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早速ですが:
▼わるなすびさん:
>パニックを起こしているときに、他人が気をそらそうと「かわいいぬいぐるみだね」と声をかけると、(すごく大事なものでも)ぬいぐるみを投げつけたくなる
>衝動・・。
>服を褒められると脱ぎ捨てたくなり、自分を褒められると死んでしまいたくなる・・。
>
>こんなことないですか?
>私だけかと思っていたら、もう一人いました。
>これを説明する言葉ないですか?
実はですね、私も経験があります。
幼児期のことでうろ覚えなのですが、病気で入院中だったということもあり、よほど虫の居所が悪かったためにこのような行動に出たのでしょう。
私の場合は、身体障害のために4歳の誕生日(1967年5月)を迎えても歩くことができず、ようやく歩けるようになったのは1967年の9月ごろだったと思います。
このときに、「ようやく歩けるようになってよかったね。」とほめられたにもかかわらず、やたら機嫌が悪くなって、せっかく買ってもらった三輪車を転覆させた、ということが、今もかすかに記憶の片隅に残っています。
(本当は忘れかけていたのだが、わるなすびさんのコメントで思い出しました)
蘇った記憶を仔細にたどったところ、「ほめられたのか貶されたのか解らない」状況にあった、という記憶も蘇ってきました。
(引用順が逆になりましたが)
>お母さんたちは「なんで我が子がそんなことをするのか理解できない」と心理士さんに尋ねることが多いんです。
>
>たまに心理士さんでも分からないことがあるみたいなのです。
>でも、そういうことに限って「私にもある・私にもあった」ことなんです。
なぜ「親でも理解できない」のか、その最大の理由は「コミュニケーションに困難を感じる人がいる」という状況を認識できていないからだと、私は考えています。
歩くことすら困難な身体障害者の存在は知ることができても、あるいは身体障害者が感じている苦しみを気の毒に感じることができても、コミュニケーションは人間にとっては歩くことよりもさらに身近なことであるため、コミュニケーションに困難を感じる人がいるということ自体、意外に感じる人が多いものと察せられます。
言い換えれば、歩くことが不可能だという状況は想像できても、コミュニケーションに困難を感じるという状況は想像しにくい、ということでしょう。発達障害が「最も外部に見えにくい障害」と言われる所以です。
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