|
▼penpen様
御返信有難うございます。
>
>> 以上の通り、私なりに物事を徹底的に考え抜こうと試みてみました。けれども、余り一事に拘泥すると、自らが「大成」出来ないという見本になってしまったような気もしないでもないのですが。
>
>はは、おかしいですね。
>この一文……。わかっていながらついこだわることってありますよね。
>
>不正を見抜く目を持っていてもそれを正しく伝えることばは
>わたしたちのものではないかもしれません。
我ながらしつこいという自覚を持ってはいますが、絶えざる思考とは全くの対極を成す、極めて無思慮にして判断停止を常とする鈍感な人間という問題に今なお拘わずらっております。今まで説明してきたような人物(X)が実際に存在するだけでなく(本人は本気で哲学研究に従事していると思い込んでいる様子です)、また、このような性格の者を好んで傍に置きたがる人物も往々にして居るという現実に対して、どうしても目を閉ざすことが出来ないのでいるのです。
私は元来人付合いがかなり悪い方で、大学院在学中は二三度しかXと三分以上に亘る会話をしたことがありませんでした(その内の一回、本当に立腹したことがあります)。当時の私はXについて、精神的に受動的にして極めて平板、出来合いの言葉を直ぐに鵜呑みにするという程度の印象しか有していませんでした。要するに私は、Xは精神的にどこか欠けていると感じており、また交際も事実上無かったのですが、指導教授はXを殊の外可愛がるだけでなく、その副官格の助教授と他の大学院生達も、何かの機会にXと一緒に出掛けたり、ことある毎に酒席(Xは全く酒煙草を嗜みません)を共にしていた様子でした。その頃私の二人の友人は、Xの挙動の「無邪気さ」と「従順さ」についてよく面白がって話の種にする一方、私の「常識」の無さ、とりわけ通常の「社会的通念」に対して真っ向から挑むような態度(又は社会的危険の認知能力の欠如)を咎めたり酒の肴になどにしていました。
その後の数年間私の方では、職探しと度重なる解雇、更に他の土地への移住と自己の課題の追求等で頭が一杯でしたので、たまにかつての友人達と顔を合わせる機会があっても(その際Xも大抵連れて来られました)、Xの人物については殆ど忘れかけていました。また暫くしてXが指導教授の後任として専任教員に採用された件についても、私の同窓生達は何も語らず、又Xに対する態度にも殆ど変化がみられなかったので、Xに私の知らなかった長所があったのかという考えが少し頭を過ったのですが、やはり不審の念を持たざるを得ませんでした。
さて、今から六年前の夏、Xが私が住んでいる土地に立寄った際、Xから連絡があっただけでなく、私の方でもXの人物をよく確かめてみたいという気も起ったので、数回顔を合わせてみることにしました。その結果というと、Xにはかつて私が予感しなかった側面など全くなく、但し下品と無礼に繋がる無知と無思慮さは私の予想を遥かに越えるということということでした。このような人物と数年以上常時接触を保ったり、研究と教育上の同僚として遇するなどというのは、まさに私にとって想像と忍耐の限度を越える以外のなにものでもないので、かつての同窓生達に対して問合せを始めました。その頃になると彼等はXとの交際を事実上打ち切っていたのですが、指導教授とその取巻きの回し者という嫌疑に全く無縁な私の質問に対しても、なかなか返答が捗りませんでした。漸くある程度時間が経ってから、彼等は私の疑念と観察を全て首肯したのですが、その様な躊躇する態度については、単に学科の支配者を慮ってというだけでなく、彼等の感受性と思考力の萎縮を垣間見たような気がしたのです。
ところで、私にとって何とも理解し難いのは、幾年にも亘ってXと定期的に会っていた人々が、その人格(精神構造)を知らずにいたか、乃至はそれについて目を閉ざそうとしていたことに存します。かなり後になって、それについての驚愕を自らに対して誤魔化そうとはしなくなっても、それがかつての指導教授とその副官への怒りや、このような人物を通用させる学界の在り方への疑念とはなっていかないのは、私としては極めて歯痒いとしか言いようがありません。けれども、若しかしたら彼等はXを言うに足らない無害な人物として見做していた、初めから本気で相手にするつもりは無かったというだけだったのかも知れません。そして結局のところは、その様な自己と他者に対する真剣さの欠如が仇となったということになるのでしょうか。
それにしても不思議なのは、何故私は彼等のような芸当が初めから出来なかったのか、自分の直感(つまり一瞬の印象)を誤魔化せなかったのか、X並びに当時の助教授と関わりあいになろうとしなかったのか(要は雑談する気すら起きなかったのか)ということなのです。
漸く最近になって、私の感受性は常人より一桁分鋭敏であるが故に(芸術的表現力など一片も持ち合わせていないので、それまでは時折ある程度意識するという以上ではありませんでしたが)、もはや自己の印象を抑圧することが出来ず、更にそれを土壌とする自らの考えを社会的通念に合せて修正するか捨て去る気に全くなれないのであると確信するに至りました。だからこそ、今まで通常の社会生活が殆ど送れなかっただけでなく、つまるところ何を考えているのか分からない奴と思われて、他の人達からも嫌われ通しであったのも、これによって遂に説明し得る様に思われるのです。
|
|