|
▼笛さん:
>それが私の理解です。
>ですから、「あたかも心の理論があるかのように反応するスキル」を身につけるための目的を十分に理解していないと、
>これまた自己評価が下がると思います。心の理論がないことは良くないこと・劣ることだから、と認識してしまいますから。
なるほど。
あたかも…という理解は、私の中で何か後ろめたいような、つまり、
「心の理論がないことは良くないこと・劣ること」だから、矯正するという
ことなの?、ありのままの自分・子どもではいけないの?と、反発する
気持ちもあったのですが、単純に生きやすくなるためのスキル、工夫と
考えれば”良い/悪い”や”優れてる/劣る”の価値判断は不要ですね。
>>多分、心の理論といっても、けっこうアバウトなんじゃないですか?
>
>自閉症を自閉症たらしめているものですから、アバウトではないと私は考えます。
私が言いたかったのは、心の理論のあったとしても、やはり0か1かと
キッパリ分かれるものじゃなくて、定型発達といえども濃い/薄いの
ばらつきがあるのではないか?ということです。
最近、私が出会って驚くのは、ちょっとでもひとの気持ちがわかるなら
しないだろと思うような仕打ちをしたり、ちょっとでも想像力があれば
やめようとするだろと思うような犯罪等を平気でするのは、大人も子供も
心の理論を持ち、想像力のあるはずの定型発達の人たちなのです。
*
笛さんとの対話で、自分自身、混乱があることがわかってきました。
私は自閉脳の持ち主(検査と生育歴から医師に言われました)ですが、
子供の療育等に関わるときは、定型発達の理解や行動形式を擬して
説明したり、対応したりするわけです。
どちらかというと、子供の思考回路や反応の方が私にとっては自然で
予測がつくし、そのままでOKなのに、と内心思いつつ、わざわざ
「心の理論があるかのような」反応を教え込むことで混乱したのでしょう。
同様に、書き込むときに、今自分はどっちの立場で書いてるかが
あいまいになってて、笛さんを混乱させてしまったかもしれません。
ごめんなさい。整理できたら、またお話させてくださいね。
|
|