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こんにちは、秋桜さん。レス、ありがとうございます。
▼秋桜さん:
>うちの母は精神的にかなりハイパーな人間なので、干渉がすごかったですね。今まで仕事で色々なお母さんにあってきましたが、そういう点に関しては「うちの母よりすごい人って会ったことがない」と断言できます。
>でも今考えると「過ぎたるは及ばざるが如し」という諺の通りで、かえって母親の行動に振り回されて「自分が何をしたかったのか」よく分からなくなっていました。
私は、「ちゃんと形で表現してきたら拒否・反抗という手もあったろうに、こんなやり方されたら、抵抗のしようがない。卑怯だ。」と、全てがわかりかけた頃思っていましたが、実際表現されても、秋桜さんのお母さんのようだったら、きっと抵抗できなかったなぁと思いました。
なぜか、道のど真ん中に、ドーンと置いてある、大きな岩のイメージが出てきました。(^_^;)
>専門用語では「ファンタジー」と言われる世界ですね。私は小さい頃夢を見たことがなくて、布団の中で色々人物設定をして空想していました。
>やっぱりこういう世界って必要ですよね。現実が辛いからファンタジーに浸れる時間がないと耐えられませんよ。
「ファンタジー」・・・他の人にも言われたことあります。
私には、現実の方がファンタジーのようでした。というか、今もそうなんですが・・・。中学からつい最近まで、マンガの主人公が、別個の人格を持ち、私が心理的に追い詰められると出てきてサポートしてくれたり、インナーチャイルドも、やはり別人格で、その行動を見てると可愛く、楽しかったりしました。
じゃ病気かといえば、確かに離人様、多重人格様ではあっても、コントロール可能で、私にとって助けになる幻覚・幻視・幻聴(と言うにはリアルすぎるのですが・・)のみで、プラスはあってもマイナス面は一切なく、病気とも言いがたく・・・。
感謝こそすれ、困ることは全くありませんでした。
不思議なことにイジメが下火になってきて、そこそこ社会性も身に付いてきた中学校3年生前後からファンタジーは消えて行きました(その代わりすごく現実主義的になりましたけどね)。
必要がなくなったんですね。ファンタジーがなくても、自分の力で現実に対処できるし、できるという自信も備わったのですね。
私は、これからです。親に費やしていたエネルギーを、自分の成長のために使っていきたいと思います。
>お母さんは二重の要求を出していたんですね。お母さんの本音は「私を見て!私の言うことを聞いて!」という要求があるのですが、それを隠して「大人ならこう言う」という建前のメッセージを発しています。こういう二重メッセージを出され続けると子どもは混乱してしまいます。そしてブルースカイさんは子どもの立場にもかかわらず、お母さんの意図を読む、という本来なら親がするべきことをやっていたんだと思います。随分無理をしていたんですね。
ああ、その言葉・・・、インナーチャイルドのワークの時、「私を見て!私を感じて!私はここにいる、わたしはここにいる、ずっとあなたの傍にいる・・・。私を見て、私を感じて、私は、あなたの傍にいるのに・・・」って、口をついて出てきたんです。今の私に向かっての言葉でした。
初めて出てきたときには、「何かして欲しいことある?」と聞いたら、キッとこちらをにらみつけて「じゃ、死んでよ。」と言われ、ワーワー泣いてしまいましたでも、そのうち、向こうから「私を見て、私を感じて・・・」って擦り寄ってくるようになって・・。それから、自己嫌悪や自己処罰をしなくなりました。
>こういうやり取りを交流分析の世界では「ゲーム」と呼んでいます。ゲームにはパターンがあり、そのパターンをすると人間は不快な気持ちになりながらも安心するという奇妙な心理状態になります。でも何も交流がないよりはましだし、小さい頃からの心の癖でそういう行動を引き出してしまうのです。
それ、わかります。
友人と繰り返してきました。誰が見ても優等生で、人気者タイプの子に好意を持ち、なぜか、息苦しいほどべったり近寄ってこられ、依存され、壊れたのかと思うほど子供還りされて、こっちが引くと、猛然としがみつかれ、恐くなってぶち切りをしてしまいました。今から思うと、まさに「ゲーム」でした。
そのパターンを客観視し、巻き込まれないような形で抜け出すことで問題は解決すると言われています。
私が自己主張するようになったら、すごい怒りのメールが着て、長年のしんどい関係が、見事に切れたことがありました。自分が変われば、付き合う人も状況も変わるということを実感しました。
私の母もずーっとこういうゲームをやっているし、今も続けています。しかも心理学の勉強をしていて交流分析の勉強もしているはずなのに、自分のことになると全然客観視できないみたいです(私には強要してきたくせに、と思うのですが仕方ないんでしょうね)。
親子はねぇ・・・。
私も、母が生きていたら、とてもこんなこと考えられなかったと思います。
>一人の時はマイペースでもいいのですが、相手がいる時は「分からない」「今考えているから」と言うと相手も安心すると思います。
そうですね。
自分のためであり、相手のためでもありますね。私も、そうしていこうと思います。恥ずかしいことでも、隠すことでもないですものね。
ありがとうございました。
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