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▼まりりこさん:
>私は、自分を守るために、相手が私に対して言った言葉を「攻撃」と受け取りつまり「否定された」ものだと捉えていた。
私もそういうところはあります。
ですけれど、自閉症を知る以前よりは、気にならなくなりました。
親の会の活動でボランティアに来ていた成人当事者の女性が、
「否定されることは、他人が否定されていても痛いと感じる」
と、おっしゃってました。
相手の痛みを感じる優しい心 とも思えますけれど、
それとはまた別なもの…とも思えます。
>「否定」と捉えないよう受け取るには時間はかかるかもしれない。
>でも、やっぱり人と仲良くやっていきたい。
時間はかかると思いますよ。
でも、世の中否定語だらけです。
私は子供達のために、周囲にはなるべく肯定語でとお願いしてますけれど、
社会に出て行くためには、慣れてもらわなきゃ困るかな…とも思ってます。
私たち「親」は、自分の人生経験から、
子どもにとって将来困るだろうと思うことは、
叱り、教えて行きます。
そんな親の愛からくる「叱る」という行為すら、
自閉っ子たちは「否定」と受けとってしまう子もいるようですね。
うちの実家では、私の両親と弟夫婦が同居してますが、
おばあちゃんは、孫かわいさに、寝る前だろうがお菓子を与えたりします。
「おなかがすいてるだろうに、かわいそう」と、言います。
歯磨きをいやがる子に、歯磨きをさせることを「かわいそう」
と、言ったりします。
義妹は、その都度、
「ばあちゃん。『かわいそう』と言って叱らないことが、かわいそうなんだよ」
と、言ってます。
義妹のこの言葉は、
私は、けだし名言だと思ってます。
人が人に忠告や、厳しい言葉を投げ掛けるとき、
それは、いつもいつも「嫌」「負」の感情とはかぎりません。
私も、仕事場で叱られることはあります。
今日も仕事で一緒だった方が、入ったばかりのときによく仕事をした方で、
「当時はよく叱ったっけなあ」
と、しみじみおっしゃってました。
私も、当時は、
「この人は、気分で私を怒ってるんだ。他の人には優しいのに…」
と、恨む気持ちもありました。
仕事が身についた今は、たくさん叱られたことがありがたくさえ思ってます。
「人は、言われるうちが花」ってことかもしれませんね。
「好き」の反対は、「嫌い」じゃなく、実は「忘却」「無視」なんだとか。
誰かから、好かれるのは嬉しいです。
嫌われるのは悲しいです。
でも、誰からも無視されて相手にされなくなるのは、もっともっとつらいと思います。
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