アスペルガーの館の掲示板

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[#24328] 理解を得ること kocon 08/2/14(木) 17:51 [未読]

[#24334] [投稿者削除] [未読]
[#24342] Re:理解を得ること kocon 08/2/15(金) 0:32 [未読]
[#24353] [投稿者削除] [未読]
[#24396] Re:自分で自分を知る kocon 08/2/16(土) 8:03 [未読]

[#24334] [投稿者削除]
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   この書き込みは投稿者によって削除されました。(08/3/21(金) 22:39)

[#24342] Re:理解を得ること
 kocon  - 08/2/15(金) 0:32 -

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   ▼じゅんこさん:

はじめまして。返信ありがとうございます。

>だれもレスをつけてくれなかったらどうしよう?
>逆に私のスレッドのせいで、掲示板が荒れてしまったらどうしよう?
私も普段は怖くてスレッドを立てることなどできません。
ただ、どうしても意見を聞かなければ前に進めない、と思ったので思い切ってスレ立てさせていただきました。
でも、こうしてレスをいただけるまでは不安で不安で後悔ばかりしていました。

私の質問はいつも曖昧になってしまうようなので、こうして逆に質問をかえしていただけると、むしろ私自身内容を整理できてとても助かります。
ただ、文章があまり得意ではないため分かりづらくなってしまったらすみません。

>どんなリアクションを期待
おそらく、同情や共感のようなものを期待していたのではないかと思います。
あるいは、もう少しこの症状についてつっこんで欲しかった、つまりこの症状ひいては私自身に関心を抱いて欲しかったのだと思います。

>その傾向は自分にもある、そして、他の誰にでも大なり小なり見られる傾向なんじゃない??
>という解釈をしているということのように感じたのですが、どうでしょうか?
おそらくその通りだと思います。
この発言をした時の相手の意図が掴みかねたのですが、おそらく後に続く「たいしたことない」という発言の布石となる考えを提示しているのだと思い、はじめのショックを受けてしまったのだと思います。
そしてその度合いが問題だという私の発言に対して、「たいしたことない」とあっさりいえてしまう相手の神経をうたがってしまったという流れになります。
私は常識的な考えができる人間ではないので基準にはなりませんが、もし私が友人から何がしかの障害と名のつく症状があると相談されたら、「たいしたことない」などという発言は絶対にしないと思うからです。

>koconさんご自身がご自分がASかもしれなくて、そのことを悩んでいると理解してもらいたいということですか?
そういうことになると思います。私とその友人には似た傾向があり、しかしその友人の方が私がクリアできないことをクリアしているという点があります。
そのため私は友人に対して多少の劣等感を感じ、常にどうして自分にできないのかと悩んでいたという事実もあります。
そこで友人に私がASであることを認めてもらうという事は、友人には出来て私にはどうしてもできない事が存在するという照明になる、という考えがあったからのようにも思います。

>そのお友達もきっと、koconさんと同じように悩んでいるんじゃないかと思っていたのに、「たいしたことじゃない」とさらりとかわされてしまってショックだったということでいいですか?
そういう意味合いもあるかと思います。
ただ、友人は私と違い自己肯定ができ、また友人との関わりを積極的に持とうとしたり、共感を強く求めたり、その基準が健常者のそれとさして変わらない(面白いと思うものが一般的であるという意味)という点が私と異なります。
なので、私の悩みと友人の悩みは必ずしも一致しないであろうことは想定内でした。ただ、まったく共感を示さないばかりか、たいしたことがない=私の症状に関心がない=私自身がどのような人間であるかに関心がないという思考になり、ショックを受けたのだと考えます。
私自身は、他人と関わること(雑談したり食事をしたり)にはほとんど関心はありませんが、相手がどのような人間であるのか(思考パターン、感情表現の仕方など)を分析することには大いに興味がある人間なので、友人も同じように私の思考や状態に関心をもってくれるのが当然であり、それが友情表現だと解釈する仕組みになっているようです(ということをこの文章を書きながら気がつきました!)

ただ、これまでの経験から多くの健常者が人との関わりにおいて相手がどのような人間であるかよりも、どのような情報を共有できるかを重視していることも理解しました。
友人も、私がどんな人間であろうと一緒に楽しめる情報を共有できればそれでいいと考えているのでしょう。
それはありがたいことでもありますが、単に共感して愉しむだけのやり取りを求められる場合はストレスを感じてしまうという問題があります。


>「ただのしりあい」というカテゴリーにおさめて…
なるほど。私も今後このカテゴリーに分類する人が増えていくことになると思います。
私は多くの人が好むように思われる、同一の情報と感覚、感情の共有に関心がないためいつも議論を求めてしまいがちです。
ただこれは、共感できる人があまりにも周囲に少なかったため、必然的にそうなったのではないかと思います。
こうやってASの方のご意見を伺ったり、体験談を読むのはとても参考になり、ためになると思えるからです。

