|
笛です。
>療育、教育の目的は、おそらく「冷淡に思われないような態度」つまり
>あたかも心の理論があるかのように反応するスキルを身につけること、
>かもしれません。
それが私の理解です。
ですから、「あたかも心の理論があるかのように反応するスキル」を身につけるための目的を十分に理解していないと、
これまた自己評価が下がると思います。心の理論がないことは良くないこと・劣ることだから、と認識してしまいますから。
>ただ、インタラクティブでないとしたら、自閉症を持つひとが生きやすく
>なりたければ勝手にスキルアップして一般社会に行動形式を近づければいい、
>ということになって、理解を求める啓蒙活動など必要ない、という極論に
>なりませんかね。
どうでしょう。
「あたかも心の理論があるかのように反応するスキル」を身につけるのは非常に困難で、エンドレスの努力であり、成功していない部分も多く、
それによって自己評価が下がってしまう可能性があることを考慮すると、
定型発達の方々の側からの自閉症者を理解するための努力は必要なのではないでしょうか。
自閉症で使いにくいからという理由で簡単に切り捨てることが出来るような組織でしたら別ですが、多少なりとも関らなければならない場合、
定型発達の方々が自閉症について理解しようと努力する事は、結局は定型発達の方々にとって利益になると推測します。
>だって、自閉症者が完全に自己完結していて、反応に反応しないのなら
>(そういうひとも中にはいるかもしれないけど)、ほめる必要も叱る必要も
>なく、理解する必要もないのでは?
ほめる必要・叱る必要については私にはわかりません。
必要に関係なく、定型発達の方々はこういう事を日常的に行っているようですし、
私にはほめられてるのか、もしそうならなぜほめているのかわからないことが多いからです。
同じ職場の方は、「仕事でほめられるとやる気が出る」と言いますが、私には理解できません。
>実は、私は、心の理論がある、という感覚がわからないです。
>心の理論があると、何かメリットがあるんでしょうか?
>健常者の人だって、KYとか、人の気持ちを読み違えたり深読みし過ぎて
>うまく伝わらないとか、悩むこともあるじゃないですか。
心の理論がある場合のメリットは、それがない私にもわかりません。
ただ、定型発達の方々で空気が読めない等のコミュニケーションの問題を抱えている場合は、
コミュニケーションのトレーニングを受ければ随分と改善されるのではないでしょうか。(あくまでも私の推測ですが。)
心の理論がないわけではないのでしょうから。
>多分、心の理論といっても、けっこうアバウトなんじゃないですか?
自閉症を自閉症たらしめているものですから、アバウトではないと私は考えます。
>自閉圏の人の考える道筋の方が、たしかに心の理論をバイパスしている
>かもしれないけど、私にとっては、定型発達の極めて流動的であいまいな
>基準よりわかりやすいし、優れている点もあると思っています。
私には心の理論が欠落していますから、これはわかりません。
ですから優れているのかどうかは不明ですが、歴然とした「違い」はあると考えます。
>でも、相互理解が完全に不可能と思いたくも、思われたくもないです。
>なにかしら手掛かりがあるのでは?という希望を捨て切れません。
これは「希望」ということで了解しました。
希望ということでしたら、なんでもありだと思います。
色々と疑問にお答え下さり、ありがとうございました。
|
|