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書き込みありがとうございました。返信が遅くなって申し訳ありません。
書き始めては途中で電話がかかってきたり、いろいろ邪魔が入って、
考えがまとまりませんでした。
笛さんとさるたこさんの嬉しいと思うことを教えてくださってありがとうございます。笛さんの「嬉しい」は、やはりどちらかというと他人との関係の中で生まれるというよりは、自分の望みがかなったり、自分の環境が心地よかったりということで、ボーダーとおっしゃるさるたこさんは、定型に近い感覚なのかな、という印象を受けました。
さるたこさんが書かれていた、
>ただ、家では普通に喜んでいても、学校の様に束縛された場所になると、なかなか嬉しさを表現できなくなります。
という点も笛さんとは若干違いますね。笛さんは悩んで反応できなくなるんじゃなくて、あくまでも普通に振舞っているにすぎないということでしたよね。
うーん、ひと口にアスペと言ってもさまざまということなんですね。むずかしい!
さて、今度は、私が笛さんからの質問に答える番ですね。
> 幸せだと感じるのと、嬉しいと感じるのは、同じことですか?似ていますか?
「幸せ」と「嬉しい」は重なる部分があると思います。嬉しいと感じているときは、きっと幸せだとも感じているのではないかと思います。
でも、幸せは「幸せだと思う」というふうに頭で考えることもあります。
たとえば、うちはボロい貸家ですけど、ホームレスの人のことを考えれば、
雨風がしのげて、お風呂にも好きなときに入れて、十分幸せだよねと思います。
だから、「嬉しい」→「幸せ」だけど、必ずしも「幸せ」→「嬉しい」じゃない
という感じでしょうか。
次の質問は、タイトルを変えてもう1つ別にぶら下げますね。
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