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めえめえさん
私からの、
>> めえめえさんは井戸端会議に参加されないんですか? 参加するけど、「無意味な
>> 時間を過ごしてるなー」と思いながら話を聞いている感じですか?
という質問が、めえめえさんへの反論・批判に取られてしまったようで、
申し訳ありません。
自分から質問しておいてナンですが、「不可解」という言葉を
どういう意味で使っていらっしゃるのか確認したかったのでした。
つまり、私のほうがめえめえさんの「不可解」という言葉の使い方に
批判的なニュアンスを「深読み」してしまったのです。
めえめえさんが最初に書かれた「謎です」「不可解に感じます」という
断定からは、
>「自分としては情報がオーバーフローするので苦手である」
というところまでは把握できませんでした。
ここまで具体的に書いていただければ、
>「あー、そういう文化もあるのね」
という受け止め方もできたかと思います。
>> 同じ生活圏で生きている人=自分とだいたい同じ価値観を持っていると考えて
>しまうのはしかたないかなという気がします。
>というのは、私にとっては、正直言うと非常にショッキングです。
>自閉者より一般化の困難さがない、また他者視点ということができるはずの
>定型のひとが、外国に旅行して異文化に触れてもそれほど驚かないのに、
>もっと身近に価値観の差や異文化があった場合、その異なる価値観、文化の
>持ち主から見れば、自分も異文化の中にいる(そして互いに尊重しあう
>ことができる)という演繹ができないのでしょうか。
「定型なら、そういう演繹ができるはず」というのは、かなり定型の人をかいかぶりすぎという気がします。ひとりひとり異なる価値観を持っているとか、お互いの価値観を尊重しようとか、そういう考え方ができるようになるのは教育や学習の結果であって、日本ではそういう教育が圧倒的に足りないと思います。
>あるいは、それほど定型者の世界は”あいまいさ”に満ち溢れている
>ということなのかもしれませんが、だとしたら自閉者のものの見方を
>知りたいなどとおっしゃる理由がわかりません。
>それだけの”あいまいさ”を泳ぎぬけるスキルがあるのでしたら、
>ことさらに自閉者の異文化をこれと問い質さなくても、”あいまいさ”の
>内に包括して理解できるのではないでしょうか?
あいまいなままにしておけるのは、おそらく自分にとってどうでもいい部分、
自分の生活に直接影響がない事柄だけだろうと思います。
私が自閉の方のモノの見方、とらえ方、反応の仕方を知りたいのは、
息子の人生をサポートしていきたいからであり、元夫との関係で「不可解」だった
ことを少しでも理解したいからです。
めえめえさんが「こうです」と教えてくださったことを「そうなんですね」と
そのまま受け止められなかったことを申し訳なく思います。ただ、質問を返したのは決してめえめえさんの感じ方を否定するためではないし、より正確に理解したかっただけだということはご理解いただけると嬉しいです。
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