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▼温室さん:
>こんにちは(^v^)
>とても興味深い内容でしたので、私も少し参加させて頂きます。
こんにちは。よろしくお願いします(^-^)
>私にとっての我が子は、やはりこれからの日本を支える若者の1人として
>社会貢献して欲しいので、そのためには、どうしたら参加しやすいのだろう等を
>考慮しながら、お互いに引いたり押したりと、意見を交わすようにしています。
親として同じ思いです〜。
定型の子に対しても、同じ思いを抱くと思いますが、より丁寧に
「どうしたら参加しやすいのだろう」という視点をもって見守ることは
重要ですね。
生まれつきの困難さがあると思うとつい過保護になってしまうので、私と
しては過介入にならないよう自戒することが多いです(^^;;
>息子には、ちょっとリアルですが、自分が行なう行動についての
>社会的結末を事前に伝えたりして「考える」という事をしてもらっています。
>
>自分がしてしまった事の『責任』を考えてもらうんです。
『責任』も大事なキーワードですね。
結末を予測できずに行動して、『責任』だけ降りかかってくる経験ばかりだと
被害的になりがちですもの。
自由には責任がつきものということも、発達に応じて確認していく必要が
ありますね。
>実際現実の話を、淡々としているだけなので
>最近は、そんな自分に慣れている事が、ちょっと複雑です。
以前、日本では共感をベースにしたしつけ・道徳教育が主流だった、という
説を読んだことがあります。この手の手法はかつての私には理解不能でした。
幸か不幸か、私の親はルールやフェアか否かという二者択一的なしつけ方を
とっていたのでわかりやすかったです(でも融通は効きづらいです)。
>近くにいると、知らず知らずのうちに、我が子に合った方法で行なっています。
&
>なのでスキルを獲得するまでの過程が、大事だと思っています。
そういう風に、自然に我が子に合った方法が選べればいいな、と
しみじみ思います。
定型の子は、言葉は悪いけど少しぐらい乱暴な取り扱いをしても、
自己修正が効きやすい(らしい)ですが…どうなんでしょう。
親子の信頼関係が根っこにある、という点では同じかもしれません。
自閉度の度合いにもよるのでしょうけど、人間関係の練習は
真っ先に親子関係から始まりますものね。
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