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▼ニートさん、こんにちは。
>ただ考えてるだけですよ。頭でなくして魂が何かに出会うという事それが考える事に思えます。考えるとは物と親密に交わる事です。物と親密に交わる人は何もしていなくても労働しています。
うーん、ニートさんの感覚は独特ですね。
大雑把な私には、難解です。
ウィキペディアで「労働」を調べてみました。
「労働(ろうどう)とは、人間が道具を用いて対象にはたらきかけ、人間にとって有用で価値のあるものをつくりだす行為である。
また、商品としての労働力は、肉体や頭脳を提供する代わりに、賃金を得る行動であるとも定義される。賃金を得ない活動はボランティアと呼ばれる。」
有用で価値のあるものを作り出す行為だとすれば、ニートさんの考えも間違いではないのですね。
ですが、お金がないと病院で診てもらえないように、現実的にはお金がないと困ることが多いんですよね。
それに、賃金を得るための行動を誰も取らなくなってしまうと、社会として成り立たなくなってしまうということは、おわかりですよね?
自分のためにも、社会のためにも、「賃金を得るための行動」は必要ではありませんか?
「商品のように」ではなく、労働とは商品そのものなんですね、ウィキペディアを見ると。
抵抗を覚えるのはしかたがないことだと思いますが、労働とは商品そのものであるという事実は誰にも変えられないことなんですよね。
だとしたら、納得行く行かないの問題ではなく、自分を変えるしかないのではないかな?と思います。
誰にも変えられないものを受け入れることは、アスペルガーとは関係ないと思います。
まず「誰にも変えられないこと」だと気づくことが必要で、それを受け入れようとする気持ちが大切だと思います。
もう少し自分自身を見つめなおしてみたらいかがでしょうか?
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