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[#24064] KYと言うAS・PDDに対する流行性差別用語 医学オタク(呼内専門) 08/2/3(日) 23:27 [未読]

[#24098] [投稿者削除] [未読]
[#24101] Re:KYと言うAS・PDDに対する流行性... ぶじこれきにん 08/2/5(火) 14:56 [未読]
[#24104] Re:KYと言うAS・PDDに対する流行性... めえめえ 08/2/5(火) 17:11 [未読]
[#24105] Re:KYと言うAS・PDDに対する流行性... ぶじこれきにん 08/2/5(火) 18:17 [未読]
[#24132] Re:KY めえめえ 08/2/6(水) 20:30 [未読]
[#24150] Re:KYと言われたら めえめえ 08/2/7(木) 22:27 [未読]
[#24117] [投稿者削除] [未読]
[#24121] Re:KYと言うAS・PDDに対する流行性... ぶじこれきにん 08/2/6(水) 14:01 [未読]

[#24098] [投稿者削除]
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   この書き込みは投稿者によって削除されました。(08/6/17(火) 18:29)

[#24101] Re:KYと言うAS・PDDに対する流行性差別用語
 ぶじこれきにん  - 08/2/5(火) 14:56 -

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   ▼ウォルフルさん:
>▼医学オタク(呼内専門)さん:
>
>管理人さんの言われる様に、「場の空気を読む」ことは、社会生活において交流を円滑に豊かにはかっていく上では欠くことの出来ない心得項なのですが、KYにはこういった意味は込められていないと思います。というのもKYが「場の・くうき・よめ」なら管理人さんの言われる通りなのですが、KYという略語の意味が「くうき・よめない」という否定形の形態を取っている点にすでに既にこの言葉に込められた意図が窺われます。そう、この言葉は場の空気が読めない人間に対する排除のレッテルなのです。こうした言葉が流行るのも、ひとえに場にいちはやく同調することだけにコミュニケーションについてのほとんどのエネルギーが費やされているという、コミュニケーションすることへの過剰なまでの命令文が日本人が人間関係を維持していく上での厳格な規律となっているのです。
>
>もはや日本ではコミュニケーションとは互いに議論し合ったり、他者との交流を
>楽しんだり、自分の意見を主張し合ったり、何かを分かち合ったりする様な、互いに自由意志を持つ存在であるが故に意思疎通のツールとしてのコミュニケーションが必要とされるといったものではなく、場が強制してくるコミュニケーション作法にほとんど無抵抗に屈従し、その作法を演じうることが場が読めるということであり、コミュニケーションの流れに乗り続ける限りは、誰でもそれなりに共同体の中で居場所を持ち得たりすることができるのですが、一旦、場の空気の流れとは反する言動を行った場合に、周囲の反感を買い、「ムカつく」「ウザい」と罵られ、いじめの対象となって仕舞うのです。この様に「KY」といじめには非常に親和性が高いと思います。

こうもり氏も著書で状況倫理=空気の強制力が縛りがある。これの場の役割に無抵抗に屈服してその作法を演じるガラスのような世界に定型・非定型のエイリアンが場の空気を読まない発言をするといじめの原因にもなる。このウォルフル氏の意見は空気を無抵抗に読むことがいいのかということに異論を呈している。
 この国でコミニュケーションが自由に意見交換したり、自分の意見に主張するものではなく、同質性の確認としてのコミニュケーションなら、KY=空気が読めない人への配慮もなしに、バッシングする。歌舞伎的振り付けを演じる場でしかない。それが出来なければ「ウザイ」「ムカツク」になる。
 歌舞伎的振り付けのコミニュケーションなんて思った事を言って相手がどう思うか考えない発達障がいのひとには不利で仕事への壁にもなる。
 日本が異質性を認める社会になればKYなんてなくなるのだが、支援者はKY=空気を読むことを発達障がいのひとに求める傾向がある限り、空気が読めないことでいじめ問題が起きる。その問題の根本的解決は難しいだろう。
 

[#24104] Re:KYと言うAS・PDDに対する流行性差別用語
 めえめえ  - 08/2/5(火) 17:11 -

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   ▼ウォルフルさん:
>こうした言葉が流行るのも、ひとえに場にいちはやく同調することだけにコミュニケーションについてのほとんどのエネルギーが費やされているという、コミュニケーションすることへの過剰なまでの命令文が日本人が人間関係を維持していく上での厳格な規律となっているのです。

なかなか鋭い分析だと思います。
ン十年前の『甘えの構造』で問題提起されて以来久しいですが、
”察する”といった”甘え”合いを求められることは、確かに日本では
多いというのが実感です。
しかし、「同調することだけ」にまったく意味がないのなら、これだけ長く
文化的に続いてこなかったのではないか?という疑問もあります。

要は、井戸端会議的な会話の中でいきなり深刻な疑問を投げかけたり、
ひとの話の流れを遮って自説を強硬に展開したり、そういう”やり方”が
「KY」と言われるのであって、話の内容ではないのではないでしょうか。
えー、だとすると、いわゆる”会話のマナー”的な練習をしたり、
本を読んだりすることによって、ある程度は回避できるのでは?と
思っているのですが…

