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ワン様
二月余り前から貴下の書込みに注目しておりました。以前大学院にて思想史研究に携わる傍ら、映像作品にも興味をお持ちになるとは、面白い素質の方だとお見受け致しました。
さて、世捨人こと私の外面的生活も、かなり以前から、悲惨か無茶苦茶としか呼びようのない状態にあります。大学院では制度側から期待されるような研究課題への従事の代りに、盲目的多勢順応という現代日本社会及び共産圏崇拝者の心性の考察などいう、十代の頃からの問題関心にしがみついて、どうにも指導教授の愛玩奴隷となることはできませんでした。さらに、他の学生達とのそりも合わなかったので、ことあるごとに狂人扱いされたものでした。
けれども、これらのことは、それ以前の中等教育機関に通っている時期や、研究資金稼ぎに勤めた会社での同僚による苛めと集団ヒステリー、それを理由とした解雇という出来事の繰り返しと比べるならば、唯のおふざけに類する事柄の様に感ぜられます。僅かの間に職場から幾度も放り出されたことをきっかけに、両親との間が決定的に悪くなり、結局家を出ることになりました。それ以降、願わくば両親ともなるべく会わないで済ますこと、また他の親戚等とは一切接触を持たないこと、つまり社会的廃人化という、これらの方針の実施によって、私の幾許かの精神的平静が保たれています。なぜなら、価値観(私のそれは物質的消費を最小限に抑えることです)と++水準の相違は、何によっても橋渡しされ得ないと認識しているからです。
閑話休題。数年前までの私は、皮肉はともかく冗談のひとつも言わず、世の楽しみごとに一切背を向け、個人的幸福という言葉を自らに禁ずるという生活を送っておりました。ところが、ふとさる映画(Eric Rohmer: Conte d'ete,J.Rivette: La Bande de quatre)を観たことにより、自らの姿勢が一変するに至りました。かかる認識とは、所詮人間は喜劇の役者である、そして自分は最も大根であるというものです。そして大根役者であるのが嫌であれば、かような喜劇の観客に、さらにはそれを題材とする思索者として生きていけばよいのではなかろうかというものです。
幸いにしてワン様は、余り人見知りなさらない様子ですから(私は思春期末期以来の強迫観念と欝の発作にも拘らず、一度も診断を受けていません)、どこかで色々と興味深い光景に遭遇なさることも多いかと思います。たとえ社会的には何も為し得なくとも、自らの感受性と思考力を麻痺させずに日々を送っていくことこそが、思想に携わった者の使命だとお考えになって下さい。自暴自棄になって、誰かの奴隷乃至御用文士になったときこそが、本当の堕落となるのですから。
以上長々と説教臭いことを書き連ねましたが、悪くお取りにならぬよう願います。ついでに申し添えるならば、他者への関係をいかにすべきかなどという問題は、私の能力と経験の彼方にあります。
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