アスペルガーの館の掲示板

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[#27267] 子どもとの付き合い方 空蝉 08/7/28(月) 19:49 [未読]

[#27278] 接触だとすれば、回路は存在するか? シャクレ 08/7/29(火) 12:46 [未読]
[#27281] Re:接触だとすれば、回路は存在するか? SILVER 08/7/29(火) 19:29 [未読]
[#27304] Re:接触だとすれば、回路は存在するか? シャクレ 08/7/30(水) 12:53 [未読]
[#27317] Re:接触だとすれば、回路は存在するか? SILVER 08/7/30(水) 18:33 [未読]
[#27338] Re:接触だとすれば、回路は存在するか? シャクレ 08/7/31(木) 12:27 [未読]
[#27296] Re:接触だとすれば、回路は存在するか? めえめえ 08/7/30(水) 0:25 [未読]
[#27311] Re:接触だとすれば、回路は存在するか? シャクレ 08/7/30(水) 17:37 [未読]
[#27302] Re:接触だとすれば、回路は存在するか? 明子 08/7/30(水) 10:53 [未読]
[#27312] Re:接触だとすれば、回路は存在するか? シャクレ 08/7/30(水) 17:44 [未読]

[#27278] 接触だとすれば、回路は存在するか?
 シャクレ ホームページ  - 08/7/29(火) 12:46 -

引用なし
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   >ただ、高機能でも自閉のある子ですと、ひょっとしたら、相互に関りを
>持つスイッチが入っていない、俗に言う、周りが見えてない、という
>可能性はありませんか。
>(うちの子は小5ですが、いまだに、接触が悪くて場や体調によって
>スイッチが入ったり入らなかったり、という状態です)
>周囲と関るスイッチが入ってないと、自分しか見えていないので、
>興味の向くままに行動してしまい、周囲から見ると「前触れなく」、
>「意味がわからない」行動と見えるかもしれません。

すみません。少し横道にそれた事を書かせてください。

スイッチの接触との表現でしたが、それであれば回路そのものは存在する事になります。私も息子を見ていると、回路は存在すると思う一人です。

そこで、提案(うちはもう18才なので出来ませんが)なのですが、昔、息子が小さい頃、部屋の片付けで、私と息子の二人でテーブルを持って運ぶ時に、こちらの動きを見ないで歩こうとするので、何度も言って聞かせた覚えがあります。
ASなんて存在知りませんでしたし、何でこちらと動きを合わせないのか?感が悪い子だなあと思っていました。

そこで、思ったのですが、もしも接触という事であれば、経験により接触が良くなる傾向が期待できるのであればと思ったのです。

それは、毎日毎日、食事の時に、二人で持ち上げて運ばないといけないテーブルをわざと準備し、食事のたびに、二人でそれを準備し、それを片付ける。
その時に、相手の動きを見ないとうまくいかない状況を出来るだけ作ります。
子供が、他人の気持ちを読み取る事に慣れてきたら、テーブルの上に水が入ったコップをたくさんおいて、水がこぼれないように二人の息を合わせて運びます。

食事が、朝昼晩で三回、前後ですから、一日に6回の経験が出来ます。
しかも規則正しく、その行動は、やってくるのですから、ASの子もストレスなく、その行動が始まる事を納得できます。

どうなんでしょうか?
私の息子が、幼稚園とか小学生とかなら、明日からでもやってみたいです。
医学的に違うといわれても、私ならとりあえずやるかもしれません。
それをする事での、デメリットがないものですから・・・。

これと同じ様なスタイルを無数に、家族生活(理解者の中で)に取り入れれば、接触は良くなる傾向が期待できるのではないでしょうか?


※もうひとつ、以前にも書きましたが、「主体性」の考え方で、良いホームページ情報がありましたので、URLを入れてリンクしています。

[#27281] Re:接触だとすれば、回路は存在するか?
 SILVER ホームページ  - 08/7/29(火) 19:29 -

引用なし
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   ▼シャクレさん:
空蝉さん、横にそれた状態でのレス、ごめんなさい。

>スイッチの接触との表現でしたが、それであれば回路そのものは存在する事になります。私も息子を見ていると、回路は存在すると思う一人です。

こうしたことは、専門家でないと、正確なことは言えないと思いますが、

健常者でも、ストレスが極端にかかってる状態のときって、
正常な思考回路持てなかったり、
周囲に気を配れなかったり、が、あると思います。

それと同じ感じではないでしょうか?