ちょっと古い本になりますが『やさしさの精神病理』(大平健、岩波新書)
など、私としてはかなり参考になりました。
この本によると、従来の「やさしさ」がひとの気持ちを推し量って
同調しようとするのに対し、若いひとたちが葛藤を抱きがちな”やさしさ”
というのは、互いに相手の気持ちを推し量らざるを得ないような踏み込んだ
関係を回避する、予防的な、ウォームな心の働きだそうです。

定型発達のひとでもこんなややこしい、かつ曖昧な基準を意識して
押したり引いたり、苦労してるんだな、とフシギな気がしました。
また同時に、「人の気持ちを推し量って同調しようとする」、いわゆる
「やさしさ」「思いやり」といった、私にはなかなか理解しがたかった
論理?の限界というか、問題提起は、既に日本でも出てきているのだな、
という思いも強くしました。

[#24105] Re:KYと言うAS・PDDに対する流行性差別用語
 ぶじこれきにん  - 08/2/5(火) 18:17 -

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   ▼めえめえさん:
>▼ウォルフルさん:
>>こうした言葉が流行るのも、ひとえに場にいちはやく同調することだけにコミュニケーションについてのほとんどのエネルギーが費やされているという、コミュニケーションすることへの過剰なまでの命令文が日本人が人間関係を維持していく上での厳格な規律となっているのです。
>
>なかなか鋭い分析だと思います。
>ン十年前の『甘えの構造』で問題提起されて以来久しいですが、
>”察する”といった”甘え”合いを求められることは、確かに日本では
>多いというのが実感です。
>しかし、「同調することだけ」にまったく意味がないのなら、これだけ長く
>文化的に続いてこなかったのではないか?という疑問もあります。
>
>要は、井戸端会議的な会話の中でいきなり深刻な疑問を投げかけたり、
>ひとの話の流れを遮って自説を強硬に展開したり、そういう”やり方”が
>「KY」と言われるのであって、話の内容ではないのではないでしょうか。
>えー、だとすると、いわゆる”会話のマナー”的な練習をしたり、
>本を読んだりすることによって、ある程度は回避できるのでは?と
>思っているのですが…
>
>ちょっと古い本になりますが『やさしさの精神病理』(大平健、岩波新書)
>など、私としてはかなり参考になりました。
>この本によると、従来の「やさしさ」がひとの気持ちを推し量って
>同調しようとするのに対し、若いひとたちが葛藤を抱きがちな”やさしさ”
>というのは、互いに相手の気持ちを推し量らざるを得ないような踏み込んだ
>関係を回避する、予防的な、ウォームな心の働きだそうです。
>
>定型発達のひとでもこんなややこしい、かつ曖昧な基準を意識して
>押したり引いたり、苦労してるんだな、とフシギな気がしました。
>また同時に、「人の気持ちを推し量って同調しようとする」、いわゆる
>「やさしさ」「思いやり」といった、私にはなかなか理解しがたかった
>論理?の限界というか、問題提起は、既に日本でも出てきているのだな、
>という思いも強くしました。

めえめえさんの言う定型発達の人でもあいまいな基準を意識して押したり、引いたり苦労している指摘に共感した。
 定型の若者も、あいまいな基準で「場」を仕切る人間関係に苦労して、同調したり、批判的だったりするんだ。みんな根っこは同じ部分が、われわれと定型の間にあるんだと思った。
 日本的察しの文化というわれわれのような人の気持ちがわからない障がいに苦手なものノ論理に対する問題提起が若者によって行われているんだと感じた。
 KYの世界も奥が深い。

[#24117] [投稿者削除]
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   この書き込みは投稿者によって削除されました。(08/6/17(火) 18:29)

