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POLINECIAさんや他の方がおっしゃっている事も間違いではなく、
正解なんですが、私は沢村さんの意見に同感します。
私自身、自分なりに、日々努力をして生きてきましたし、
今後も、いろんな人がいると思いますが、変わらず、子育てを
していこうと思っています。
過敏に反応して、発達障害者に対する暴言を繰り広げている人達に
対して、応戦しようとも思いません。
冷静に、出来る方法で抗議はしていこうと思っています。
しかし、情報というものの怖さを考えると、
生き様を示す事で、周囲に理解されるよりも、情報が固定化してしまって、
それを覆せない状況も起こりえるという事を頭に置いて、行動しなければ
いけない段階があるという事を申し上げたいのです。
マスコミ全部が悪い人ばかりじゃないとか、自分の生き様で解決するとか
論点がズレてしまっているというか、同じものを全く違った方向から見て
あれこれ、論じ合っても噛みあわないですよね。
情報操作の行き着くところは戦争です。
中世の魔女狩りなどもいい例です。人は、本能的に、自分と違う
少数派を排除したいと思うのです。
そして、ある一定の条件が揃うと、普段は、自分との違いを受け入れて
きた層も、排除する側にまわる事があるのです。
本来なら、冷静に判断をする人であっても、多数側の情報に呑まれて
間違う事は往々にしてあるのです。
例えば、ある外人に対する排斥運動や、悪い噂が大きく巻き起こり、
まっとうに生きている外人さんにまで被害が及び、挙句は集団リンチや
殺人にまで発展してしまった現実など、いくらでもあるのです。
これは悲観論ではなく、あくまでも客観的な事実を申し上げたまでです。
>>POLINECIAさん、(フリー)パブリシティと言われる広報戦略が
>>どれだけ威力を発揮しているかご存知の上での発言ですか?
>(中略)
>>少なくとも若年層には使い古されたネタではありません。
>
>仮にパブリシティにそれなりの影響力があったとしても、
>あたしは「別に何もしなくてもよい」と答えるでしょう。
>
>誤解をされないような自助努力を続ける,
>理解と肯定的な態度の促進を進めていこうとする
>報道に対して配慮を求める,
>報道に対して抗議するのいずれの場合も、
>風評被害に振り回されてリアクション(反応)をしてしまう時点で
>既にパブリシティに負けてしまっているとあたしは思っています。
>仮に何らかのリアクションをしていくばくか
>報道や記述がましになったとしても、
>当事者や保護者が世間のまなざしにびくつき
>肯定的な評価を得るのに汲々としている状態が
>よい状態だと申し上げられるでしょうか?
>
>そうであれば、世間のまなざしなどに振り回されずに、
>自らの道を生きていった方がよっぽど有意義というもんです。
>
>>4月というこの時期、22歳や18歳の会社の同僚や15歳の学校の友達と
>>(自身をカミングアウトして)良い関係をつくりつつある人が
>>突然理解者を失っても、訴える先もないんですよ?
>
>これについては、フリーパブリシティの煽動的な情報に
>簡単に感化されちゃう人間が理解者になりうるかということを
>考えればそれで十分なのではないかと考えます。
>要するにそんな情報に振り回されない者だけを友とすれば、
>それでいいのではないか、と。
>
>また、簡単に感化されちゃう人間ならば、
>発達障害という言葉が登場しなくても、
>何らかの理由をねつ造していじめやリンチに走ってしまうでしょう。
>その場合、発達障害の理解と肯定的態度を促進すれば解決する
>という構図は簡単に崩れ去ります。
>(仮に加害者が「相手が発達障害だったから」と供述したとしても、
>それが自他の納得できる説明をねつ造してしまっている場合がある)
>
>いじめやリンチのような問題に対処するのであれば、
>理由のいかんに問わず、
>無条件にいじめやリンチを禁止する法律を制定した方が
>よほど有効かと存じます。
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