なんどもお話しさせていただいておりますが、
うちの子は、落ち着いてるときは
冗談も言えるし、言葉を字義通りとらえることもないし、こだわりも少なくなりますが、
ストレスがかかった状態ですと、
これらの症状が全部出てきます。


でも、自閉症児者だって、これらのことは経験を積んでいくうちに、
覚えていく人もいます。

私自身、今でもときどきズレますけど、
以前はもっと、ズレていて(^o^;;)

「どうしてみんな、これが『あたりまえのこと』って、わかるの?」
って、わかりませんでした。

自閉症を知るうちに、
「あ、自閉症って、全体を把握して自分がどの位置(立場)にいるのか、
 とらえることが、難しい障害なんだな?
 ものごとを一方向からとらえがちになるんだな?」
と、思いましたので、

「まず、ものごとは全体を見る。そして、自分がどの位置にいるのか?
 考えてみる。
 会話も、話しの流れの全体を考えてみて、
 自分がこれから発したい話題が、適切かどうか考えて発言する。
 適切じゃないと思ったら、言葉をひっこめて様子を見る。

 一方向からじゃなく、ものごとは、多角的に考えてみる。
 この考えだけじゃなく、別方向からの考えもあるかもしれない。
 ものごとは、ひとつの面だけじゃない、さまざまな事情がからんでるかもしれないって、考えてみる。」

と、気づいて、
意識するようになってから、
かつての時代よりは、全体をつかめるようになりましたし、
対人関係でどこにつまづいていたのか、自分でわかるようになってきました。

こうしたことに気づいたのが、30歳すぎてからです。

回線がつながった…といえば、つながったのかもしれません。

ただ、私は衝動性の面が強く、(ADHD)
落ち着いてるときだろうと、ストレスがないときだろうと、
これをおさえることが、なかなかできなくって…。

やっぱり一両一日中に、なんとかならないから障害なのでしょう。

>そこで、提案(うちはもう18才なので出来ませんが)なのですが、昔、息子が小さい頃、部屋の片付けで、私と息子の二人でテーブルを持って運ぶ時に、こちらの動きを見ないで歩こうとするので、何度も言って聞かせた覚えがあります。

発達障害者は、複数のことが同時にできないことが多いですから、
お子さんは、そのとき、
テーブルを運ぶ、相手の動きを見る、自分の位置から全体を把握する、
これらのことが、一度に頭の中でネットワークされなかったのだと
私は思えました。

>そこで、思ったのですが、もしも接触という事であれば、経験により接触が良くなる傾向が期待できるのであればと思ったのです。

一般的にも、
「自閉症は治りませんが、経験を積むことによって改善はされます。」
と、言われています。

健常者がそれを普通に覚えていくことを、
自閉症者は、1つのことに100ぐらいの経験のストックをつくらないと
覚えていかなかったりいたします。

改善はされますが、それには健常者の何倍もの努力が必要ですよ、ということだと思います。

>それは、毎日毎日、食事の時に、二人で持ち上げて運ばないといけないテーブルをわざと準備し、食事のたびに、二人でそれを準備し、それを片付ける。
>その時に、相手の動きを見ないとうまくいかない状況を出来るだけ作ります。
>子供が、他人の気持ちを読み取る事に慣れてきたら、テーブルの上に水が入ったコップをたくさんおいて、水がこぼれないように二人の息を合わせて運びます。

それができるようになったら、
相手の自尊心をくすぐるように褒めてあげると良いと思います。
その子の成長や理解力にもよりますから、
これを続けていたから覚える、というものでも無いと私は思えます。

うちは、上の子と下の子で、理解力の差が大きいので、
その子の成長をみはからって、障害特性を教えていこうと
私は考えています。


>これと同じ様なスタイルを無数に、家族生活(理解者の中で)に取り入れれば、接触は良くなる傾向が期待できるのではないでしょうか?

