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▼ヒゲ達磨さん、こんにちは。
小3の発達障害児の親で、私自身にも発達障害の傾向があるのではと思っています。
発達障害が遺伝性のものである可能性は、否定しません。
ですが、他の方も書かれてるように、遺伝だと決めつけることは今の段階では危険だと思います。
ヒゲ達磨さんのコメントを読んでいて、一番感じたのは、発達障害について否定的な認識を持っておられること。
でも、発達障害児の親にとって、今後大事なのは、子どもをどうやって育てるか、ということ。
原因探しではありません。
知的障害を伴わない発達障害の傾向がありそうな子は、ウチの子どもたちの同じクラスの中にも何人かいます。
幼稚園や学校から専門医への受診を勧められて、拒否した親御さんなど、気がつかない、気がつきたくない親御さんの姿を何人か見てきています。
その度に、気がついているけどカミングアウトしていない親の立場の者としては、複雑な気持ちになります。
私の場合、学校側には、はっきりと話をしていますが、あまり問題行動の目立たない子であるため、「大きな問題はないのに、わが子にわざわざ障害児のレッテルを貼ってる」少数派の親という目で見られている感じがします。
それくらい、親が気がつかないケースが多く、少し傾向がある程度の子は、かなりの数がいる、と感じています。
上の子が発達障害児で療育を受けており、下の子も、心配な点があったので、専門医を受診し発達検査しました。
多少視覚優位で検査結果にバラつきがあるように見えるのですが、医師からは「こういう子はこの年齢だとたくさんいる、経過観察の必要はなし、何か心配事があったらまた来てください」ということでした。
ですが、親としては、やはり注意して子育てしていかなければいけない子だ、と思っています。
下の子は一応定型発達の範疇に納まっていると判断されたのだろうと思いますが、親としては多少発達障害の傾向があることは否定しきれないと思っています。
(現在5才ですが、先日サリーとアン課題をやってみたらできませんでした)
ウチの下の子のようにわずかに発達障害の傾向があるかも?という程度なら定型発達の中に入れられてしまうでしょうし、もう少しその特性が顕著に出てる子でも親が否定的で認めなければ何の対策も取られないまま、成長していくのです。
発達障害児であるかどうかの見極めはとても難しいと感じています。
そんな中で、比較的早い時期に発達障害の存在と出会えて、幸運な親だと私は思っています。
今親の私にできることは、最低限の社会性を身につけさせ、社会から否定されない子に育てること。
発達障害児として産まれたことに否定的な認識を持たない子に育てること。
できないをできるようにするよりも、できることや可能性を探して自覚させ、それを大事にして自尊心を持てるようにすること。
このようなことなどを意識して、子育てしています。
>子供の件と私の体験から「発達障害者支援法」による発達障害の早期発見と支援の施策に賛成します。子供の件から「発達障害の症状の発現後」ではなく発現前に検出が望ましいと思います。今回の研究で採り上げているリンパ球・白血球の遺伝子検索でその可能性が見えてます。
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>人の共感力、他人の心を感じる力の発達は、生後8か月頃の、母親(相手)の指さしに反応して指された方向を見る反応、10か月頃の視線追従に始まり、2 歳6 カ月頃でアンとサリーの誤信念課題に幼児は約74%正答するようになるそうです。保育園、幼稚園の段階での発達支援は、「発現後」の支援では、子供の内分泌系障害でいえば知的発達の遅れが目立ってから投薬と同じではと私は思います。望ましいのは新生児段階で検出し、発達支援を行うこと。新生児段階でのリンパ球・白血球の遺伝子検索で検出が可能になる。この遺伝子検索は胎児段階でも可能になります。
早期発見・早期療育はもちろん大事だと思います。
ですが、現時点で言われている早期発見は乳児での発見ではなく、早くても1才以降の幼児期の発見だと認識していますし、早期療育とは、感覚統合訓練やSSTなどのことで、投薬は対処療法的な使い方しかされていないようで、治療はもちろんなされていません。
1才未満でたとえ発見されたとしても、親としてできることはほとんどないのでは?と思います。
1才未満でもある程度の反応でわかる場合もあるでしょうが、現時点では診断されるとしてもほんのごく一部のお子さんだと思います。
私の想像に過ぎませんが、1才前後という早い時点で診断が降りるのは、比較的重い発達障害のお子さんが多く、知的に問題のないASの子はほとんどスルーされると思います。
ウチの子の時代は、健診を行う保健所の保健士さんや小児科医でさえも、発達障害に対する知識・認識は、発達障害児の親以下でした。
今はわかりませんが、以前よりマシになったとしても、その親子をフォローするまでには追いついていないのが現状ではないかと思います。
仮に、胎児期・乳児期に診断する検査ができるようになったとしても、未熟な母親の心配を煽るだけになってしまうと思います。
1才未満で発達障害児と診断されていたら、ショックと不安でなかなか立ち直れなかったかもしれません。
歩くことも食べることも自分ではままならない一番手のかかる乳児の時代に、五体満足にしか見えない子に障害児のレッテルを貼られて、子育てしていくのはかなり母親としてかなりツライことだと思います。
現実は、苦労と努力を人一倍重ねながらも、ちゃんと社会生活を送れる人が中にはたくさんいるのに、あまりにも早い段階での診断が必ずしも親子にとってよいものとは思えません。(発語がないなど重度の場合は別かもしれませんが)
発達障害の原因ははっきりとこれしかない、という段階まで研究が進み、発達障害が完治する治療法が確立されないかぎりは、こういう研究結果は参考程度に留めておいたほうがよいと思います。
それより、大事なことは、先に書いたような幼児期以降の発達障害児の早期発見・早期療育や、ヒゲ達磨さんのような成人の発達障害者へのサポートです。
子どもの療育体制や成人へのサポートのシステムもまだまだ整ってないですね。
また、発達障害に対する正しい認識を社会に広めることもまた大事だと思ってます。
現時点では、(療育ではなく)治療して治すこと、妊娠前後の段階で発達障害児の出現を減らすことを検討するのは、発達障害そのものを否定しているように感じてしまいます。
発達障害の周辺にいるものとして、そういう感覚に正直違和感を覚えます。
ご自身がASであり障害児の親としては同じ立場であるヒゲ達磨さんには、発達障害児の親にはこんな考え方をする親がいるということを知っていただければと思い、コメントさせていただきました。
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