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お返事くださってありがとうございます。
>私の勝手な憶測で申し訳ないのですが、医療機関の多くは「自閉症」を子供の一過性の慢性病みたいに捉えているように感じられます。それはこのフォーラムの過去ログを見れば一目瞭然のことです。もちろんそれらが大人の「自閉症」を相手にしない理由のすべてではないでしょうが、…
私のようにもう40才も過ぎた者が診察を受けても今の生活に(表面上は)問題がないとすれば特別な診断など必要ない、とこれまでの精神科受診の経験から、されているような気がします。
>でも、2次障害として鬱状態などを発生することは非常に多く、現在これらの治療を受けられているのであれば、続けても一向構わないと思います。
私の場合は鬱状態のような感じはないと思います。どちらかと言うと「落ち込む」という経験自体がほとんどないのです。私の中での問題は憤りと怒り、みたいなもののように感じています。
>確定診断が下りないことについて、「自閉症」かどうかはっきりしない、いわゆる「グレーゾーン」の人については、貴方がコメントされているようにASであるかどうかがアイデンティティにも関わってくる問題だと思われます。(確定診断の出ている人にも、ASであることが弁解のネタになっていやしないだろうか、という悩みは当然のように付きまとっています)
そうなんです、自分のアイデンディディというのですか、何か名前をつけてくれたら安心するんじゃないかと思えます。
>実はASの当事者(グレーゾーンも含む)は、案外人懐こい人が多いので、コミュニケーションに悩む事の多い我々には意外に感じることがあります。
>そういった人たちも案外我々の視線を離れたところでいろいろ悩んでいるのかもしれませんね。
実は昔からそうなんですが、人付き合いのことでは外で問題を感じたことは全然ないんです。友だちとの間で感情のもつれがあるとかイジメられるとか何かマイナスなことで気に病んだりとかは無かったです。基本的に人のことはどうでもいいと思っているので気にもならないのかも知れないですが。
ただ、今でもそうですが、外の世界はうまく回るのに家族の中ではかなりしんどかったです。
両親共にとても温和で(人からも「優しいご両親でいいね〜」とよく言われました)祖父母もとても可愛がってくれました。
それでも何がどう、とは分からないんですが家族と接している時の方が疲れていたように思うのです。
他のところに書いたようなサングラスのエピソードもあるのですが、しょっちゅう髪の毛の中に虫がいるような耐えられない感覚がして井戸端へ行って頭から水をかぶったり、日がな一日手ばかり洗っている私を「ヘンな子だね〜」と笑って見ていた家族のことを「どうして信じてくれないんだろう」と思ったりしていました。
(うらむとかの感情はなかったです)
>「解離性障害」というのを御存知ですか?
>私も最近になって知ったタイプの2次障害なので、情報が不足していますが、多重人格になって収拾が付かなくなるなどの症状が表れるそうです。(詳しくはWeb検索で)
これは「24人のビリーミリガン」という小説の多重人格というものでしょうか。
読んだことがあるのですが、「へえ〜変わってるなあ、でも何か眉唾ものだな」と思っていました。解離性障害というのを調べてみたのですが、ほとんど意味が分からなかったです。言葉が難解で、というより実感として共感するような内容ではなかったです。(アスペルガーについて読んでいると「あーそうそう!分かる分かる!」と思うのですが)。
自分が自分でない時がある、とか記憶が途切れる、という経験は無いように思います。
オタクな時も派手な時も「自分だ」という意識はあるつもりではいます。
>メンタル系の病気や障害は、ほとんどが慢性病なので、一朝一夕には症状は改善しません。
>しかしこれは裏を返せば、急激な症状の悪化もほとんどありえない、ということを意味しています。
それもそうですね。もう長年問題になってきたこと、症状としては一時的に悪くなっても(錯乱があってもずっとある訳でもないですし)必ず通常に戻りますし。
>例え治療には進展が見られなくても、関連知識を身に着けるということで進歩はあります。治療を受けている限り、後戻りしているように感じてもすべてがマイナスということはありえません。
今現在は通院はしていないんです。目に見える成果がないと通院する気力がなくなってしまって・・。
止めてしまうのでなくマイナスになることは無いと信じてたまにでも受診した方がいいのかもしれないとは思っています。
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