アスペルガーの館の掲示板

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[#25833] 「人からどう見られるかわからない」について クロム 08/5/11(日) 10:21 [未読]

[#26053] Re:ちょっと 付け足しです 沢村 08/5/21(水) 6:57 [未読]
[#26059] Re:ちょっと 付け足しです きものひめ 08/5/21(水) 18:51 [未読]
[#26062] 批判する権利 沢村 08/5/21(水) 21:49 [未読]
[#26095] 早まった・・・かも? 沢村 08/5/24(土) 2:04 [未読]

[#26053] Re:ちょっと 付け足しです
 沢村  - 08/5/21(水) 6:57 -

引用なし
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   ▼きものひめさん:
>私は犯罪さえおかさなければOKと思うのですが。
>日本の国民性?なのですかね、周りに合わせるのが良く、個性?が目立つのは悪いみたいなのは。

そういえば10年ちょっと前まで、髪をブロンドに染めてる人は
不良・水商売・芸能人など特殊な人か悪人と見られていたと思う。

極端なミニスカートをはいている日本人は海外の人(特にアメリカ人?)から
コールガールだと勘違いされることがあるらしい。

地域によっては婚前交渉をすると家族から殺されてしまう場合がある。(名誉の殺人)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E8%AA%89%E3%81%AE%E6%AE%BA%E4%BA%BA

テレビでよく上半身はだかの女性の部族がそのまま放映される。
バラエティ番組で日本人女性の場合は目隠し(モザイク)される。

そうした部族の女性が日本で上半身はだかの「正装した」姿で外を歩けば
犯罪だが、その部族の住む場所では犯罪ではない。
その部族の人が日本に来たなら、やっぱり服着るしかない。

その女性が、たとえば日本の職場で「正装」したとしたらどうか?
外から見えない場所であれば厳密に言えば犯罪ではないかもしれない。
でも通常は受け入れてもらえないと思う。

同じ正装でも、ターバン、サリーなどなら日本でも着用を許される。
でも物珍しくみられるのは間違いない。
アロハならもはや普通の範囲かもしれない。

海外の場合、先進国でもビーチでトップレスなのは犯罪ではないことがある。

シャラポワや海外の選手がよくノーブラなのは、
海外でノーブラ文化があるかららしい?

日本でも着物文化では、ノーブラ、ノーパンが当然だった。
ブラもパンツも存在そのものがなかった。

何がいいたいかというと、こだわりが犯罪として扱われるのか、
強い個性として扱われるのか、タブーとされるのか、普通のこととされるのか、
それぞれの文化圏によって様々だし、時代によっても変わるということ。

たとえば、スカーフの着用禁止法案がフランスやスペインで出されたのはつい4年前。
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%95%E3%80%80%E7%A6%81%E6%AD%A2&lr=

日本は島国だからか、移民の受け入れがすごく少ない
(あるいは移民が目立たない)ために、ちょっとでも「普通」を外れると
袋叩きに合うような感覚に襲われるから怖いという感じはしている。

それでも、何を着ようと法律で許容されている国であるだけまだましだとも思う。
(上半身は裸がいいという女性がいたとしたら犯罪者になってしまうけど。)

最近の日本は一昔前に比べたら「普通」の範囲が広がっているようにも思う。

当事者からすれば、だんだん過ごしやすい国になっていくんじゃないかな。
そう考えると、地方よりも都市部に住むほうが住みやすいと言えるかもしれない。


葬儀に黒以外の服を着ていくのは容認されないだろうけども、
そこに主張がある場合は必ずしも風習や慣行に習う必要はないと思う。

光モノは葬儀で敬遠されるけれど、金髪で葬儀に来る人、たくさんいるよね?
黒く染めて来ることだってできるのにね?

髪の色と服装の話はまた違うんだという反論(反論というか、共通認識、多数派の
感覚からくる意見)が来るのは目に見えているけれど、あえてこれ書いてみました。

それで面倒なトラブルになることはある程度避けられないだろうけども、
犯罪ではないわけだから、自己責任の範囲だと思う。

自分の権限でやってることだから、結果の責任を自分でとればそれで十分だと思う。

こうした考えはちょっと過激ですか?