友人との関係を今後どうするかは、まだ決めることはできませんが、お互いが不快にならない距離のとり方を考えていこうと思います。

この度は返信ありがとうございました。
ご質問いただいたおかげで、考えを整理することができました。
長文になってしまい、申し訳ありません。

[#24353] [投稿者削除]
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   この書き込みは投稿者によって削除されました。(08/3/21(金) 22:39)

[#24396] Re:自分で自分を知る
 kocon  - 08/2/16(土) 8:03 -

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   ▼じゅんこさん:
こんにちは、お返事ありがとうございます。
レスをいただいていたことに気がつかず、お返事が下と前後してしまいました。
すみません;

私もこちらでは、書き込む人も読む人も文章と表現しようとしている内容の乖離をある程度想定して交流していると感じ(健常者社会での空気を読むとは違った意味で)、日常の場よりもとても接しやすい、理解しやすいなと感じています。

以下はお返事なのに自分分析ばかりになってしまったので、お時間のあるときにでも目を通していただけますと幸いです。


>保護者さんご自身が、自分の子育ての進む方向を決定して、前に進み出せるような場になればいいなぁと思っています。
とても大事なことだと思います。
私の親は私が幼い頃から他の子供と異なっている事に気づいていながらも、個性として特に何の対応もしませんでした。
個性であることは間違いありませんが、大きくなるにつれ周囲との差異に私が不安を感じても「それはお前の個性だから、みんなと同じでなくていい」と繰り返すだけで、なぜ違いがあるのかや周囲になじめない理由を考えてくれようとはせず、また「みんなと同じでなくてよい」と言う口から「なぜ皆と同じことが出来ないのか」ととがめました。
おそらく両親も戸惑い、その責任を夫婦でなすりつけあったり、私を怒鳴ることで解決しようとしていたのだと思います。
その結果私は両親への関心を失ったのですが、これは両親が今でも私を心配してくれる様子をみて残念なことになったと思います(私の方に両親の感情に答えようとする意欲がまったく生じないので)。
なので、ASのお子さんをお持ちの親御さんへのケアは、是非早期に充実させてほしいと思います。


>答えは与えられるものではなく、自分で見つけだす
お言葉の通りだと思います。
私自身長年自分がなぜ周囲とずれてしまうのか、その答えをずっと求めてきました。
「ありのままでいい」「気にしすぎ」などといわれても、その原因を探らなくては気がすまないのです。これは多くの失敗をし批判に晒されてきたからというよりも、単純な探究心なのだと思います。
「そんなことを気にしていては生きていけない」と人は言いますが、私にとってはちょっと大げさですが「それを解明できないのなら生きている意味はあまりない」のです。
こうしてASを知ることが出来たのは本当に幸運だったと思います。


> 議論って、やはりバトルみたいになってしまいませんか?
なりますね…。
お互いに感情を廃するという条件を整えなければ、答えを導き出せる議論はできないと思います。
健常者の多くが、感情を廃したやりとりそのものを求めない傾向にあるように感じるので(おそらく機械的に整理された言葉の端々から言外の意味を読みとろうとして疲れたり傷ついたりするのだと思いますが)、議論をする際にはあらかじめ互いを傷つける意思がないことを明示する必要があるのだと思いました。

>この不確かな空気
これについてはまだよくわからないのですが、私の感じる不確かな空気は”人が私のことを知ろうとして何がしかの信号を発信し、それを感じ取った私が触覚過敏同様の反応を示して警戒する”という現象なのではないかと考えています。
その理由として、非常に社交的で友人を多く持つ人と相対するとき、そうした相手のひととなりを全く知らない初対面であっても私の感覚が強烈な警戒反応を示し、また内向的な人と同等の条件で相対する場合にはリラックスできる、というパターンが私の経験上成り立つからです。
もちろんこれは仮説ですし、他にもいろんな条件があるかと思います。


>少しずつ、みんなが自分の思いを伝えあえるように、互いに調整しあい、相互理解を深めていきたいと思います。
>こういう努力が子どもたちへの最大のメッセージになるんだと信じています。
大賛同です。
健常者同志でも互いを理解できないことはよくあることで、それは情報の共有や共感をより求める人たちにとってはとても悲しくつらいことだと思います。
共感することだけが愛情表現ではないこと、これを伝えられるのはASの人ならではなのかもしれませんね。
じゅんこさんの努力を知り、私もなにか人の役にたちたいと感じるようになりました。
ありがとうございます。

長くなってしまいすみません。
ただ、私の体験がじゅんこさんや他の方の今後の活動に少しでも役に立てたらと思い記させていただきました。

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