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▼世捨人さん:
>> この「漠然とした気分」、何とも形容し難く定かな形を取らない曖昧模糊とした感情とは、極めて日常的なものでありうるとも考えられます。。自己の気分が常に明瞭な表現を取っており、自他にとって常に理解できる状態であるなどという方が、私にとって余程不気味に思われます。自我の不透明さと曖昧な影に耐えられず、無理に自分の気分を既成の型枠に嵌めて、日常生活からの心理の逸脱の兆しや暗闇を見ようとしないとする態度こそが、「自己の感情に対する洞察」への抑圧ではないでしょうか。
他人に理解されるかどうかはともかく
わたしは自分の感情は自分で明確に理解したいと思っています。
既存の型枠しかないならそれでいいと思っています。
自分自身を単純化することは浅薄化することであるかもしれませんが、
わたしの自分理解は自分の行動をコントロールするということにつながっているので
わたしには切実に必要な作業です。
> さて、私が後者の歯の状態に気づいたときから、ひょっとしたら最も切実な身体的知覚をも無視できるような意識構造か、または元来の痛覚の鈍さが、(ありきたりの話題を無批判に繰り返すような)かような人格の基礎を成しているのではないのかと疑うようになりました。さらに、ロボトミー手術の結果とは、もしかするとこのようなものではないのかという考えが幾度か私の頭に浮かんだことがありました。
実は世捨人さんがロボトミー手術の結果かと形容するその人物に
わたしは自分が知っているアスペルガーという障害にとても近いものを感じています。
権威に弱く、自己洞察力が不足し、人間的な感情が希薄に感じられるなど……。
世捨人さんがその人物をどう評価しているかわかりませんが
わたしは他人を自分には不可解と切り捨てることはしないようにしています。
例えば殺人を犯した人を自分とは全く違う人間であると断じ
自分は殺人をしない人間と信じきることはできません。
ある危うさをわたしも自分に感じますし、
過ちを犯すこともある人間だと思っています。
(でも殺人をすることはないと思いますが……)
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