とりあえず、テーブルを運ぶのはうまくなるかもしれませんね?
でも、他に応用がきくかというと、
きかなかったりするのが、この障害です。(^_^;)

その子にもよりますが、
テーブルを「息を合わせて運ぶ」ということに、
相手を気にしながら、テーブルの上のものにも配慮しながら、
自分の位置を確認しながら
などなどを、理屈で本人に説明して、
理屈から本人が行動に移せる…なんて場合もあります。
(健常児なら、体で覚えることを…)


と、私は思うのですが、
私は専門家じゃないですので、ご参考までに気にとめておいてくださいね。

[#27296] Re:接触だとすれば、回路は存在するか?
 めえめえ  - 08/7/30(水) 0:25 -

引用なし
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   ▼シャクレさん:
コメントをありがとうございます。

>そこで、思ったのですが、もしも接触という事であれば、経験により接触が良くなる傾向が期待できるのであればと思ったのです。

スイッチの接触(周囲との相互の関りのインターフェイス部分)は、
確かに、丁寧にフィードバックを繰り返すことなどで、強化できる
可能性はあるとは思っております。

しかしうちの場合、周囲に他者がいること、自分の言動が他者に影響を
与えること自体が、理解できるときもあれば、理解できないときもある、
という状態をスイッチの接触で表現しています。

共同の作業や遊びを通して「他人の気持ちを読み取る」練習をするのは、
定型発達なら可能だしたやすいことでしょう。
でも、SILVERさんのおっしゃるとおり、テーブルを運ぶこと
(または共同で作業するあれこれ)は上手になるかもしれないけれど、
だからといって別の場面で「他人の気持ちを読み取る」スキルに一般化
することは、少なくとも現段階では飛躍があり過ぎると感じています。

[#27302] Re:接触だとすれば、回路は存在するか?
 明子 メール  - 08/7/30(水) 10:53 -

引用なし
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   横から、すみません。
ちょっとズレたレスになってしまうかもしれませんが。

他者を意識されることについては、なるべく興味のあることや好きなことを利用する、日ごろから親の側でできるだけ意識して、他者を意識させる働きかけ・言葉かけをするようにしています。

ウチは同性の兄弟で二人で遊ぶ機会が多いので、その中で、ケンカをしたときなどは、両方に注意しています。
例えば、上の子が使ってるものを下の子が勝手に取ってしまったときは「『貸して』と言って、『いいよ』と相手が言ってくれたらもらうんだよ、勝手に取ったら相手の子は嫌な気持ちになってしまって、遊びたくなくなっちゃうときもあるよ」と言い聞かせてます。
そのような言葉かけの繰り返しで、相手の気持ちを意識させることがある程度はできるのではないかと思います。

また、相手の行動が読めず失敗することも上の子は特に多いですが、これも我が家の場合は言葉による注意で対処してしまってる面が多いですね。

体で憶えさせる方法だと、なかなか応用が利かないように思うのですが、頭の中に周りを見なければいけないという気持ちを植えつけていくと、成長に伴って自分で少しづつ工夫していけるようになるのでは?と考えているのですが…。

もちろん、それと平行して体で覚えさせる工夫もしていったほうがいいでしょうね、ウチはなかなかそれができてないかもしれないです。

>食事が、朝昼晩で三回、前後ですから、一日に6回の経験が出来ます。
>しかも規則正しく、その行動は、やってくるのですから、ASの子もストレスなく、その行動が始まる事を納得できます。

発達障害の子もいろいろですから…できれば、楽しい体験から、他者を意識させられたらいいな、と考えています。

もちろん、テーブル運びは一例なんだろうと思いますが、これを一日6回毎日繰り返したら、テーブル運びはうまくなると私も思うんです。
ですが、それで周りを関わるスイッチが入るかどうかは、ちょっと疑問です。

我が家では最近ペットを飼いはじめて、子どもたちが夢中になってます。
ペットは、意外に自分本位な行動が通用しない相手ですよね。
ペットのやりたいこと・自由を妨げて、おもちゃにしていたら、嫌われてしまい、しまいには子どもたちから逃げるようになってしまいます。
「相手の嫌がることをしない」などを実感させるのに、一役買ってもらっています。(そのほうがペットにとっても快適に暮らせますし)
ペットにストレスを与えず仲良くするにはどうしたらいいか、を教え、子どもたちはペットに好かれたい一心で、自分の行動や感情をコントロールしようとしている様子が垣間見れます。
それは人間相手でも通用することですし、いずれは応用もできるんじゃないかな?と期待してます。