だから、病院に着物を着ていってもいいし、洋服を着ていってもいいと思います。

ただ、着物を着ていくなら、批判を浴びる可能性を覚悟しておくべきだと思うし、
その覚悟がないのであれば、洋服を着ていくべきだと思う。

どちらを選ぶにしても、自分の対処したい方を選べばよいでしょうけども、
「着物を着ていくけど、個人の自由なんだからほっといてもらって当然。」と考える
のであれば、少し虫が良すぎる(自己都合すぎる)と思います。

相手がどう思うかは、自分が何を着たいかと同じだけ自由なはずです。

それに服装は自分の個性としても選んでいいわけだけど、
それと同じくらい、周りの人のためや集団のために選んでもいいわけで。

ユニフォーム(制服)などはまさに集団のためのものですよね。

野球の新庄選手が、ユニフォームではないリストバンドをつけて試合に出る
という「個性」が内外から批判を受けて不利益を被ったことも事実ですが、
彼は引退までつけていました。
(一時期はずしていたことがあるかどうかはわかりません)
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1010380505

私はどう思うかですか?

着物を病院に着ていくのは珍しくて(少数派で)おもしろいです。
変だとは思いませんし、迷惑だろうとも思いません。

面白そうだから、今度病院いくときは浴衣でも
着ていってやろうかとちょっと思ってます。


>そして、世間体とか意味がわからないと感じます。

世間体というのはそもそもとらえどころのないものだと思いますが、
特定の「世間」という集団で、多くの人がどう思うか?
ということではないでしょうか。

[#26059] Re:ちょっと 付け足しです
 きものひめ  - 08/5/21(水) 18:51 -

引用なし
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   ▼沢村さん:
>▼きものひめさん:
>>私は犯罪さえおかさなければOKと思うのですが。
>>日本の国民性?なのですかね、周りに合わせるのが良く、個性?が目立つのは悪いみたいなのは。
>
>そういえば10年ちょっと前まで、髪をブロンドに染めてる人は
>不良・水商売・芸能人など特殊な人か悪人と見られていたと思う。
>
>極端なミニスカートをはいている日本人は海外の人(特にアメリカ人?)から
>コールガールだと勘違いされることがあるらしい。
>
>地域によっては婚前交渉をすると家族から殺されてしまう場合がある。(名誉の殺人)
>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E8%AA%89%E3%81%AE%E6%AE%BA%E4%BA%BA
>
>テレビでよく上半身はだかの女性の部族がそのまま放映される。
>バラエティ番組で日本人女性の場合は目隠し(モザイク)される。
>
>そうした部族の女性が日本で上半身はだかの「正装した」姿で外を歩けば
>犯罪だが、その部族の住む場所では犯罪ではない。
>その部族の人が日本に来たなら、やっぱり服着るしかない。
>
>その女性が、たとえば日本の職場で「正装」したとしたらどうか?
>外から見えない場所であれば厳密に言えば犯罪ではないかもしれない。
>でも通常は受け入れてもらえないと思う。
>
>同じ正装でも、ターバン、サリーなどなら日本でも着用を許される。
>でも物珍しくみられるのは間違いない。
>アロハならもはや普通の範囲かもしれない。
>
>海外の場合、先進国でもビーチでトップレスなのは犯罪ではないことがある。
>
>シャラポワや海外の選手がよくノーブラなのは、
>海外でノーブラ文化があるかららしい?
>
>日本でも着物文化では、ノーブラ、ノーパンが当然だった。
>ブラもパンツも存在そのものがなかった。
>
>何がいいたいかというと、こだわりが犯罪として扱われるのか、
>強い個性として扱われるのか、タブーとされるのか、普通のこととされるのか、
>それぞれの文化圏によって様々だし、時代によっても変わるということ。
>
>たとえば、スカーフの着用禁止法案がフランスやスペインで出されたのはつい4年前。
>http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%95%E3%80%80%E7%A6%81%E6%AD%A2&lr=
