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▼kwaiさん:
> だから、penpenさんがお考えのように「母親の
>わたしが疲れているという想像力が欠けているの
>かもしれない」とか、そういった仮説を積み重ねる
>のは有効な方法でしょう。
> それに上記の点については、子供には多かれ少な
>かれ「親の疲れ」っていう認識は欠けがちですから。
>難しいのは、ここで親の方が「疲れ」を主張(特に
>感情的に)すると、子供はエゴイズムを振りかざさ
>れたようにとってしまいますからね…。萎縮して
>しまったり、または逆に反発を招いてしまう事も
>ある訳で…上手に伝えるのは、本当に難しいです
>よ。
ほんとうに上手に親の限界を伝えるのは難しいことです。
子供は聴覚認知が弱いようなので視覚認知に訴えようと、
わたしは泣いたり死んだりフリまでしています。
もうやだやだやだとわめきます。
子供は親を叱りつけるだけでは駄目だと長い年月の末に
悟ったようで、ほめる路線に変えて“おかあさん、この間、
すごくやさしかったよね。あれすごくよかった”とか
“この間のごはん、すごくおいしかった。また作って”とか
言いますが、
何と言われようといやなときは絶対いやですね。
>
> 最後にちょっとだけ…
>>わたしの一番大きな憶測(仮説)は人間性善説です。
>この点に関してはここでは言及しないでおきます。
>性善説・性悪説の話しをすると当たり前に長くなる
>から、私。孟子・荀子から始めなきゃ…
哲学の話もそうですが、性善説も誰がどう言ったかについて
語るのは哲学史、倫理論史ということになるのではないでしょうか。
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