軽減できると思います。
「ものさし」の問題ではないと思いますし、我慢だけを溜め込んでいるとストレスになりませんか?

> この場では発達障害でいろいろな事が出来ず、その出来ない事で悩んでいるという人が、それを出来る方へ近づけていこうという為に話をする場で、またアスペルガー症候群の辛さとはそういう事だと思うので、出来るという自分は他に問題があるのかも知れないと思いました。

先ほども書きましたが、人が楽しめることを楽しむことかできないとか、ssさんが「できてる」と思っていても、実は「できてない」こともあるのではないでしょうか?
また、この場が出来る方へ近づけていく為に話をする場だとは私は考えていません。

めえめえさんがお勧めの本を紹介してくださっていますが、私もお勧めします。
ssさんも読んでみて、もう少し自分を見つめなおしてみるといいかもしれません。

これ以上頑張りすぎないことをssさんにはお勧めしたい気持ちです。

[#22696] Re:自分の怠けを発達障害に責任転嫁する
 ss ホームページ  - 07/11/1(木) 12:14 -

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   ▼めえめえさん:
>▼ssさん:
>▼明子さん
>横から失礼します。
>ごめんなさい、最初の発言特に2.の方で、何を求めてらっしゃるのか
>わからなくてコメントを差し控えておりましたが、
>
>> しかし、自分は「出来て」いるんだろうか。見た目には自分と人の「出来る」は同じように見えても、その構造が全然違うのではないかという疑問もあります。
>
>『あなたがあなたであるために―自分らしく生きるための
> アスペルガー症候群ガイド』(吉田友子著、ローナ・ウイング監修)
>という本に、人の顔や状況を認知する際に、アスペのひとと、
>そうでないひとと、働く脳の部位が違う、という写真が載っていました。
>
>この説明は私にとってすごくわかりやすいものでした。
>私自身、ひとの顔色を読んだり、雰囲気に合わせることが一応できてる?
>と自認はしていますが、理解のしかた、周囲に合わせて行動するための努力
>のしかた、というのは、独特の回り道をしているので。
>(たとえばいったん”知識”や”基準”を言語化して、そこを通って
> あるいは参照して理解しないと納得できない、など)
>

めえめえさんご回答有難うございます。

 この本は前にインターネットで買って持っています。脳の使う場所がマイノリティだという事は、あまり自分では意識した事も無いし、読んでいてピンと来るとこではありませんでした。自分は確定診断は受けていないけど、確定診断はより科学的に脳の事なんかを調べてASかどうかを検証してくれるらしいですね。
 それを受ければ、はっきりしそうですが、多少高くてもすぐ受けられるなら受けたいですが、自分の県の発達障害支援センターは18歳未満の人のASの診断に限るらしく、また他県の専門の病院は年単位で診断待ちらしいという事で断念してます。

>ssさんは客観的なデータや、厳密な定義あるいは分類にこだわりを
>感じるタイプの方のようですが、
>人間の行動も特性も、かなり基準があいまいなものだと理解した方が
>けっこう当っているように思います。
>あいまいということは、よく言えば許容範囲が広いということなので、
>多少、変人でも受け容れてもらえる可能性も高いと思うと気が楽です。

 もっといい加減になるべきだと思います。なぜいい加減になれないのかと考えると、自分が無いからだと思います。いい加減になれるのは、自分が何なのか見えていて、確かな物が何かわかっているから、それに影響の無い事に関してはどうでも良いという風になれるんだろうと思います。その確かなものがないと、どこまで譲っていいかわからないと思います。ASが自分を知る手がかりになるかも知れないので、慎重にそれについて自分と照らし合わせているという感じです。

[#22698] Re:自分の怠けを発達障害に責任転嫁する
 ss ホームページ  - 07/11/1(木) 12:43 -

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   ▼明子さん、ご回答有難うございます。

 これ以上頑張らなくて良いという意見ありがとうございます。たいへん助かります。

 病院に行った時、頑張らなくて良いという風な話している時に先生が「無理をして出来ない事が出来るようになる人はいない」と言い、自分が「そうすると人生に努力はいらない事になるんじゃないか」と言いました。そこで話は変わりました。

 「辛いけど頑張るから成長する」という大前提から抜けるというのは、かなり慎重にならなければいけないと思います。どれくらい頑張ってるかは、本人にしかわからないので、自分が審査するしかないと思います。

 何が苦しいのか、ASの事と照らし合わせてもっと考えてみたいと思います。

 どうもありがとうございました。

[#22711] Re:自分の怠けを発達障害に責任転嫁する
 めえめえ  - 07/11/2(金) 9:55 -

引用なし
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   ▼ssさん:
> もっといい加減になるべきだと思います。なぜいい加減になれないのかと考えると、自分が無いからだと思います。いい加減になれるのは、自分が何なのか見えていて、確かな物が何かわかっているから、それに影響の無い事に関してはどうでも良いという風になれるんだろうと思います。その確かなものがないと、どこまで譲っていいかわからないと思います。ASが自分を知る手がかりになるかも知れないので、慎重にそれについて自分と照らし合わせているという感じです。

ssさんはご自分についてかなり分析ができてらっしゃるように思います。
言い換えれば、ssさんはかなりご自分を客観視できる特長がある
とポジティブに捉えられます。
また、理路整然とした論理を好む、という特長は、仕事でトラブったとき
に出すと確かに言い訳と捉えられますが、言い換えれば理性的で、
生真面目で、信頼できるともいえますね。
ご自分生来の持ち味というものも、TPOによっては欠点にもなるし、
長所にもなり得るのです。

怠けか、発達障害の特性か、というようなことについては、
100%どっちがどっちということはないと思います。
確定診断を受けてもそれが言い訳になるわけでもないし。
でも、ご自分の特徴を知ることは、今後おおいに役立つことと思います。
結さんのおっしゃるとおり、
「敵を知り、己を知らば、百戦危うからず」
ですから。

もう一点だけ。
私にとって「敵を知る」ための手掛かりは、定型と言われる人びとを
よく観察することでした。

たとえば、働いてたとき、職場の女性が集まって一緒に昼ご飯を食べて
いて、最初誘っていただいたので一緒にランチを食べてました。
そういう暗黙のルールだと思ったからです。
でも、それこそssさんのおっしゃるように、みんなが世間話で笑ってる
とき、一緒に顔は笑ってても、内心、なんか意味ない、と思ってました。
だんだんとランチで仮面をつけてるのが苦痛になってきたのですが、
そう思って改めてよく周囲を観察してみますと、他にも
「持参した音楽テープを聴きたい」とか「早く食べてスポーツしたい」
など、理由はあるけどひとりでランチを食べてる人もいることに気付き、
別に暗黙のルールじゃなかったんだと判明しました。
それから、理由をつけてはちょくちょく抜け、徐々にひとりで食事を
するようにしたら、意外にも(笑)それで通ってしまったのです。

世の中、あるいは人間ってもんがどの程度いい加減なのか、
定型といわれる人々をよく観察してみるのもひとつの手ですね。
意外に、ssさんみたいに真面目に「みんなが笑うときは笑う」とか
義務感を持ってたり、確固とした自己像を探り持ってるひとは少数派で、
「自分がしたいことをする」だけのひとも多いように思いますよ。
ご自分の義務感やこだわりから、徐々にご自分を解放する目安に
なるかもしれません。

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