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▼penpen様:
いつもながらの早速の御返事、大変嬉しく思います。
>>> 自我の不透明さと曖昧な影に耐えられず、無理に自分の気分を既成の型枠に嵌めて、日常生活からの心理の逸脱の兆しや暗闇を見ようとしないとする態度こそが、「自己の感情に対する洞察」への抑圧ではないでしょうか。
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>他人に理解されるかどうかはともかく
>わたしは自分の感情は自分で明確に理解したいと思っています。
>既存の型枠しかないならそれでいいと思っています。
>自分自身を単純化することは浅薄化することであるかもしれませんが、
>わたしの自分理解は自分の行動をコントロールするということにつながっているので
>わたしには切実に必要な作業です。
全く同意致します。但し、既存の型枠をある程度御自身に合わせて作り変えるという選択肢もお忘れにならないで下さい。もしも自己理解への意欲を欠くならば、その様な人達の行き着く先とは、まさに精神的破局であると思います。しかしその一方では、かような自己認識への希求を欠くような人物も少なからず存在するということです。
ついでながら、自己を既成の枠組みに嵌める代りに他の様々な可能性を消去するという問題を取上げた、『ある指導者の幼年時代』というサルトルの短編小説を思い出しました。
また、私は十代の頃から明るく集団生活を謳歌するという高度消費化社会の風潮に苛立っておりまして、殊更陰気な事柄を取り上げるのが癖になってしまったようです。一方では、「自己実現」とか「社会参加」とかいう言葉に釣り出されて、私生活に於いても産業活動の論理に絡め取られてしまった人(例えば出産時機を逸してしまった「キャリア・ウーマン」等)の多さに驚いています。
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>> さて、私が後者の歯の状態に気づいたときから、ひょっとしたら最も切実な身体的知覚をも無視できるような意識構造か、または元来の痛覚の鈍さが、(ありきたりの話題を無批判に繰り返すような)かような人格の基礎を成しているのではないのかと疑うようになりました。さらに、ロボトミー手術の結果とは、もしかするとこのようなものではないのかという考えが幾度か私の頭に浮かんだことがありました。
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>実は世捨人さんがロボトミー手術の結果かと形容するその人物に
>わたしは自分が知っているアスペルガーという障害にとても近いものを感じています。
>権威に弱く、自己洞察力が不足し、人間的な感情が希薄に感じられるなど……。
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>世捨人さんがその人物をどう評価しているかわかりませんが
>わたしは他人を自分には不可解と切り捨てることはしないようにしています。
もしも件の人物が、お子さん達の担任教師であるとしたら、いったいどうなさいますか。さらにこの種の人物が、学校や大学に優先的に教員として採用されるとしたならば....。
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