|
▼penpenさん:
>▼世捨人さん:
>
>> この人物の精神的な受動性(感受性の粗さと懐疑心の欠如)及無思慮さと、先の例から推測されうる身体的知覚の鈍さとは、もしかするとどこか関係があるのではないのかと考え込んでしまいました。
>
>確かに精神的な感受性と身体的な鈍さはつながっているかもしれません。
>わたし自身、身体的な鈍さはかなりあります。
>熱い寒いに鈍いまたは過敏。
>空腹感、疲労感の自覚に乏しい。
>自分の感情についてもしばしば無自覚です。
>なんだか知らないけれど元気がでない。
>なぜだろうと考えてはじめて自分が悲しいことに気がつくなど……。
失礼ながらそのような状態は、何か我を忘れて没頭なさっているときのことを、描写しておられるのでしょうか。もしそうであるならば、精神的な集中の裏面乃至代償とも考えられなくもありません。
私は思春期の頃から外部との直の接触を避けて、具体的に述べるならば、自室から夕焼空を眺めやたり、好きな本の内容を思い返したりするなどして、自己の気分に浸っていることが多かったのです。その後大学に通っていた頃は、東京都心の車窓が恐ろしくもあり不快ではあったけれども、いつもその光景が自己の意志に反して網膜に深く入り込んできました。殊に高層建築の形が不気味で、しばしば前面と上方から圧し潰されるような驚愕に襲われたものでした。その頃私自身は精神分裂病を疑っていたのですが、今にして思うとこのような視覚的敏感さは、当時の私の視力(右1,5 左かなりの遠視だが0,8)と、何かしら関連があったのかも知れません。そのうえ、自己の体調やその都度の感覚的知覚に引き摺り回されるだけではなく、いつも自己のなんとも形容し難い、漠然とした気分に捕えられていたので、それを何らかのかたちで乗り越えて、何か日常的または現実的な事柄を実行するのは、いつも本当に骨の折れることでした。このような症状も、若しかすると神経衰弱の一種に止まらず、他にも甚だしい低血圧並びに自律神経障害も影響していたのではなかったのかと憶測しているのです。
>
>> なぜなら、私としては、たとえ斜めに生えている親不知歯であっても、一二回抜歯を経験するならば、あのような辛さと痛さを避けるべく、ある程度の歯についての知識を蓄えたり、一日数回の嗽と歯磨きを習慣とするようになると思うのですが。
>
>親知らずを抜くのはなかなか大変ですよね。
>わたしも親知らずを抜くのに半日がかりの手術をしました。
>ところで世捨て人さんは前述の人物とは正反対のかたでしょうか?
全く反対の性格乃至素質であると述べて差し支えないかと思います。例えば日常会話でも、自己の用いる言葉(少なくとも名詞に関して)については、その都度意味内容を思い起こしながら細かい使い分けをしてしまうのです。また、固有名詞の略称や通称を用いるのを好まないので、わざわざ・・百貨店、++鉄道などという正式名称を述べてしまいます。。従って、件の人物のように、果汁と清涼飲料をジュースという一語で片付けるなどは、私の全く思いもよらないことです。
さて、前述の人物は、人の表情等を(不快または上機嫌の程度までは)瞬間的に読み取ることはできるようですが、その印象を既に記憶に存する事柄と関連付けてあれこれと考えることについては不得手であるように見受けられます。ところで、なぜ何本も完全抜歯に至るほど歯の状態が悪くなったにも拘らず、当人が殆ど気にかけていない様子なのは、恐らく痛覚の鈍さが原因ではないかと推測していました。しかしながら、幾度も歯科治療室と待合室で過したであろう少なからぬ時間も、この人物にとって生活習慣と歯の状態との関連への洞察を目覚めさせるに至らなかったというのは、なんとも不可解としか言いようがありません。
|
|