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▼アベスさん:
かんりにんです。
>わたしにどりょくしろということばはおおきなふたんです。
>できればそのようなしったげきれいはひかえていただきたいのですが・・・。
そういわれてしまうと あいてのひとも だんだん アベスさんと つきあいたいと おもわなくなって しまうと おもいます。
たとえば わたしは いぜん アベスさんに 「かながきだけの ぶんしょうは かんじかなまじりの ぶんしょうに なれている ひとにとっては よみづらいので、 わかちがきという ほうほうなど、 くふうを してほしい」 という リクエストを しました。
でも アベスさんは それいこうも ながい かながきぶんを かきつづけて いますよね。 わかちがきを してほしい ということも アベスさんにとっては どりょくしろ、 ということに なるのでしょうか?
もちろん リクエストというのは うける、うけないの じゆうが ありますから、 やらないのも じゆうです。 でも じぶんの ようきゅうは だすのに あいての リクエストを うけつけない という たいどは いかがなものでしょうか?
だとしたら、 ちょっと じぶんかってと みられても しかたがないかなと わたしは おもいます。 ともだちが ほしいのなら そういう ちょっとした こころづかいが できるように なれるかは とても たいせつなことです。
>わたしはじゅんすいにともだちがほしいだけなんです。
>だから、あまりむずかしいことはおっしゃらずに、そっとわたしのかたをぽんとたたくような、やさしくわたしをだきしめるようなきもちで、ことばをなげかけてくだされば、とおもいます。
ようきゅうしか ださない、 もしくは そのひとを きづかって アドバイスされても 「でも…」と いいつづける ひとと いっしょに いつづける というのは かなり エネルギーを つかうし、 ふたんが おおきい ものです。 わたしの まわりでも そういうひとは だんだん しゅういから ひとが きえていきます。
アベスさんにとって ともだちというのは どういうそんざい なのでしょうか?
そのあたりを もうすこし かんがえて みてください。
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