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レスありがとうございました。
旧HNから続いている体育関係のぼやきに、今回もお付き合いいただきありがとうございます。
▼wentさん:
> 私の場合、小学校4年生のときに異常な恐怖感がなくなりました。担任の先生が、配慮してくださったからです。
> 「状況判断ができない」「身体のどの部分をどのように動かせばよいのかわからない」「適切な動きができなかったら、怒鳴られたりからかわれたりする(しかも、これらのことを親や一部の教師が率先していた)」といったことを、恐怖心と同時に当時意識していました。
> しかし、その担任の先生は、怒鳴りつけるとかバカにするとかいった態度を取ることはなかったのです。「怖くない。大丈夫だ。」と、きちんと伝えてくださったのです。
私の担当教師はそういったことがなかったばかりか、身体障害が原因の見学なのに、「仮病」の噂を流される環境でしたからね…
茨城の環境に3ヶ月で慣れてしまった私は、やはり今にして思えば両親が祖父母とケンカ別れして根室を離れたとき、室蘭ではなく茨城に引っ越していれば、展開はもっとマシだったかもしれない、と思うこともあります。
> 例えば、水泳の授業で水を怖がっていたときに、「朝、顔を洗うのと同じだ。怖くない。」と、落ち着いたかんじで言葉をかけてくださいました。
> 球技のとき、ボールの動きと自分の身体の動きをどう合わせればいいのか戸惑っていた私に、実際手をとって身体を動かして説明してくださいました(もっとも、触覚過敏のある人は、この方法は合わないかもしれませんが)。
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> また、「人並みのできばえ」や「年齢相応のできばえ」といったことについては、全然ふれられませんでした。「上達しているプロセスを、went自身が驚き楽しんでいる」という事実を喜んでくださったように、子供心にも思えました。
確かに、障害児であっても普通学級への通学希望者が多い現状をかんがみると、非常に重要なことだといえるでしょう。
> この先生は、私にとっては恩師です。しかし、他の生徒や保護者からは「えこひいき」と思われていたようです。また、「人並みのできばえや年齢相応のできばえまでは届きそうにない子供には、いくら教えてもムダだ。そんな子供のことよりも、他の子の実力を伸ばして欲しい。」と、私の親はうちの中では言っていました。哀しいですが。
教育関係者としては、すべての児童生徒の能力を均等に伸ばすべきか、それとも格差の大きさを埋めながら伸ばすべきか、大いに悩むところでしょう。でも、当時は「えこひいき」だと感じていられた生徒さんや親御さんにも、格差を埋めながら能力を伸ばす教育が間違いでないことは理解してもらえるものと信じております。
> 「人並み・年齢相応にできるようになるかどうか」に、大人が執着しないでほしいです。「上達するプロセスを本人が楽しめる」ことが、大切だと思います。
もう一つ忘れてはいけないのは、教育現場で教育者がものを教えるのに「誰でもできて当たり前」という意識を捨てることでしょう。これは体育の授業に限ったことではありません。
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