[#27304] Re:接触だとすれば、回路は存在するか?
 シャクレ ホームページ  - 08/7/30(水) 12:53 -

引用なし
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   ▼SILVERさん:

こんにちは。SILVERさん

>▼シャクレさん:
>空蝉さん、横にそれた状態でのレス、ごめんなさい。
>
>>スイッチの接触との表現でしたが、それであれば回路そのものは存在する事になります。私も息子を見ていると、回路は存在すると思う一人です。
>
>こうしたことは、専門家でないと、正確なことは言えないと思いますが、
>
>健常者でも、ストレスが極端にかかってる状態のときって、
>正常な思考回路持てなかったり、
>周囲に気を配れなかったり、が、あると思います。
>
>それと同じ感じではないでしょうか?

たしかに、そのとおりですね。
私も、まわりの気持ちなんて考えられない時もあります。

常にそんな風に、周りの気持ちが優先順位の下位にきている
状態と考えるべきなのでしょうか?

みいぽんさんから紹介して頂いた本の中に、こんなのがありました。
「お母さんが、階段から転げ落ちて、それを見た子供が、ケラケラと笑った」
これと、同じことが、我が家でも昔ありました。私はその時びっくりしました。

うちのカミサンが、ごみ出しの時に、両手にごみ袋を持って、アパートのコンクリートの階段の一番上から下まで、転げ落ちたんです。
私は、びっくりして、駆け寄って、怪我がないか心配していると、それを一緒に見ていた息子が、ゲラゲラと笑ったんです。
「怪我したかも知れんのに、何笑いよるとか?」って叱りました。

この場合も、優先順位で処理すると、何だかしっくりきません。
難しいですね。何故、自分にある感情が他人にあると結びつかないのでしょうかね。不思議です。私はもっと勉強しないといけないようです。


>なんどもお話しさせていただいておりますが、
>うちの子は、落ち着いてるときは
>冗談も言えるし、言葉を字義通りとらえることもないし、こだわりも少なくなりますが、
>ストレスがかかった状態ですと、
>これらの症状が全部出てきます。
>
>
>でも、自閉症児者だって、これらのことは経験を積んでいくうちに、
>覚えていく人もいます。

これを聞いて、少しだけ嬉しいです。
息子には、当面は知識で対応としても、いつの日か、いろんな人と、共感できる日が来てほしいです。

>私自身、今でもときどきズレますけど、
>以前はもっと、ズレていて(^o^;;)
>
>「どうしてみんな、これが『あたりまえのこと』って、わかるの?」
>って、わかりませんでした。
>
>自閉症を知るうちに、
>「あ、自閉症って、全体を把握して自分がどの位置(立場)にいるのか、
> とらえることが、難しい障害なんだな?
> ものごとを一方向からとらえがちになるんだな?」
>と、思いましたので、
>
>「まず、ものごとは全体を見る。そして、自分がどの位置にいるのか?
> 考えてみる。
> 会話も、話しの流れの全体を考えてみて、
> 自分がこれから発したい話題が、適切かどうか考えて発言する。
> 適切じゃないと思ったら、言葉をひっこめて様子を見る。
>
> 一方向からじゃなく、ものごとは、多角的に考えてみる。
> この考えだけじゃなく、別方向からの考えもあるかもしれない。
> ものごとは、ひとつの面だけじゃない、さまざまな事情がからんでるかもしれないって、考えてみる。」

定型だと、ある程度の年齢になれば、自分を含めて他人と自分を、自分が外の意識から見ていると思います。だから、自分と他人を相対的に、自分が観察しています。そして、その観察結果から、自分の身体に、自分がどうすればいいのかを命令をだします。(定型はこんな感じなのだと思います)

一方、ASでは、ある程度の年齢になっても、自分から他人を見ています。ですから視界には自分がいないのだと思います。ですから他人しか見てません。そして、自分と他人を相対的に考えることなく要求事項だけが単独で発信される。要求事項は、その時に本能的に自分が欲求するものです。

