アスペルガーの館の掲示板

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[#26874] ギフテッドについて Tomy 08/7/9(水) 13:23 [未読]

[#26907] Re:ギフテッドについて 秋桜(管理人) 08/7/10(木) 15:20 [未読]
[#26908] Re:ギフテッドについて 08/7/10(木) 17:02 [未読]
[#26914] Re:ギフテッドについて めえめえ 08/7/10(木) 22:30 [未読]
[#26921] Re:ギフテッドについて Tomy 08/7/11(金) 0:43 [未読]
[#26926] Re:ギフテッドについて 明子 08/7/11(金) 1:56 [未読]

[#26907] Re:ギフテッドについて
 秋桜(管理人) メールホームページ  - 08/7/10(木) 15:20 -

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   ▼Tomyさん:

管理人の秋桜です。言語聴覚士として病院や行政機関で発達障害の子どもたちの支援をしてきました。子どもの頃は自閉症やアスペルガーの特性が強かったのですが、療育などの支援を受けて育ち、今は日常生活や仕事は問題なく暮らせています。

ちょっと誤解されていることがあるようなので、説明などをしたいと思います。

>>(ASであっても何ら才能を持たない子供のほうが圧倒的に多いと思いますが。)
>
> そうなんですか...。
> AS含む発達障害は、コミュニケーションや言語能力を司る左脳になんらかの損傷があることが原因だと言われていますよね。

確かに言語については右利きの人は9割近くの人が左脳に言語野があると言われていますが、言語野と一口に言っても言語をつかさどる場所というのは何か所かあります。そしてそこをつなげているネットワークに損傷が起きても障害がおこることがあります。

しかし左利きの人だと左脳に言語野がある人の割合はぐっと減って6割前後になります。残りの人は右脳、もしくは両方の脳に言語野があります。ここからも分かるように一概に言えないのが脳の機能です。

コミュニケーションというのは脳梁という左右の脳をつないでいる場所も大きな役割を果たしていると言われています。そして空間認知に関しては右脳の果たす役割が大きくかかわってきます。コミュニケーションでは場の空気を読むことなどが必要であり、右脳からの情報も統合できることがポイントになってきます。

最近では以前ほど脳というのは局所で働いているものではなく、ネットワークの中で働いているという見方が有力になっています。

>そして発達障害者の人々の突出した能力は、損傷を受けた左脳をカバーするために右脳が発達した結果とも言われています。目の見えない人の聴覚が良くなるのと同じことですが。人間の自然の機能って、すばらしいですよね!
> ですから、多かれ少なかれ、発達障害の人々は、自然、数学や芸術分野を司る右脳が発達しているものと考えておりました。。

これについてはサヴァン症候群などでは言えるかもしれませんが、すべての発達障害者に言えることではありません。その辺りは認識を改めた方がいいと思います。

あとTomyさんが指している「才能」とは何だろう?と読んでいて私は感じました。

例えば私は絶対音感があります。高等学校で学習するような数式を見ていてその図をイメージし、「何と美しい!」と思う気持ちもよく分かります。Tomyさんのおっしゃる「才能」というのはこういった能力のことでしょうか?

でもこういう能力と音楽や数学のプロとして仕事をしていくというのはプロの人たちとお話ししていると「やっぱり違うな」と思います。

私が現在絶対音感を使うのはクライアントに声の高さの検査をする時とカラオケで歌う時くらいですし、難しい数式の解釈をするのは知能検査のデータ解析の時くらいです。どちらもこの能力だけでは使えないものです。

才能というのは1つではなく、いくつかの能力を組み合わさってできるものだと私は思います。そして一番大切なのはチャンスを見極め、それを自分でつかめる力だと私は考えています。

そもそもTomyさんが息子さんに期待するものってどんなことでしょうか?生き生きと自由に、というと耳に心地よく聞こえてきますが、具体性に乏しい印象がします。そして人間というのは具体的に考えられないことはなかなか行動に移せないものです。

そしてTomyさんご自身は生き生きと自由に生きていますか?相談でお母さん方がお子さんに望んでいることをよく聞いてみると、本当は自分がやりたいことや苦手なことを子どもに投影していることがあります。実は私の母もそういう面がありました。

子どもというのは案外親のしていることを見ています。私の場合、母がしていることは参考にもなりましたし、反面教師にもなりました。

私が大人になってけっこう親に感謝しているのは家事や持ち物・時間・お金の管理、そしてマナーについてです。最低限のことは教えてもらったし、親がやっていることを見せてくれました。社会人になって失敗しつつも色々な人に助けてもらえているのはこういう基盤があればこそだな、と実感しています。

[#26908] Re:ギフテッドについて
   - 08/7/10(木) 17:02 -

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   アスペルガー症候群当事者で社会人の笛と申します。
Tomyさんがご関心をお持ちの情報ではないので横レスとなりますが、一当事者の考えとしてお読み頂ければと思います。