[#24121] Re:KYと言うAS・PDDに対する流行性差別用語
 ぶじこれきにん  - 08/2/6(水) 14:01 -

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   ▼ウォルフルさん:
>▼めえめえさん:
>>ちょっと古い本になりますが『やさしさの精神病理』(大平健、岩波新書)
>>など、私としてはかなり参考になりました。
>>この本によると、従来の「やさしさ」がひとの気持ちを推し量って
>>同調しようとするのに対し、若いひとたちが葛藤を抱きがちな”やさしさ”
>>というのは、互いに相手の気持ちを推し量らざるを得ないような踏み込んだ
>>関係を回避する、予防的な、ウォームな心の働きだそうです。
>
>敬語の用法と非常によく似た構造を持っているのだなと勝手に推察しました。敬語が社会生活の中で果たす役割というのは、敬語の使用を互いの前提とした上でコミュニケーションを取る事で、他人との距離を置いたり、自他ともに傷つくことを避けるための画期的な用法です。敬語を用いることで未知の相手に対しての礼を尽くすことができるし、それによって未知の相手がふいに懐へ飛び込んでくることを防ぐテクニックでもあるからです。敬語の使用によって互いに相手の気持ちを推し量らざるを得ないような踏み込んだ人間関係を回避する事が出来ます。これに対して砕けた話し方というものは、相手の気持ちを推し量らざるを得ないような、密な人間関係において有効です。
>
>しかし、敬語の用法は大抵は気心の知れない相手に対して使うもので、不特定多数の人間が集まる様な社交場で使うものです。要するに大人の付き合いの世界ですね。こうした敬語の構造と似た様な世渡り術が若い人達の間、特に子供の世界にまで必要とされて来ているという処に、子供が子供らしく振舞うことが誰にも許されない社会が到来して来ているのではないかという危惧さえ覚えました。
子どもって自由奔放にいろいろ好き勝手な事言うものなのに、大人の付き合いの人間関係が持ち込まれて定型の子は息苦しい人間関係を過ごしている。
 お笑いタレントの「そんなの関係ねぇ」が子どもの世界で流行ったのは、息苦しい世渡り的人間関係。歌舞伎的振り付けの人間関係関係ねぇといい放つタレントの言葉が子ども達の願望にフィットしたからではないか???

[#24132] Re:KY
 めえめえ  - 08/2/6(水) 20:30 -

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   ▼ぶじこれきにんさん:
>めえめえさんの言う定型発達の人でもあいまいな基準を意識して押したり、引いたり苦労している指摘に共感した。
> 定型の若者も、あいまいな基準で「場」を仕切る人間関係に苦労して、同調したり、批判的だったりするんだ。みんな根っこは同じ部分が、われわれと定型の間にあるんだと思った。
> 日本的察しの文化というわれわれのような人の気持ちがわからない障がいに苦手なものノ論理に対する問題提起が若者によって行われているんだと感じた。

共感していただきありがとうございます。
これもちょっと古いですが、”つながってなくちゃなんない症候群”という
言葉の登場する、『「個性」なんかいらない!』(小林道雄、講談社α新書)
を読むと、若者たちがいかに自分を押し殺して同調しようと苦心してるか、
その根っこには”ハブ”になりたくないという不安と自信のなさがあるのに、
それに自ら向き合う勇気もなく知恵もなく同調に呑み込まれていく状況が
わかります。

> KYの世界も奥が深い。

ですから、私は「KY」という発言や、集団イジメ、仲間外しなどの現象は、
自分から集団に埋没しようとする自信のなさの裏返しでは?と思っています。
これに対抗するには、正面から打倒「KY」!と拳を振り上げるのでは
なくて、「KY」者(笑)らしい戦略が必要だと思うのです。
長くなるので別稿で…

[#24150] Re:KYと言われたら
 めえめえ  - 08/2/7(木) 22:27 -

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   さて、かつて”直言居士””瞬間湯沸し器”の異名をとった私ですが、
現代であれば間違いなく「KY」と言われたことでしょう。
では「KY」と言われたときはどうしたらいいでしょう?

まずは、秋桜さんも同様のことをおっしゃってますが、
「言動を批判されても、人格を批判されたわけではない」ということを
キッチリ自分に言いきかせることです。
この区別ができるようになって、私はずいぶん救われました。

たとえば”変な人”と言われても、それは私の言動(外から見える表現方法)
が”変”なのであって、人格が”変”と非難され排除されてるわけではない
と分かれば、単純に「この表現方法はやめよう」と学習すればよいのです。

実は、定型発達であろうがなかろうが、言動批判と人格批判の区別が
できてない人は、大人でも、社会人でも、意外と多いようです。
でも、整然とした論理ならかえってパターンとして受け容れやすい
自閉系の脳には、むしろ言動への批判と人格への批判を分けて考えることは、
理解しやすいのではないでしょうか。

もうひとつは、上とも関わるけど「悪者探しをしない」ということです。
人間関係で傷ついたりつまづくと、大変、心身ともにつらいですが、
往々にして、互いに善意のつもりでも行き違いということもあるようです。
誰か・何かを悪者にすれば、自分/相手という悪者を責めるという形で
気持ちのおさまりはつくかもしれないけど、行き違いという問題自体は
いっこうに解決しないでしょう。
「KY」と言う相手に対して、「KY反対!」と対抗するのでは、
結局は相手のしてることと同様で裏返しなだけで、安直な”KY批判”に
対抗する、安直な”非KY(定型)批判”になってしまわないでしょうか。

せっかく「KY」という特性を持っているなら、これを逆手に取って、
敢えて空気読まずにサラッと「そうなん、実は空気読めなくてサ」と
言ってみると、意外に教えたがりの誰かがその場の空気を解説して
どうすればよかったかまでタダでコーチングしてくれる場合もあります。
「なるほどね、ありがとう」と言って、経験値にしてしまいましょう。

あるいは、自分も悪くない相手も悪くないけど、タイミングが悪かった、
と、自らタイムアウトする技術も習得しておくと、問題と自分との間に
距離を置く訓練になると思います。

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