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▼結さん:
横から失礼します。私は別に研究者でもなんでもないですが、
Ryuさんの説は、どうもすんなりとは納得できません。
>これは仮説の域を出ていませんが(というか科学では意識というものさえ正確に定義されていないし、できない。何故なら言葉で言い表されることのない無意識を客観的に観測することは現段階で不可能だから。)、自閉症の人の傾向として意識よりも無意識に動かされる傾向があると思います。
確かに、自閉症スペクトラムのひとの中には、抽出能力が処理能力より
相対的に高く、情報がオーバーフローしがちなひともいるとは思います。
しかし、前のレスでは敢えてコメントしませんでしたが、実は
・情報の抽出の段階でサインの読み違い、
・情報を処理する段階で異なったパターンへの結びつけ、
のどちらか、あるいは二重の誤認知の可能性は常にありますよね?
たとえば、二次会を断るときの例のように、
「こうなったらああなって、きっとこう思われるだろう」と
先読みできてしまう、といった現象も、
・実は過去似たような状況での誤認知があった、
・過去の体験に対する誤まった結びつけによる誤まった予測、
・または不安から状況を回避しようとする迂回思考パターン、
などの思い込みが先行してるだけで、
実は相手はそれほど他人=私のことなど気にしてなかった、
という可能性もありますよね?
世の中は、やはりかなり”いい加減”な部分があるのですから。
他に、観測や検証可能な方法があるのに、直感的で再現不可能な特質を、
”相手の””無意識”という二重のブラック・ボックスを持ち出してまで、
説明する必要があるのか?と、個人的にはかなり疑問です。
自閉症の人の傾向として、<定義も観測もできない>意識よりも
<定義も観測もできない>無意識に動かされる傾向がある、かどうかは
(Ryuさんご自身認められてるように)検証が不能ですから。
ssさんの場合「他人の気持ちがわかってしまう(ような気がする)」
というところ自体がASの基準を満たすかという問題では実はなくて、
ssさん独特な理路整然さ(でも世間はそんなに秩序立ってない)、
0か10かという極端な二者択一思考(妥協のできない堅苦しさ)、
といった点が、社会性を阻害している、即ちASっぽい生き難さと
なっているのではないか、と思います。
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