昨日からWikipediaや、あれやこれやと調べて色々と考えました。
私が考えていることは、秋桜さんのお考えに非常に近いもののようです。

早期英才教育などで育てられた所謂英才・秀才は「ハイ・アチーバー」というのですね。勉強になりました。
米国などでは専門の私立学校もありますが、公立学校では特別支援教育の一環でギフテッド用のプログラムを用意しているのがマジョリティのようですね。
それは知能指数が低い障害者でも、知能指数が高いギフテッドでも、支援が必要と位置付けられているということで、私は正しいやり方と考えます。
「特別な配慮・措置を行う」ということでは「支援」ですから。

しかし、そもそもギフテッドという定義は一人の人間に対して、適切な表現なのでしょうか。
Wikipediaから一部引用します。

<引用開始>
恒吉僚子の著書『人間形成の日米比較』にも同様の記述が見られる[18]。

学力差の原因は児童の「努力」の違いや、家族の協力的あるいは非協力的態度、教育環境の良し悪しなど、さまざまな要因に求められるわけだが、「生まれつきの能力差は存在しないか、たとえ存在しても努力や環境などの後天的なものにくらべれば問題にならない」という考えが、日本人の間では一時代前から強いとされてきた。これは、能力平等観などと呼ばれ、日本人の特徴だと言われている。
これに対して、アメリカでは、日本よりも生来の能力差を肯定する傾向があることは、幾度となく指摘されてきた。
「生来の能力差は直接、神からわれわれが授かるものであり、人間はその存在をなくすことは決してできない」とは、『アメリカのデモクラシー』でのA・トクヴィルの言葉であるが、"gifted"という語は、「天賦の」という意味であり、ある子どもが他にくらべ、特別な能力や才能を天から授かっているという宗教的な響きがある。
<引用終わり>

私はあえて、A・トクヴィルの「生来の能力差」という表現を「生来の能力」と変えて私の考えとしたいと思います。
又、恒吉僚子氏の「gifted」の解釈とは異なり、
「全ての子供はその能力を含め天から授かった(gifted)ものであり、どんな人間も誰ひとりとして同じでない比類のないユニークな能力を持って(gifted)生まれてきた、この世への贈り物(gift)」
であると考えます。

[#26914] Re:ギフテッドについて
 めえめえ  - 08/7/10(木) 22:30 -

引用なし
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   横レスの横レスで失礼します。
▼笛さん:
>しかし、そもそもギフテッドという定義は一人の人間に対して、適切な表現なのでしょうか。
>Wikipediaから一部引用します。
>
><引用開始>
>恒吉僚子の著書『人間形成の日米比較』にも同様の記述が見られる[18]。

たまたま本書を持っておりますが、恒吉の言わんとしているところは
現代アメリカ人が持つ能力観についての一般論です。

Wikipediaに引用された部分と同じ章の後段で、日米の能力観について
比較しながら以下のように述べています。

<引用開始>
ギフテッド教育に反映されているようなアメリカ人の「天賦の能力」
への信仰には戸惑いを覚える日本人も多いだろう。
(中略)
しかし、現代のアメリカ的「平等」の意味は、個々人の「違い」に
対応することに力点を置いている。人は平等な権利を持っている。
しかし、人は、生来、同じではない、というわけである。(P.60)
<引用終了>

また、第四章では以下のように述べています。

<引用開始>
ギフテッド教育や能力別指導は、「個々人の能力は異なるものである」
というアメリカ人の能力観、個人の多様な必要性に個別に対応するべき
だというような個人主義的な発想、人材開発の要求や業績主義などと
関連している。前述の学習障害児の教育もまた、個々人の異なる必要性
に柔軟に対応するという理念によって支えられている。(P.107)
<引用終了>

笛さんの、
>「全ての子供はその能力を含め天から授かった(gifted)ものであり、どんな人間も誰ひとりとして同じでない比類のないユニークな能力を持って(gifted)生まれてきた、この世への贈り物(gift)」
というお考えにはまったく同感です。

そして、giftedという語こそ使われませんが、現在日本でも導入されている
特別支援教育や個別教育プログラムの考え方は、こういった個々のニーズに
合わせた教育を模索するものである、とワタシは期待しています。

[#26921] Re:ギフテッドについて
 Tomy  - 08/7/11(金) 0:43 -

引用なし
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   ▼秋桜(管理人)さん:

