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▼kwaiさん:
>ただ、私が他者に対して「決めつけ」をする
>のは慎重でありたいだけですよ。
> 私が「避けたい」といった憶測は、「精神的」な
>傾向ですよ。
えーとですね。
ことばの問題かもしれませんが、決めつけはわたしもよくないと思っています。
いったん、決めつけてしまうとあとはもうその人をちゃんと見ようとしないと
いう感じが漂います。
でもわたしにとって憶測と決めつけはまったく違います。
理科の実験でまず最初に仮説を立ててそれを証明しようとするようなものというか……。
憶測してもそこからさらに相手と向き合う作業は続きます。
肉体的なことに関する憶測以上に精神的なことに関しての
憶測、推理、仮説はわたしが子供と向き合うに当たって必要なことです。
憶測はわたしには相手を悪いと決めつけないために必要な作業です。
“わたしの子供はものすごくわがままに思える。
しかし、きっと何か理由があるに違いない。
わたしの子供には母親のわたしが疲れているという想像力が
欠けているのかもしれない”
というような……。
非常に単純な例ですが……。
わたしの一番大きな憶測(仮説)は人間性善説です。
> 実際、私も自閉児と接する事がありますが、コミュ
>ニケーション障害があっても、「心」は我々と同じ
>ように持ってるんですよ。だから時々、私は改めて
>「心」とは、「魂」とは何かを考えます。
わたしも魂について考えます。
わたしにとって心と魂は違うものです。
>「生き方」とか、親の生きる姿勢って、子供に
>とっては何より得るものが多いと思いますよ。
そうでしょうね。
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