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▼ジョンさん:
>手毬さん、ジョンです。
こんにちは。返信遅くなりました。
>しつこくて申し訳ありません。
>おそらく私は最も適したアドバイザーかと思っています。
>私たち夫婦が若い頃たどった道を回避する方法が
>あれば、と願っています。
とんでもありません。忙しい中、ご心配ありがとうございます。
時間がない中、重くネガティブな内容で、負担を感じられたら、すみません。
ジョンさんの投稿、ほかの件につきましても、参考に読まさせて頂いています。
>DV?かといわれれば思い当たる節はありますが、身体的な暴力はありませんの
>で、話が通じないことは、仕方がないのか?と割り切っていますが、子供を手放
>すとまで考えたり、彼に精神的に依存してしまう傾向も無きにしも非ずで、情け
>ないです。
自分自身、気をつけていましたが、言葉遣いが負担をかけるようで不適切でした。「情けない思いで、大人としての責任を忘れがちになります」と付け加えるべきでした。言い訳で申し訳ありませんが、子供の迎え時間が迫っていたので、言葉遣いが投げやりになり、後で思い当たりまして、訂正も含めてお詫びします。
>最初の投稿に「コントロール」とあって、「準禁治産者」という
>用語がでてきたりで、詳しい事情がよく分からないのですが、
>上記の引用にもあるように、ご主人は手毬さんを「支配」しようと
>「意識的であれ、無意識であれ」そう思っている様子に
>見えました。一方、手毬さんもご主人に依存してしまう点の
>指摘もあります。この共依存関係を何とかすると手毬さんの
>自尊心が向上し、「疲れました」という状態から脱出できると
>思います。
彼自身の自尊心の問題につきましては、彼の立場をつぶさない事と、こちらの女性としての意識、社会性が不安定な自覚があることとで、カウンセリングにお世話になることも含めて、考え模索中です。私自身の障碍の特性のゆえのこだわりか、世間的な意味での不適応もしくは適応なのか、手探り中です。
>家内はDV被害の女性のための県の嘱託職員をしており、
>女性はもっと自尊心を持つべきだと常々言っています。
>家内のポリシーは「夫の機嫌を取らない」ことで、現在、
>私たち夫婦は、それぞれ自立した生活を送っています。
>手毬さんが、ご主人から自立した生活を始めると、
>つまり、ご主人の機嫌を取らないとか、自分の食事は
>自分で用意してもらうとか(作るが盛り合わせするのは、
>ご主人が自分でやる)すると、きっと、ご主人は、
>「一体、誰が食べさせてやっていると思っているんだ。」と
>言うと思うのですが、これは、どこにでもある、決まり文句です
>ので、あまり気になさらないようにしていた方がいいと
>思います。
結婚した当初、自分が働いていないこともあり、夫の食事や、家事に気を配ろうとつとめましたが、彼自身、独身生活では、外食や、朝食抜きが多く、朝ごはんにお米を研いでいると、音をうるさがり、生活のリズムを乱される、とストレスに感じられるようで、定食屋のメニューのように出すことと、彼の子供時代のパターンで、出してくれればよい、ということで、出しているうちに、少し慣れてきましたが、作り手であり、家族であるこちらの意向があることには、彼自身、よくわからないようで、彼の望むタイミングに食べ物が出ないと、気に入らないようで、
こちらには、「作りたければ作らせる」か「自分と一緒にいれば一緒に食べてもらう」の感覚があり、彼の場合は、妻の意思には無頓着で、妻が食事を作る事については、こちらの意識が古いと、家庭で食事を作ること自体が嫌いで、彼の意識は、食事の支度に気が利く、利かないではなく、それに関する決め方を握ることが問題で、自分で外食や、支度をすると、落ち着くようです。(わかりにくかったらすみません。)
>自分の食事は自分で作りましたし、
>食器洗い、家の片付けは全てやっていました。
>現在でも、自分の洗濯や自分の掃除は自分でやっています。
彼の意識もそれに近いです。彼自身、自分でしたい意思はあるのですが、かえって妻である私がいることで、彼自身、それを仕方なくゆだねている意識があるようで、家事の仕方については、こちらがこちらのやり方を仕切られ、彼の面目を保つのに、苦労していますが、子育てに関しても、同様の意識があり、逆に、妻である自分は、補助者、の意識でしょうか?彼自身のやる気を支えたい気持ちはありますが、なにぶん、こだわりが強いので、それを受け入れていて、仕切られて疲れました。
>急にそれぞれが自立することは難しいですが、徐々に
>共依存から脱出し、ご主人の「支配」から逃れることは
>手毬さんの自尊心の向上になると思います。現在、「支配」という
>DVのせいで、手毬さんが生きる気力をなくしていることは、
>斎藤学先生が言った「いじめがいけないのは、生きる気力を
>うばうからだ」という言葉に通じると思います。
これも参考までに説明しますと、第3者から見たらDVの最中にいるように見え、自分自身、そう思えば悔しい思いもしますが、彼には、悪意はなく、お互いに自爆している自覚、自分の場合無きにしも非ずで、自分のネガティブな思考パターンやこだわりが、彼のそういった生活パターンを呼んでいるのか、自分がこだわりを捨てて彼を含めた世間に適応するための努力をしているのか、子供にとっては、どういう生活をすればよいのか考えているうちに、はじめの長い書き込みになりました。
私自身の意識としまして、診断を受けてからの子育て、もしくは、家庭に対する意識が、初めて子供を生んだ親御さんの意識、感覚は、どういったものか知りたいと思い投稿しました。子育ての先輩の男性である、ジョンさんが不快に感じられるコメントがありましたら、お許しください。
>
>手毬さんが共依存からのがれ、自尊心を取り戻し、
>明るく生きることができる日が来ると思います。
>そのためには、そうなろうという意識が必要だと
>私は思っています。楽しく笑って暮らせる日がくることを
>祈っています。
依存、に関して、自分自身のことを言いますと、書き込みをして、そういった感情が未分化に感じられるコメントが、また出てしまった、かと、後で気づくことが多々ありまして、結婚前に、診断した医師に、子育て、生活に関しての援助について質問したところ、「人間関係}を理由に家庭を持つことを強い口調で反対されたときのやり取りで、負担をかけることを言ってしまったのか、どうなのか、その医師コメントに「それは差別でしょう}と抗議をしたことが自尊心を保つためのことなのか、パニックに過ぎないのか、トラウマになっていることは事実と実感していますが、自分自身、親になったにもかかわらず、無責任が責任かと、夫に言葉を伝えるに当たって、彼の自尊心を保つにあたって、出しゃばって刺激しないためにも、投げやりかつ甘ったれた言葉に頼らざるを得ない現実があります。
自尊心、という自覚が、自分自身が自覚することと、第3者が感じることがどういう位置づけにあるものなのか、今回の投稿で鏡像として見えました。
笑って、暮らせることは、本当に大事に感じます。相手次第で自分の感情が振り回されないことが必用ですね。重ねてのアドバイス、ありがとうございました。
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