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▼ヒゲ達磨さん:
>他人の心模様が見えない感じられないわが身は、根底に恐怖心があり、それの暴発を何とか理屈付けで凌いでおります。逃げ出したいとかという衝動を、理屈という封印で閉じ込めております。
こういう心理はワタシにも理解できます。ワタシも当事者ですから。
根底に、ワタシの場合は自己に対する不安、不信があります。
ですから、理屈で防御する、パターンで自己を守るというのはあります。
しかし、ですからこそワタシはあらかじめルールを知っておきたい。
パターンを知っておきたい。
たとえば、ワタシも若いときは率直、つまり辛辣な物言いをしたり、
マイルールな振舞いをして、多くのひとを傷つけてきました。
でも、会話のマナーや行動ルールをパターンとしておぼえてしまえば、
こういった害を予防することができます。
>子供ですと、自分の理屈を上手に言い表されませんから、尋ねても答えが返ってくるとは限りませんが、その子にはその子なりの理屈があるのではないでしょうか。それをまず認める、受容する。その理屈に同意するか否かは別にして、まず、言い分を認める、その子を人間としてまず認める。そうすれば、認められることでその子の心が落ち着いて、少し開く。そこから支援とか教育が始まるのではないでしょうか。
その通りだと思います。
まずその子と信頼関係を築くのが先決でしょう。
信頼関係が築けていないと、親子といえども話が通らない、主治医と患者
でも指示を守れない、という例も見てきています。
しかし、一方では”理由”を探るあまり、表現が上手にできない子供や人に
問い質したり、様子を見たりしていたずらに問題を長期化させ、パニック、
暴言や感情の爆発を引き出すこともあるようです。
ワタシは頭ごなしに「これがルールだから守れ」と強要することを
主張しているわけではなく、「これがルールです」と淡々と伝えることが
自己コントロールの主導権を与える、守るべきルールを守る(それによって
自他を傷つけることを防ぐ)チャンスにもなるのでは?と期待するものです。
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