>
>日本は島国だからか、移民の受け入れがすごく少ない
>(あるいは移民が目立たない)ために、ちょっとでも「普通」を外れると
>袋叩きに合うような感覚に襲われるから怖いという感じはしている。
>
>それでも、何を着ようと法律で許容されている国であるだけまだましだとも思う。
>(上半身は裸がいいという女性がいたとしたら犯罪者になってしまうけど。)
>
>最近の日本は一昔前に比べたら「普通」の範囲が広がっているようにも思う。
>
>当事者からすれば、だんだん過ごしやすい国になっていくんじゃないかな。
>そう考えると、地方よりも都市部に住むほうが住みやすいと言えるかもしれない。
>
>
>葬儀に黒以外の服を着ていくのは容認されないだろうけども、
>そこに主張がある場合は必ずしも風習や慣行に習う必要はないと思う。
>
>光モノは葬儀で敬遠されるけれど、金髪で葬儀に来る人、たくさんいるよね?
>黒く染めて来ることだってできるのにね?
>
>髪の色と服装の話はまた違うんだという反論(反論というか、共通認識、多数派の
>感覚からくる意見)が来るのは目に見えているけれど、あえてこれ書いてみました。
>
>それで面倒なトラブルになることはある程度避けられないだろうけども、
>犯罪ではないわけだから、自己責任の範囲だと思う。
>
>自分の権限でやってることだから、結果の責任を自分でとればそれで十分だと思う。
>
>こうした考えはちょっと過激ですか?
>
>
>だから、病院に着物を着ていってもいいし、洋服を着ていってもいいと思います。
>
>ただ、着物を着ていくなら、批判を浴びる可能性を覚悟しておくべきだと思うし、
>その覚悟がないのであれば、洋服を着ていくべきだと思う。
>
>どちらを選ぶにしても、自分の対処したい方を選べばよいでしょうけども、
>「着物を着ていくけど、個人の自由なんだからほっといてもらって当然。」と考える
>のであれば、少し虫が良すぎる(自己都合すぎる)と思います。
>
>相手がどう思うかは、自分が何を着たいかと同じだけ自由なはずです。
>
>それに服装は自分の個性としても選んでいいわけだけど、
>それと同じくらい、周りの人のためや集団のために選んでもいいわけで。
>
>ユニフォーム(制服)などはまさに集団のためのものですよね。
>
>野球の新庄選手が、ユニフォームではないリストバンドをつけて試合に出る
>という「個性」が内外から批判を受けて不利益を被ったことも事実ですが、
>彼は引退までつけていました。
>(一時期はずしていたことがあるかどうかはわかりません)
>http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1010380505
>
>私はどう思うかですか?
>
>着物を病院に着ていくのは珍しくて(少数派で)おもしろいです。
>変だとは思いませんし、迷惑だろうとも思いません。
>
>面白そうだから、今度病院いくときは浴衣でも
>着ていってやろうかとちょっと思ってます。
>
>
>>そして、世間体とか意味がわからないと感じます。
>
>世間体というのはそもそもとらえどころのないものだと思いますが、
>特定の「世間」という集団で、多くの人がどう思うか?
>ということではないでしょうか。

とても丁寧なご意見ありがとうございます。
興味深く拝見させて頂きました。
お葬式の茶髪は私も以前から、親族の人に失礼にならないのかなとか思ったりしました。この曖昧さがとてもわかり辛いです。
たとえば、茶髪、ひかりものご遠慮くださいとか書いてくれれば、決まりは守ります。
そして私は他人がどう思うかは自由でいいのです。私に強制、批判をしてこなければ。私は他人に服装を批判したり、強制はしません。
だから、私は批判しないのに、人から批判されるとフェアじゃないですよね?

職場にユニフォームがあれば規則に従い着用します。
私の考え間違っているのかな?

[#26062] 批判する権利
 沢村  - 08/5/21(水) 21:49 -

引用なし
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   >そして私は他人がどう思うかは自由でいいのです。私に強制、批判をしてこなければ。私は他人に服装を批判したり、強制はしません。
>だから、私は批判しないのに、人から批判されるとフェアじゃないですよね?

