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▼じゅんこさん、こんにちは。
>過保護・放任ということですか。
すみません、過保護と放任では、逆の意味のように感じるのですが…。
ウチの場合、ただただ放任で、好き勝手させてくれ、お金も出してくれました。
門限などもなかったけど、遅くなったから迎えにきて、というと迎えに来てくれました。
でも、子どもって勝手なもので、あまりにもユルユルだと愛されているという実感が持てなかったりします。
友人はみんな門限があるのに、ウチは心配じゃないから門限ないのかな?と思ってました。
実際、信頼感半分・門限守らせるのが面倒なのが半分、という感じだったんだろう、と思います。
子どもにくどくど言うのは嫌だから、迎えに行ってやればいいや、みたいな感じだったんでしょう。
親に愛されているという実感がないって、寂しいですから、子どもにはそういう思いをさせたくない、という思いが強いです。
愛情不足感を感じないように育てるためには、全くの放任よりは、「ある程度は」(過保護・支配的にならない程度に)手をかけてあげたほうがいいのでは?と思っているのですが、いかがでしょうか?
>きっと、ご両親から「言われたからやる」ことがいやだったということなんでしょうか。ご両親は、あなたに意見を言うことはあっても、それに対する反発が大きいので、言うのをあきらめて放任、勝手にしなさい・・・という感じですか?
>でも、もっと積極的に甘やかして、明子さんの言うとおりにさせてくれたということですね。
そうですね、後者に近いです。
私は反発するというより、「フン、親の言うことなんて…」と親の意見を軽視する気持ちが強かったです。
こういう気持ちを意識したのは、小学生のころからです。
支配的な親に育てられると、ACになってしまうかたもいますよね。
ウチの親は、真逆です。
でもそれも、先ほども書きましたように、愛情を感じられず子どもは寂しいのです。
>そしてご両親の言うことに耳を傾けなかった明子さんが、自省をこめて、自分の子どもには親である自分の言うことを聞けるような子になってほしい・・。と思っておられるということでいいですか?
何でもかんでも親の言いなりになってほしいということではなくって、親の意見に耳を傾けつつ、自分の意見をシッカリ持てる子になってほしいんですよね。
>親の言うことを聞いても失敗するときはありますので、親の言うことを聞かなかったせいで失敗したのではないと考えられたほうがいいかな〜と思いました。
そうですね。
私自身も発達障害の傾向があるので、そのせいもあるんです。
要するに、自分自身のことがよくわかっていなかったんですね。
失敗はもちろんしてもいいとは思うのですけれども…自分自身のことはなかなか客観的にはわからないので、親や大人の意見に耳を傾けられると、より自分のことがわかるのではないかな?と思うのですが、どうでしょうか?
私は若い頃は親だけでなく周りの大人の意見も聞けませんでしたので…それがいいとはどうしてもいいと思えず…。
今はずいぶんマシになりましたし、どちらかというと、我は強いほうなので、それなりに人の意見を聞きつつも自分の考えを持てるようにはなってきてはいます。
こういう掲示板を読んでいても、周囲の意見に耳を傾けられるって大事なことのように思うし、それは親子関係の影響とも無関係ではないのかも?と思っています。
それに、思春期に大人の意見を全く聞けなくなり、家庭が崩壊してしまうケースも、特に発達障害児の場合比率的に多いように感じています。
思春期に、たとえ親の言うことは聞けなくても、親以外の大人の意見には少しは耳を傾けられないと、取り返しがつかない事件・事故にもつながりかねない、という思いもあるんです。
発達障害の傾向のある子は特に、私の子ども時代のようなヒネた性格の持ち主よりも、(SILVERさんがよく表現として使われていますが)「指示が通りやすい子」、「素直な性格の子」のほうが、幸せになれそうな気がするんです。
> でも、道路だけはそうはいきません。失敗して大事な命を落とすわけにはいかないです。私は「命の危険がある道路という場所は、どんなことがあっても親は手を離してくれない」ことをお子さんが経験していくことが大切じゃないかな?と思いました。叱責はいらないのです、どんなにストレスであってもそこが親の我慢するところであり、少しでも手をつなぐことができたら、「安全に気を付けて歩けたこと」を思いきり喜ぶ!!!ことを、ちまちまと繰り返していく。
ここは絶対!と思うところでは、私もじゅんこさんと同じような対応をしてるのです。
ところが、車の往来が少ないところでは私の対応が一貫していないんですね。
「この子は歩くのが苦手なんだから、このくらい車が少ない道路なら、少しぐらい走らせてもいいだろう」という気持ちがあって、そこを子どもが見抜いているのかもしれません。
こういうところが、自分の親に似て、「甘い」んでしょうね。
じゅんこさんは以前親の支配的な行為について発言されてたと思うんですけど、私は自分の育った環境から考えて支配的な親にはなれないと思っています。(ならないという自信があるということではなく、もちろんなりたいわけではないですが、もしなりたくてもなれないということです)
私の場合、「どうしたら支配的な親にならないか」はほとんど考えることはないんですが、どうしたら子どもに愛情を伝えることができるのか?についてはよく考えます。
でも、じゃんこさんも私も、気をつけているポイントが多少違っていても、子育てで目指しているものは、大体同じなんじゃないかな?と勝手に感じています。
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