|
レスありがとうございます。
▼トロイメライさん:
>「○○しなくてはいけない」という義務感が当時の自分を締め付けていたので、その枠を取り払う(「生活を0に戻す」)ことから自分探しを始めたのだと思います。
>
>具体的には、
>○学校にいけないなら行かない
>○家族の相談相手(愚痴の聞き役=親代わり)というストレスの原因である役割から離れ、一人暮らしをし、子供という立場に戻る
>○受験を見送り浪人という選択肢を選ぶ
>
>です。上記のようなことを実行するにあたって様々なしがらみがありましたが、自分の将来を考えると、早く病を治し、本来の自分を取り戻す必要があったのでそのことだけを考えました。そして生活を0に戻し、自分の感情を表に出す準備を整えたのだと思います。母は普通に私の家に来ていました。
義務感でやっていたことをやめたということですね。
事情を汲まない人からすればどれも自分勝手に映る行動ですが
若いうちにやり遂げて大正解だったようでなによりですね。
大人になって家族を持ってからだったらと考えたらもうどれだけ大変なことか。
>>表現は違いますが人生をリセットしたいというような感覚を
>>持つ人は世間一般に多いと思います。
>>そのようなこととは違いがあるのでしょうか。
>
>きっとやっていることは一緒なのではないでしょうか。ただ、「人生をリセットしたい感覚」を実行するには、「人生に疲れたな」と思い【自らが希望して】たとえば仕事をやめて旅などにでかける・・・といった行動をとると思うのですが、私の「生活を0に戻す」というのは自分の進みたい道を無理やり中断させ白紙に戻し、強制的に新しい環境にしたというところで少し違うような気がします。
したい事か、やらねばならない事かの違い、気持ちがぜんぜん違いますね。
若い年齢ながら英断されたんだなと関心します。
|
|