犯罪でなければ良いという考えがあると言ってましたが、
人を批判することは犯罪ではないですから、
きものひめさんの考え方には矛盾があるように思います。

それとも「強制」と「批判」はセットだと思っていますか?
そうであったら、分けて考えると納得いくかもしれません。

きものひめさんにとってフェアってどういう意味なのか私にはわかりませんが、
人が自分の思うことに基づいて他人に働きかけること(批判だったり
注意だったり協力要請だったり、どんな形であれ)それ自体は
その人の言動表現の権利です。

憲法でも表現の自由は認められています。
自由にモノを言う権利は保障されています。
それが虐待などの違法行為でない限り。

権利ですから、言われる方がフェアと思うかどうかにかかわらず、
相手から一方的に発言してよいことになります。

それがエスカレートして、力ずくで洋服に着替えさせたり、
着物を捨てたりするのであれば、それは「強制」になって、
人権侵害的だったり、器物破損罪が適用されるかもしれませんが、
今はそうなっていないのですよね?

であれば、批判の範疇でしょうから、いくら不快に思っても、
言われることは覚悟しておくべきではないでしょうか。

[#26095] 早まった・・・かも?
 沢村  - 08/5/24(土) 2:04 -

引用なし
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   律儀に返答していたきものひめさんからの私への返答がないところを見ると、
どうやら早まってしまったかもしれません。

規則化されていることに判断のよりどころを求めていそうだったので
憲法の話を通して書けば、割とすんなり理解してもらえるかなと思ったのは
私の甘い期待だったようです。

発言のタイミングや表現方法が原因できものひめさんを傷つけて
しまったのであれば、その点は謝りたいと思います。

きものひめさんの文面の様子からして、
厳しめの現実について理解を深めて前進しやすくなるための
絶好のチャンスと思ったのですが。

受け入れ準備が出来ているわけではなかったのか、
それとも受け入れに時間がかかっているのか。
単に時間がかかっているだけならよいのですが。

相手の呼吸や目線が見えないという掲示板の難しさもありますが、
仮にも掲示板という公開された場所で矛盾点を
指摘してしまったのがいけなかったのか、
はたまた、ぜんぜん見当違いなことを私はしてしまったのでしょうか。

でも、判断基準に迷いがある人に対して誰もはっきり言わないというのは
やっぱりよくないと思うのです。

過去、自分の行動についてあれこれと繰り返し言われることは
私にとって拷問だと感じことがあり、近しい人でしたがその人と離れました。
そしてなんとか自分を取り戻せたという経験があります。

私は相手を拒否する形で解決しました。
あまりいい解決方法じゃなかったかもしれませんが、
当時はそれしか考え付きませんでした。

自分の行動は自分の権利でやっていることなので
それについて責任があることを知ったからこそ、
近しい人でしたがキッパリと拒否できたのでした。

無くしたものも大きかったですが拒否して正解でした。

自分の行動に対してあれこれと言われたわけですが、
この時は相手を拒否することで、自分の行動の責任を取ったのでした。

そして、拒否した結果をも当然ながら自分で引き受けたのでした。

「あれこれと言わないで欲しい。」と思って言い合いを続けていても
やはり問題は解決しないと知ったのはその後のことです。

その後で、拒否する以外にもいろいろな解決方法があると知りました。

どのように周囲から言われても、それを止めることはできません。
だからあれこれ言われる覚悟は必要です。

それは憲法でも認められているのですから、
定型発達の人であっても、生きている限り誰にでも
いずれ必要になりうる覚悟です。

少数派と多数派がこの世にいる限り、誰が何をしても誰かから何か言われる
ものであることは、変えられないと思います。
多数派は少数派から言われるということです。

しかし、根気強く理解を求めたり、よい意味で逃れたり、
無視したり、仲介者を立てたり、別のことに注意を向けさせたり、
相手も納得いく理由付けを一緒に探したり、いろいろ手立てはあります。

責任の取り方はいろいろあるということです。

責任を取るというのは、先の書き込みに基づいて言い換えるなら、
相手の表現の自由(批判する権利)に応えるための、自分の表現の自由を
行使するということです。

冗長に書きすぎたかもしれません。

長くなりすぎると説明にあまり自信がなくなってきますので、
このあたりにしたいと思います。

(多分、すごく重要な話をしてしまっていると思うので、
 ちょっと慎重になっています。)

ところで、きものひめさんのつい先ほどの書き込みを見て思ったのですが、
単に着物を着るのが好きというだけではなさそうで、
着物の専門家として信頼できそうな感じがしますね。

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