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▼ウォルフルさん:
>▼めえめえさん:
>>ちょっと古い本になりますが『やさしさの精神病理』(大平健、岩波新書)
>>など、私としてはかなり参考になりました。
>>この本によると、従来の「やさしさ」がひとの気持ちを推し量って
>>同調しようとするのに対し、若いひとたちが葛藤を抱きがちな”やさしさ”
>>というのは、互いに相手の気持ちを推し量らざるを得ないような踏み込んだ
>>関係を回避する、予防的な、ウォームな心の働きだそうです。
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>敬語の用法と非常によく似た構造を持っているのだなと勝手に推察しました。敬語が社会生活の中で果たす役割というのは、敬語の使用を互いの前提とした上でコミュニケーションを取る事で、他人との距離を置いたり、自他ともに傷つくことを避けるための画期的な用法です。敬語を用いることで未知の相手に対しての礼を尽くすことができるし、それによって未知の相手がふいに懐へ飛び込んでくることを防ぐテクニックでもあるからです。敬語の使用によって互いに相手の気持ちを推し量らざるを得ないような踏み込んだ人間関係を回避する事が出来ます。これに対して砕けた話し方というものは、相手の気持ちを推し量らざるを得ないような、密な人間関係において有効です。
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>しかし、敬語の用法は大抵は気心の知れない相手に対して使うもので、不特定多数の人間が集まる様な社交場で使うものです。要するに大人の付き合いの世界ですね。こうした敬語の構造と似た様な世渡り術が若い人達の間、特に子供の世界にまで必要とされて来ているという処に、子供が子供らしく振舞うことが誰にも許されない社会が到来して来ているのではないかという危惧さえ覚えました。
子どもって自由奔放にいろいろ好き勝手な事言うものなのに、大人の付き合いの人間関係が持ち込まれて定型の子は息苦しい人間関係を過ごしている。
お笑いタレントの「そんなの関係ねぇ」が子どもの世界で流行ったのは、息苦しい世渡り的人間関係。歌舞伎的振り付けの人間関係関係ねぇといい放つタレントの言葉が子ども達の願望にフィットしたからではないか???
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