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▼世捨人さん:
>>わたし自身、身体的な鈍さはかなりあります。
> 失礼ながらそのような状態は、何か我を忘れて没頭なさっているときのことを、描写しておられるのでしょうか。もしそうであるならば、精神的な集中の裏面乃至代償とも考えられなくもありません。
いえ、特に何かに没頭している時でなくても、わたしはどうも自己洞察力に欠けるようです。
なので世捨人さんが例に挙げた人物は自己洞察力に欠けるという点で
わたしに似ていると思います。
わたしのある種の鈍感さは人に(家族からも)いぶかしさを感じさせる時があるようです。
> そのうえ、自己の体調やその都度の感覚的知覚に引き摺り回されるだけではなく、いつも自己のなんとも形容し難い、漠然とした気分に捕えられていたので、それを何らかのかたちで乗り越えて、何か日常的または現実的な事柄を実行するのは、いつも本当に骨の折れることでした。
わたしもごく簡単なことができなくて困ることがあります。
例えば年賀状を書くとか、図書館の本を返すとか……。
また自分の感情を“形容しがたい、漠然とした気分”としか自覚できないことが多いのも似ているように思います。
わたしは“漠然とした気分”になることを
自分の感情に対する洞察力が欠けているせいと感じています。
>>ところで世捨て人さんは前述の人物とは正反対のかたでしょうか?
>
> 全く反対の性格乃至素質であると述べて差し支えないかと思います。
>しかしながら、幾度も歯科治療室と待合室で過したであろう少なからぬ時間も、この人物にとって生活習慣と歯の状態との関連への洞察を目覚めさせるに至らなかったというのは、なんとも不可解としか言いようがありません。
不可解であるなら正反対とも言い難いのではないでしょうか。
たとえ言葉の使い方その他、違っている部分があったとしても……。
と、ここまで書いて、どうもわたしの口調は世捨人さんの揚げ足を
とるような言い方かなと気になってきました。
でもわたしとしては世捨人さんが例に挙げた人物の不可解な鈍感さに
多少共感する部分があります。
人に不審を感じさせるまでの自己洞察力の欠如、無頓着さは
わたしに似ていると思うからです。
世捨て人さんにはその方の自分の身体に関するある面での無頓着さ、
鈍感さ、失敗してもなお学ばない懲りなさに共感するところはないでしょうか。
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