 お忙しい中、レスをありがとうございます。

>確かに言語については右利きの人は9割近くの人が左脳に言語野があると言われていますが、言語野と一口に言っても言語をつかさどる場所というのは何か所かあります。そしてそこをつなげているネットワークに損傷が起きても障害がおこることがあります。
>
>しかし左利きの人だと左脳に言語野がある人の割合はぐっと減って6割前後になります。残りの人は右脳、もしくは両方の脳に言語野があります。ここからも分かるように一概に言えないのが脳の機能です。
>
>コミュニケーションというのは脳梁という左右の脳をつないでいる場所も大きな役割を果たしていると言われています。そして空間認知に関しては右脳の果たす役割が大きくかかわってきます。コミュニケーションでは場の空気を読むことなどが必要であり、右脳からの情報も統合できることがポイントになってきます。
>
>最近では以前ほど脳というのは局所で働いているものではなく、ネットワークの中で働いているという見方が有力になっています。

 ....難し過ぎます。機会があれば、勉強したいと思います。

>>そして発達障害者の人々の突出した能力は、損傷を受けた左脳をカバーするために右脳が発達した結果とも言われています。目の見えない人の聴覚が良くなるのと同じことですが。人間の自然の機能って、すばらしいですよね!
>> ですから、多かれ少なかれ、発達障害の人々は、自然、数学や芸術分野を司る右脳が発達しているものと考えておりました。。
>
>これについてはサヴァン症候群などでは言えるかもしれませんが、すべての発達障害者に言えることではありません。その辺りは認識を改めた方がいいと思います。

 未解明の分野には、諸説あるものですよね。私は前述したとおりの説を度々目にし、この説に「なるほどな〜」と脳の神秘に感銘も受け、支持もしていた次第なのですが、管理人さんが仰ることに間違いはないと思います。今日を境に、認識を改めます。

>あとTomyさんが指している「才能」とは何だろう?と読んでいて私は感じました。
>
>例えば私は絶対音感があります。高等学校で学習するような数式を見ていてその図をイメージし、「何と美しい!」と思う気持ちもよく分かります。Tomyさんのおっしゃる「才能」というのはこういった能力のことでしょうか?
>
>でもこういう能力と音楽や数学のプロとして仕事をしていくというのはプロの人たちとお話ししていると「やっぱり違うな」と思います。
>
>私が現在絶対音感を使うのはクライアントに声の高さの検査をする時とカラオケで歌う時くらいですし、難しい数式の解釈をするのは知能検査のデータ解析の時くらいです。どちらもこの能力だけでは使えないものです。
>
>才能というのは1つではなく、いくつかの能力を組み合わさってできるものだと私は思います。そして一番大切なのはチャンスを見極め、それを自分でつかめる力だと私は考えています。
>
>そもそもTomyさんが息子さんに期待するものってどんなことでしょうか?生き生きと自由に、というと耳に心地よく聞こえてきますが、具体性に乏しい印象がします。そして人間というのは具体的に考えられないことはなかなか行動に移せないものです。
>
>そしてTomyさんご自身は生き生きと自由に生きていますか?相談でお母さん方がお子さんに望んでいることをよく聞いてみると、本当は自分がやりたいことや苦手なことを子どもに投影していることがあります。実は私の母もそういう面がありました。
>
>子どもというのは案外親のしていることを見ています。私の場合、母がしていることは参考にもなりましたし、反面教師にもなりました。
>
>私が大人になってけっこう親に感謝しているのは家事や持ち物・時間・お金の管理、そしてマナーについてです。最低限のことは教えてもらったし、親がやっていることを見せてくれました。社会人になって失敗しつつも色々な人に助けてもらえているのはこういう基盤があればこそだな、と実感しています。

 え〜と...こうなることは予想していましたが、皆さんのレスの内容が、私が立てたスレの主旨から明らかにずれています。
 たいへん申し訳ありませんが、私はここで、才能について議論をする気はありません。すごく興味のあるところではありますが、あらぬ方向に膨らみ続ける論議に労力を費やすのは、加齢にこたえます。。時間もありません。
 IQに関してもそうです。あまりに議論を巻き起こす分野です。いつか別スレが立ったなら、そのときはお邪魔させていただこうかな..と思います。
 
 もともと掲示板というのは主旨からどんどんずれて話題が広がるもので、それが良さでもあると思います。にもかかわらず勝手を申しましてたいへん申し訳なく思います。。
 管理人さんが心配してくださっていること、皆さんがアドバイスくださっていることをひっくるめ、この掲示板に来る前に、この掲示板の外の世界で、私がお世話になっている専門家の方や家族とさんざん話しあいました。。もういちど同じ論議を繰り返したくはないのです。なにとぞ、ご了承ください。。

