アスペルガーの館の掲示板

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[#24307] 異文化、でも地球人 めえめえ 08/2/14(木) 9:14 [未読]

[#24524] Re:異文化、でも地球人 めえめえ 08/2/21(木) 0:46 [未読]
[#24533] Re:異文化、でも地球人 08/2/21(木) 14:43 [未読]
[#24582] Re:異文化、でも地球人 めえめえ 08/2/22(金) 23:58 [未読]
[#24588] Re:異文化、でも地球人 08/2/23(土) 11:26 [未読]
[#24651] Re:異文化、でも地球人 めえめえ 08/2/26(火) 17:34 [未読]

[#24524] Re:異文化、でも地球人
 めえめえ  - 08/2/21(木) 0:46 -

引用なし
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   ▼笛さん:
>それが私の理解です。
>ですから、「あたかも心の理論があるかのように反応するスキル」を身につけるための目的を十分に理解していないと、
>これまた自己評価が下がると思います。心の理論がないことは良くないこと・劣ることだから、と認識してしまいますから。

なるほど。
あたかも…という理解は、私の中で何か後ろめたいような、つまり、
「心の理論がないことは良くないこと・劣ること」だから、矯正するという
ことなの?、ありのままの自分・子どもではいけないの?と、反発する
気持ちもあったのですが、単純に生きやすくなるためのスキル、工夫と
考えれば”良い/悪い”や”優れてる/劣る”の価値判断は不要ですね。

>>多分、心の理論といっても、けっこうアバウトなんじゃないですか?
>
>自閉症を自閉症たらしめているものですから、アバウトではないと私は考えます。

私が言いたかったのは、心の理論のあったとしても、やはり0か1かと
キッパリ分かれるものじゃなくて、定型発達といえども濃い/薄いの
ばらつきがあるのではないか?ということです。
最近、私が出会って驚くのは、ちょっとでもひとの気持ちがわかるなら
しないだろと思うような仕打ちをしたり、ちょっとでも想像力があれば
やめようとするだろと思うような犯罪等を平気でするのは、大人も子供も
心の理論を持ち、想像力のあるはずの定型発達の人たちなのです。



笛さんとの対話で、自分自身、混乱があることがわかってきました。
私は自閉脳の持ち主(検査と生育歴から医師に言われました)ですが、
子供の療育等に関わるときは、定型発達の理解や行動形式を擬して
説明したり、対応したりするわけです。
どちらかというと、子供の思考回路や反応の方が私にとっては自然で
予測がつくし、そのままでOKなのに、と内心思いつつ、わざわざ
「心の理論があるかのような」反応を教え込むことで混乱したのでしょう。

同様に、書き込むときに、今自分はどっちの立場で書いてるかが
あいまいになってて、笛さんを混乱させてしまったかもしれません。
ごめんなさい。整理できたら、またお話させてくださいね。

[#24533] Re:異文化、でも地球人
   - 08/2/21(木) 14:43 -

引用なし
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   >>>多分、心の理論といっても、けっこうアバウトなんじゃないですか?
>>
>>自閉症を自閉症たらしめているものですから、アバウトではないと私は考えます。
>
>私が言いたかったのは、心の理論のあったとしても、やはり0か1かと
>キッパリ分かれるものじゃなくて、定型発達といえども濃い/薄いの
>ばらつきがあるのではないか?ということです。

色々と中略しても長文になってしまいました。もしご興味があればお読みになって下さい。
またHPには、更に長文の論文が掲載されていますので、ご参考にどうぞ。

以下で「心を理論の有無についての簡単な検査」と呼ばれているものが、アンとサリーの課題のようなものを指しています。
ですから私は、アンとサリーの課題をクリアできたからといって、必ずしも「心の理論」が備わっているとは限らないと考えます。

福本氏(医学博士)のHP
http://home.u02.itscom.net/fukumoto/hp/shyohyo/archives/asperger.html
抜粋して引用******

アスペルガー症にも幅があり・・・中略・・・
(1)対人関係の重度の障害。特に同年令の子供との相互的やり取り関係がないという明確な特徴を持つ。
(2)言語及び非言語の両面にわたるコミュニケーション障害。
(3)ごっこ遊びなどの想像的活動を楽しまず、代わりに反復的行動をすること。
彼らが対人場面で奇妙(1)なのは、相手の意図を理解すること・相手の視点を共有すること・自分の心の状態を相手に伝えることをしない(その必要性を理解しない)からである。彼らは信じる・知っている・望むなどの相手の心の状態を考えることに困難があり、考えたり感じたりする存在として他人を認める能力が欠如しているようである。アラン・レスリーは、心の状態の理解と彼らに「ごっこ遊びmake-believe play」ができないこと(3)が、指示関係・真実性・実在性それぞれについて「振りpretence」を要する点で論理的に共通していることを示した。認知心理学的に言えば、これはメタ表象の形成-分離過程の障害である。これらから想定された自閉症の障害が、バロン-コーエン・レスリー・フリスらの提唱する「心の理論」の欠損である。
 「心の理論theory of mind」を持っているとは、振る舞い(外部的な事象の状態)と心理(内部的な心の状態)との関係を予測することである。一般に他者の行動は、行動結果に心理的原因を推定する心理化mentalizingの能力によって、論理的なつながりからばかりでなく動機と感情的背景を考慮して理解される。「心の理論」を欠いた者は、行動の背景にある動機や心の機微を除外して、意味を理解しないか自分流の「規則」を当てはめて機械的な対応をする。それはコンピューターのソフトウェアが、予測された事態に対してのみメモリーとプログラムに沿って対応できる硬直性に似ている。自閉症者は、このように制約された行動主義者である。現実への適応は主に直観にではなく、事象或いはそれを抽象した規則の暗記に基づいてなされ、学習の汎化は容易に起こらない。
 彼らの内で「高機能」の者は物の世界の連関を理解するし、全ての人間的な意味が分からないのではない。
(1)純粋な事象・単なるメッセージ(事実)の伝達・単純な命令は理解できる。それらは或る程度学習が可能であり、初めからその能力を有する者もいる。それに対して、
(2)意図のコミュニケーションでは、受け手は情報を相手の心の状態に関連させて伝えられた情報を評価すること、すなわち相手の立場に立って意味を把握することが必要だが、彼らにはそのような直観が欠けている。
・・・中略・・・
 一方、自閉症児の感情表出は、誰にでも通じる一般的な表現を用いず、自分だけの特異的な表現を用いる点が特徴的で、その子の親でも彼らの状況を判断できないことが非常に多い。それは特定の場面に密着して符丁のように用いられ、彼ら自身にとっても通常の言語と同じ使用価値を持っているかどうか不明である。
・・・中略・・・
適応が進むと、「心の理論」の有無についての簡単な検査にパスするようになることもある。彼らは青年期になると、自分が閉め出されている対人交流の世界があるらしいことに気づく。しかし、その先の理解と参加は容易ではない。

