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▼三月うさぎさん:
>▼tinさん:
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>>「何でも一番手になりたがる」というこだわりは、ASの特徴なのでしょうか。
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>発達障害圏は、勝ちたいこだわりがあります。
>ADHDにある、しゃべりたいも、相手を言い負かしたいという勝ちこだわりからきてるとのことでした。
>で、他のスレッドでありました「大成したい」というのも、このへんから来てるんでしょうね…。
「『勝ち負けや100点、一番などへのこだわり』が、自閉症の子供が社会性を発達させていく過程で見られることがある」と、本に出ていました。
(『高機能自閉症・アスペルガー症候群入門 正しい理解と対応のために』 内山登紀夫・水野薫・吉田友子 編 中央法規 という本です。)
この場合のこだわりは「単なる競争意識やより高度なものへの希求とはやや異なること」だと、私は思います。
私の場合について書きます。私は子供の頃からずっと、何人かでやるゲーム(例えばトランプ等)を楽しめないのです。子供の頃「ごっこ遊び」で、与えられた役割を楽しむとか関心を持つということが、わかりませんでした。
ゲームをやっていても、「人との関係のうえで生ずる、駆け引きやスリル」を楽しむことが困難なのです。「どうして、他の人は楽しいと思えるのか」不思議でたまりません。また、ゲームでは、一度に何人もの人に注意を振り向けることが必要となる場合が多々あります。それらのことが、私にとっては苦痛です。
「ゲームをやるのは楽しいことという、その場の雰囲気を共有できない」こと以外にも、思うところがあります。
私は、スポーツが苦手で手先も不器用です。「身体や手先の運動がぎこちないということを、大人の前で隠せなかった」とき、大人たちから厭というほど貶されました。それらのことが積み重なって、「ゲームで負けたら、大人たちが次のように騒ぐんだろうな」と構えるようになったのだと思います。
「それみたことか。だから、最初から参加しないでおけといったのに。」
「wentちゃんでも勝てるような、バカな相手はいないわよ。」
「ほんとにwentちゃんは、下手くそね。」
「勝ち負けこだわり」だけではなく、「負けたら周り(特に身近な大人)が騒ぎ立てるのが嫌」という気持も大きかったのだと思います。しかし、子供の頃は、後者の気持を意識化できていなかったのだと思います。
「勝ちたいこだわり」というよりも「負けたら自分が否定されるという思いがある」という表現のほうが、私の場合はしっくり来ます。
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