 息子は3才のころ、教えもしない複雑な計算や時間の換算、難しい漢字の暗記や複雑なメロディの記憶などでTVに取り上げられたことがあり、それをたまたま見ていた研究者の方からTV局を通じて連絡がありました。
 しばらく研究協力をしたのち、研究者の方からギフテッドを勧められました。
 当初 私を含む家族全員が、それは「ありえない選択」としていました。
 が、日々息子の成長を観察するうちに、普通学級でやっていけない可能性を感じるようになりました。
 あまりに自分の世界に入り込みすぎるようになってきたのです。。
 そして専門家への相談・熟考の末、やはり息子には研究者の方が教えてくださったギフテッドがいちばん合うような気がしたのです。
 そんな経緯があり、、最終段階で、現実問題を回避する方法はあるのか、なければ国内で似たような教育アプローチを進めている学校はないのか、ということが聞ければと、この掲示板にやってまいりました。 

息子のことについてまでは、書き込む必要はないと思っていました。が、書き込み者が「必要ない」と感じたことでも、読み手が求めれば出してくるのがマナーなのかもと思いなおし、事情のほんの一部分ですが書きました。

[#26926] Re:ギフテッドについて
 明子  - 08/7/11(金) 1:56 -

引用なし
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   ▼Tomyさん、こんにちは。

息子さんの様子が少しわかりました。

年長さんですと、普通級に進むか否かを決めなければいけない時期ですね。

ギフテッド教育は息子さんにとって理想的なのかもしれませんが、多分国内ではなかなか巡り合えなさそうですね。

公立校に進むことになりそう、とのことですが、普通級に入れた場合、大きな支援は期待できない、と考えたほうがいいと思います。

普通級ではやっていけないとお考えなら、支援級はいかがですか?
ウチの子は普通級在籍なので、支援級については詳しくないのですが、個々の個性を大事にしてもらえるのではないでしょうか?
学年の枠に囚われず自由に学ばせて欲しい、とお願いするのも、また支援だと思いますし、これは普通級ではまず無理なことだと思います。

一口に、アスペ・発達障害児といっても、個性は様々なのですよね。
例えば、ウチの子の話になりますが、社会性には比較的大きな問題はなく、また知的な遅れがないため、障害者枠での就職は難しいだろうと考えています。
当人も、普通級に馴染んでおり、特に大きなストレスを感じている様子はなく、もしもこれから支援級に移るという話になったら、多分とても嫌がるだろうと思います。
最初から、支援級に入れれば、そこで馴染んでいたかもしれないと思うので、コダワリのあるアスペ児には最初の選択が肝心かもしれませんね。

その一方で、ウチの子は、Tomyさんのお子さんとは逆で、できない面が問題です。
例えば、国語の文章題ではそこそこ点が取れても、漢字テストではほとんど得点できず、字がものすごく汚いのです。
そこそこ点が取れるテストもあるのですから、当人の努力不足と言うよりは、能力的に弱いところがあるせいと思っています。
そこの部分への対応までは、普通級の先生では難しいので、親が考えていかなければならない部分、と私は考えています。

息子さんはどこかで療育を受けるか、定期的に(発達障害の)専門家に相談されたりしていますか?
ウチの場合は、複数の専門家に意見を求めることがあり、その上で答えを見つけることがあります。

私が子どもを2年超小学校に通わせて思うことは、発達障害の知識の有無や経験にかかわらず、先生個々の資質によって、対応がずいぶん違ってくる、ということです。
発達障害児の教育には、専門知識に長けていればよいとは限らないような気がしてきて、その子その子の個性を大事にしてくれ理解しようとしてくれる先生のほうがよいのかも、と思うようになりました。
つまり、発達障害に詳しい先生>発達障害に詳しくない先生、とは限らないと思ってます。
ギフテッド校は現実的ではないし、その現実的でないギフテッド校に期待しすぎかな?と感じました。
千葉県内や都内にも、発達障害児の受け入れに積極的な学校があるかもしれませんが、そこに期待しすぎても期待はずれに終わってしまうこともあるかもしれません。

一番子どものことを理解しているのは親ですから、そのときの状況やお子さんの個性に合わせ、時には専門家に相談して、オーダーメイドの教育方針を立てていくのも現実的なのではないのではないでしょうかと思いますし、そのように考えられている親御さんは少なからずいるのではないか?と思います。

発達障害児のかかえてる問題・能力はホントにその子その子によって違うので、親御さん中心にオーダーメイドの教育を考えていくほうが現時点では現実的な気がするのですが…。

得意でない社会性を伸ばすことを考えるよりも、学習面で能力を伸ばすために自由に学ばせるという環境作りを第一に考えるのなら、現実的には支援級はかなりベターなように感じるのですが…その辺は、地域の公立小学校に問い合わせしてみられましたか?
支援級なら、定型発達児と関係を結ぶことをあまり考えなくてもよいので、学校生活にストレスを感じるのなら、登校日登校時間を減らし、その分学習に当てる、ということもできるのではないかな?とか勝手に想像していますが…。

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