本能は、「トムとジェリィ」にあるように「仲良くケンカしな」とか「強くやさしく」とか、・・とにかく本能は、自分のための感情(本能)と、同時に、群れであるための感情(本能)が、矛盾だらけで人間の脳に埋め込まれているのだと思います。

それらの矛盾だらけの感情という情報によって行動するのですが、その行動の基準は優先順位が決まらないと、適正に自分の判断はできないはずです。

その優先順位を決める時に、視界に自分がいないのかも知れません。ですから、相対的な自分が見えない。裏を返せば、相対的な他人が見えない。
つまり、優先順位を決めるための「登場人物」が揃っていないのだと感じます。

だから、自分はきちんと出来ていないことなのに、相手には厳しく言えるのではと。「登場人物」に「自分」と「他人」がいれば、優先順位が本人の中で変わるはずなのですが、意識を外在化することが、脳の「しくみ」として難しいのか、慣れていないから難しいのか?

そんな風に、今は、思っています。


>と、気づいて、
>意識するようになってから、
>かつての時代よりは、全体をつかめるようになりましたし、
>対人関係でどこにつまづいていたのか、自分でわかるようになってきました。
>
>こうしたことに気づいたのが、30歳すぎてからです。

私は、今42ですが、私も28才頃からのような気がします。
子供のころは、どちらかといえば、読めない方だった気がします。

>回線がつながった…といえば、つながったのかもしれません。

私は、自分の意識が、自分の中に置いているか、外から自分を含めて視界にはいる位置に、自分の意識を移動出来ているかに興味がありますが、意識を外在化していないのに、(登場人物が揃っていないのに・・。)適正な判断をするときって、どんな時だろうって、今、思い始めました。少し考えてみます。

>ただ、私は衝動性の面が強く、(ADHD)
>落ち着いてるときだろうと、ストレスがないときだろうと、
>これをおさえることが、なかなかできなくって…。
>
>やっぱり一両一日中に、なんとかならないから障害なのでしょう。
>
>>そこで、提案(うちはもう18才なので出来ませんが)なのですが、昔、息子が小さい頃、部屋の片付けで、私と息子の二人でテーブルを持って運ぶ時に、こちらの動きを見ないで歩こうとするので、何度も言って聞かせた覚えがあります。
>
>発達障害者は、複数のことが同時にできないことが多いですから、
>お子さんは、そのとき、
>テーブルを運ぶ、相手の動きを見る、自分の位置から全体を把握する、
>これらのことが、一度に頭の中でネットワークされなかったのだと
>私は思えました。
>
>>そこで、思ったのですが、もしも接触という事であれば、経験により接触が良くなる傾向が期待できるのであればと思ったのです。
>
>一般的にも、
>「自閉症は治りませんが、経験を積むことによって改善はされます。」
>と、言われています。

嬉しいです。これを読むと・・・。

>健常者がそれを普通に覚えていくことを、
>自閉症者は、1つのことに100ぐらいの経験のストックをつくらないと
>覚えていかなかったりいたします。
>
>改善はされますが、それには健常者の何倍もの努力が必要ですよ、ということだと思います。

嬉しいです。これを読むと・・・。

>>それは、毎日毎日、食事の時に、二人で持ち上げて運ばないといけないテーブルをわざと準備し、食事のたびに、二人でそれを準備し、それを片付ける。
>>その時に、相手の動きを見ないとうまくいかない状況を出来るだけ作ります。
>>子供が、他人の気持ちを読み取る事に慣れてきたら、テーブルの上に水が入ったコップをたくさんおいて、水がこぼれないように二人の息を合わせて運びます。
>
>それができるようになったら、
>相手の自尊心をくすぐるように褒めてあげると良いと思います。
>その子の成長や理解力にもよりますから、
>これを続けていたから覚える、というものでも無いと私は思えます。

かなり、難しいというのが、伝わってきますね。
うまくいっているようでいっていない。わかったようでわかっていない。
難しいですね。かなり想像力を働かせないと、理解していくのは時間がかかりそうです。

>うちは、上の子と下の子で、理解力の差が大きいので、
>その子の成長をみはからって、障害特性を教えていこうと
>私は考えています。
>
>
>>これと同じ様なスタイルを無数に、家族生活(理解者の中で)に取り入れれば、接触は良くなる傾向が期待できるのではないでしょうか?
>
>とりあえず、テーブルを運ぶのはうまくなるかもしれませんね?
>でも、他に応用がきくかというと、
>きかなかったりするのが、この障害です。(^_^;)

