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>社会に適応する努力をするということは、ノーマルになる努力を惜しまない
>ということ。
>裏を返すと没個性化を薦めると言うこと。
>それによって失われるものは計り知れないと思います。
決してそんな事はないと思います。
社会への適応の仕方は人それぞれで、そこには必ず人の個性というものが
反映します。
何か得る物はあっても失う物ははほとんどないと思いますし、もし本当に
失ったのだとしたら、それはその程度の取るに足らない個性だったという
事です。
>ただ発達障害というマイノリティの立場で、且つ精神障害という
>マイノリティを持っている人間が多様性の容認も出来ず、具体的概念の
>存在しない『普通』という枠に固執してしまうのはとても勿体ないような
>気がしました。
>もともと人間は違った個体であり、認めあえればそれでいい。
>自分を認め、他人を認め。
>ASだろうがADDだろうがLDだろうがそれ以前に人。
「ASだからADDだからLDだから、あなたを認めない」という人は基本的には
いないと思います。
嫌われてるのは障害そのものではなく、その障害から派生する相手に
不快感を与えるような特徴、或いは迷惑をかけるような特徴が嫌われてる
わけで、それらの特徴をひっくるめて無条件に相手に認めて欲しいと要求
するのは、不遜な態度と言えるのではないでしょうか?
自分側の多様性を相手に認められたいのなら、同様に相手側の普通さにも
出来る限りの配慮をするという事も大切なのではないかと思います。
>前置きが長くなりましたが、現在発達障害のお子さんがいらっしゃるご
>父兄の方は今後の支援のあり方、現状の問題点・不満点、改善して欲しい
>箇所等どの様に思っていらっしゃるのかお聞かせ頂ければと思いました。
私は独身なのですが、一つ述べさせて頂きます。
今の発達障害支援で一番問題だと思うのは、「発達障害は子供のもの」と
いう考えが根強くて、生涯にわたるサポートが必要という発想がほとんど
ないという事です。
例えば、本屋や図書館に行っても、発達障害関連の本は小児科のコーナーに
置いてありますし、そのほとんどは子供の発達障害を扱った本ばかりです。
特にADHDに至っては、大人になれば自然治癒するという考えが未だに医師の
間では主流です。
つまり、学校にしてみれば就学中無難に過ごせればあとはどうなろうが関係
ないというわけです。
しかし現実問題、発達障害で本当の壁にぶち当たるのは社会人になってから
ですので、生涯にわたる一貫したサポート体制が作られない限り、本当の
意味で発達障害者が救われる事はないんじゃないかと思います。
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