******引用終わり

[#24582] Re:異文化、でも地球人
 めえめえ  - 08/2/22(金) 23:58 -

引用なし
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   ▼笛さん:
>福本氏(医学博士)のHP
>http://home.u02.itscom.net/fukumoto/hp/shyohyo/archives/asperger.html
>抜粋して引用******

ご紹介ありがとうございます。
ちょっと、私には難解で、なかなか意味がとれません。

「アスペクト盲」(視点の転換ができない)というのは興味深いですが、
ウィトゲンシュタイン自身が自閉症を想定して定義したというわけでは
ないですよね…?
笛さんには十分納得いく文章なのでしょうか。

>適応が進むと、「心の理論」の有無についての簡単な検査にパスするようになるこ>ともある。彼らは青年期になると、自分が閉め出されている対人交流の世界がある>らしいことに気づく。しかし、その先の理解と参加は容易ではない。
>
>******引用終わり

「自分が閉め出されている対人交流の世界があるらしい」ことはわかるけど、
その交流の根幹が 『判断よりもっと自然な直観的理解』 となると、もう
お手上げです。
個体差はもちろん、文化による差もあるだろうに、”もっと自然な”と
言える直観的理解って、定型発達のヒトはものすごい共通言語を
もっているのですね。すごいなー… 

行動観察して、『他者の心への直観を保留して、その状態(意味)を行動的
指標の論理操作すなわち計算(規則の適用)で規定できるか』模索した、
ウィトゲンシュタインにすごく親しみを感じます。
対人交流の世界に直観的理解が必要なら、閉め出されて幸いかもしれません。

[#24588] Re:異文化、でも地球人
   - 08/2/23(土) 11:26 -

引用なし
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   ▼めえめえさん:
>「アスペクト盲」(視点の転換ができない)というのは興味深いですが、
>ウィトゲンシュタイン自身が自閉症を想定して定義したというわけでは
>ないですよね…?

ウィトゲンシュタインは、今まで統合失調症であったというのが通説となっているようですが、
福本氏がこの論文で、ウィトゲンシュタインはアスペルガー症候群だったのではないか、
ということを、彼の著書や伝記、記録等から、推察しています。
この論文で、彼の偉業は、定型発達の人々の発想ではあり得ない思考方法や論説方法があったかれこそである、と考えています。
「アスペクト盲」とは、「心の理論」が欠落している事に起因する状態のひとつですよね。

>笛さんには十分納得いく文章なのでしょうか。

「心の理論」というものを具体的に理解するためにかなり助けとなりました。
非常に面白いと思いました。

>「自分が閉め出されている対人交流の世界があるらしい」ことはわかるけど、
>その交流の根幹が 『判断よりもっと自然な直観的理解』 となると、もう
>お手上げです。
>個体差はもちろん、文化による差もあるだろうに、”もっと自然な”と
>言える直観的理解って、定型発達のヒトはものすごい共通言語を
>もっているのですね。すごいなー… 

「判断よりもっと自然な直感的理解」が「心の理論」の備わっている人々にはある、ということですよね。
本当に不可解な世界です。

>行動観察して、『他者の心への直観を保留して、その状態(意味)を行動的
>指標の論理操作すなわち計算(規則の適用)で規定できるか』模索した、
>ウィトゲンシュタインにすごく親しみを感じます。

私も非常に魅力的だと感じました。

>対人交流の世界に直観的理解が必要なら、閉め出されて幸いかもしれません。

私も同感です。
私にとって定型発達の世界は、(経済活動等のために)出かけて行く所であって、
定住する所ではありません。

[#24651] Re:異文化、でも地球人
 めえめえ  - 08/2/26(火) 17:34 -

引用なし
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   ▼笛さん:
>>対人交流の世界に直観的理解が必要なら、閉め出されて幸いかもしれません。
>
>私も同感です。

実際、直観的理解力の足りなさを補完するため、迂回路を発動するには
脳みそフル回転させないと、で、すごく疲れるのですが…
定型発達(と思われる)の家族と生活を回していくには、
しょっちゅう緊張状態があるわけでして。

閉め出されて幸い、ってのは、まあアレです、私の場合、
「酸っぱいブドウ」的な負け惜しみも多分にあるかもしれません。
こういう心理を、「合理化」っていうんですよね?

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