なんだか、そんな気がしてきました。
でもがんばりますね。

>その子にもよりますが、
>テーブルを「息を合わせて運ぶ」ということに、
>相手を気にしながら、テーブルの上のものにも配慮しながら、
>自分の位置を確認しながら
>などなどを、理屈で本人に説明して、
>理屈から本人が行動に移せる…なんて場合もあります。
>(健常児なら、体で覚えることを…)
>
>
>と、私は思うのですが、
>私は専門家じゃないですので、ご参考までに気にとめておいてくださいね。

はい。ありがとうございました。
他の方からも返信が入っていますが、昼休みが終わりそうです。
仕事に戻ります。また、夜にでも返信致します。(ペコリ)

[#27311] Re:接触だとすれば、回路は存在するか?
 シャクレ ホームページ  - 08/7/30(水) 17:37 -

引用なし
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   ▼めえめえさん:
>▼シャクレさん:
>コメントをありがとうございます。
>
>>そこで、思ったのですが、もしも接触という事であれば、経験により接触が良くなる傾向が期待できるのであればと思ったのです。
>
>スイッチの接触(周囲との相互の関りのインターフェイス部分)は、
>確かに、丁寧にフィードバックを繰り返すことなどで、強化できる
>可能性はあるとは思っております。
>
>しかしうちの場合、周囲に他者がいること、自分の言動が他者に影響を
>与えること自体が、理解できるときもあれば、理解できないときもある、
>という状態をスイッチの接触で表現しています。
>
>共同の作業や遊びを通して「他人の気持ちを読み取る」練習をするのは、
>定型発達なら可能だしたやすいことでしょう。
>でも、SILVERさんのおっしゃるとおり、テーブルを運ぶこと
>(または共同で作業するあれこれ)は上手になるかもしれないけれど、
>だからといって別の場面で「他人の気持ちを読み取る」スキルに一般化
>することは、少なくとも現段階では飛躍があり過ぎると感じています。

めえめえさん。こんばんは。
やはり、上記を読んでも、伝わったようで伝わっていない。
判断のは合っているけど、行き着く手順の理解には至らない。

・・・・このあたりを、十分に理解していないと自分も子供も疲れそうですね。

[#27312] Re:接触だとすれば、回路は存在するか?
 シャクレ ホームページ  - 08/7/30(水) 17:44 -

引用なし
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   ▼明子さん:
>横から、すみません。
>ちょっとズレたレスになってしまうかもしれませんが。
>
>他者を意識されることについては、なるべく興味のあることや好きなことを利用する、日ごろから親の側でできるだけ意識して、他者を意識させる働きかけ・言葉かけをするようにしています。
>
>ウチは同性の兄弟で二人で遊ぶ機会が多いので、その中で、ケンカをしたときなどは、両方に注意しています。
>例えば、上の子が使ってるものを下の子が勝手に取ってしまったときは「『貸して』と言って、『いいよ』と相手が言ってくれたらもらうんだよ、勝手に取ったら相手の子は嫌な気持ちになってしまって、遊びたくなくなっちゃうときもあるよ」と言い聞かせてます。
>そのような言葉かけの繰り返しで、相手の気持ちを意識させることがある程度はできるのではないかと思います。
>
>また、相手の行動が読めず失敗することも上の子は特に多いですが、これも我が家の場合は言葉による注意で対処してしまってる面が多いですね。

このような方法が妥当なのでしょうね。
子供が応用が効かないことに、こちら側が注意しないといけませんね。
とりあえずは、家族では、家族の理解があれば、解決できることは少なくはなさそうです。問題は、理解者がいない社会でも通用するように、そのうちになっていけるかどうか。・・ですね。

