|
>私の場合は、身体障害のために4歳の誕生日(1967年5月)を迎えても歩くことができず、ようやく歩けるようになったのは1967年の9月ごろだったと思います。
>このときに、「ようやく歩けるようになってよかったね。」とほめられたにもかかわらず、やたら機嫌が悪くなって、せっかく買ってもらった三輪車を転覆させた、ということが、今もかすかに記憶の片隅に残っています。
>(本当は忘れかけていたのだが、わるなすびさんのコメントで思い出しました)
>
>蘇った記憶を仔細にたどったところ、「ほめられたのか貶されたのか解らない」状況にあった、という記憶も蘇ってきました。
忘れかけていたのに・・えぐったみたいになってごめんなさい。
私自身もちょっと劣等感が強くて、他人の言葉の真意を探ってしまいます。
「せっかく買ってもらった」と後でなら言えるんですよね・・。
もらえたということ自体には問題はないんでしょうかね・・。
>
>言い換えれば、歩くことが不可能だという状況は想像できても、コミュニケーションに困難を感じるという状況は想像しにくい、ということでしょう。発達障害が「最も外部に見えにくい障害」と言われる所以です。
ホントに見えにくい障害ですね。話がちぐはぐでも聞き流せばそれなりに・・で今までやってこれた私です。
そういえば、私も思い出したんです。
私は小学校2年生ごろから急に人が変わったようになりまして。
体育の話なんですが、2年生まで私はいつも見学でした。
なんで見学だったんだっけ?って思い出したら「この子は生まれつき足と腰が悪くて走れませんし、喘息があるので無理な運動はさせないでください」と母が先生に言っている場面を思い出しました。
なんで今頃思い出すかというと、よっぽど小学校に入ってからが辛かったらしく、記憶が消されているようなんです。
やっと思い出せました。
|
|