>体で憶えさせる方法だと、なかなか応用が利かないように思うのですが、頭の中に周りを見なければいけないという気持ちを植えつけていくと、成長に伴って自分で少しづつ工夫していけるようになるのでは?と考えているのですが…。
>
>もちろん、それと平行して体で覚えさせる工夫もしていったほうがいいでしょうね、ウチはなかなかそれができてないかもしれないです。
>
>>食事が、朝昼晩で三回、前後ですから、一日に6回の経験が出来ます。
>>しかも規則正しく、その行動は、やってくるのですから、ASの子もストレスなく、その行動が始まる事を納得できます。
>
>発達障害の子もいろいろですから…できれば、楽しい体験から、他者を意識させられたらいいな、と考えています。

私も、「楽しい」これが一番の原動力だと思います。

>もちろん、テーブル運びは一例なんだろうと思いますが、これを一日6回毎日繰り返したら、テーブル運びはうまくなると私も思うんです。
>ですが、それで周りを関わるスイッチが入るかどうかは、ちょっと疑問です。
>
>我が家では最近ペットを飼いはじめて、子どもたちが夢中になってます。
>ペットは、意外に自分本位な行動が通用しない相手ですよね。
>ペットのやりたいこと・自由を妨げて、おもちゃにしていたら、嫌われてしまい、しまいには子どもたちから逃げるようになってしまいます。
>「相手の嫌がることをしない」などを実感させるのに、一役買ってもらっています。(そのほうがペットにとっても快適に暮らせますし)
>ペットにストレスを与えず仲良くするにはどうしたらいいか、を教え、子どもたちはペットに好かれたい一心で、自分の行動や感情をコントロールしようとしている様子が垣間見れます。
>それは人間相手でも通用することですし、いずれは応用もできるんじゃないかな?と期待してます。

なるほど確かにそうですね。
「楽しい」と「意のままにならない」が同時に経験できそうです。
参考になりました。

私の場合は、相手が18歳。答えが見つかりません。
じっくり考えていきたいと思います。

[#27317] Re:接触だとすれば、回路は存在するか?
 SILVER ホームページ  - 08/7/30(水) 18:33 -

引用なし
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   ▼シャクレさん:
>みいぽんさんから紹介して頂いた本の中に、こんなのがありました。
>「お母さんが、階段から転げ落ちて、それを見た子供が、ケラケラと笑った」
>これと、同じことが、我が家でも昔ありました。私はその時びっくりしました。

起こった事で、どうなるか?(先の見通し)より、
起こっている、今の事象だけをとらえて笑ったのだと思います。
テレビで、コメディアンが階段からころげおちたら、普通に笑いますよね?
あんな感じかな?と、私は思いました。

ころんだら相手がけがする。大事なお母さんが痛い思いをする。
という、先のことが想像できていないだけだと思います。
でも、お母さんが痛そうにしていたら、心配しませんでしたか?

お母さんが転んだことと、お母さんが痛いことを、
別々にとらえてるんじゃないかな?

そうした、Aという事象と、Bという事象がつながっている。
ひとつの連続した話しになっている。
というのが、「つながらない」のかもしれません。

>一方、ASでは、ある程度の年齢になっても、自分から他人を見ています。ですから視界には自分がいないのだと思います。ですから他人しか見てません。そして、自分と他人を相対的に考えることなく要求事項だけが単独で発信される。要求事項は、その時に本能的に自分が欲求するものです。
>

>だから、自分はきちんと出来ていないことなのに、相手には厳しく言えるのではと。「登場人物」に「自分」と「他人」がいれば、優先順位が本人の中で変わるはずなのですが、意識を外在化することが、脳の「しくみ」として難しいのか、慣れていないから難しいのか?

おっしゃってることが難しくて、私の頭ではよく理解できないのですが、
もしかして、私の言ってることと同じかな?
と、思いました。
私のブログに、持説を掲載してあります。(あくまで私個人の見方です)
http://blog.livedoor.jp/ohanami_road/archives/51178509.html
ご参考にどうぞ。

[#27338] Re:接触だとすれば、回路は存在するか?
 シャクレ ホームページ  - 08/7/31(木) 12:27 -

引用なし
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   ▼SILVERさん:
>私のブログに、持説を掲載してあります。(あくまで私個人の見方です)
>http://blog.livedoor.jp/ohanami_road/archives/51178509.html
>ご参考にどうぞ。

ブログ見ました。
私にとってとても参考になりそうです。
ゆっくりと最初から読ませていただきますね。

とっても良いブログです。

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