|
こんにちは、Chiquititaさん。
▼Chiquititaさん:
>私の場合は、親の過保護もかなり以前からウザく感じていましたが、振り払うだけ神経が据わっていませんでした。しかし気が付いたときには、親の過保護は結局親の都合によるものだったのではないのか、という思いだけが残りました。
私は、家庭の中に居る時、状況を客観的に見られなくて、ウザく思う自分が悪いのかと、勘違いしていました。本の中に「現在の、親と、自分の状態を比べてみるとよく分かる。」と書いてありました。
私の為と苦労してるはずの親は生き生きしており、それだけ手をかけられたら幸せなはずの私は、息苦しくて窒息しそうで喘いでいました。
「これはおかしい」と感じ始めました。
>大学生になっても社会人になっても「恋愛禁止」だなんて、こんな常識外れな親もいまどき珍しいです。
うふふっ、私の親は、「この子は男性嫌いなんです!」と、片っ端から縁談断ってましたね。(実際そうなんですが、率先して断ることもないだろうに、と思ってました。)
>>>>だから、私は今こうして元気に茨城で生活していることに関しては、神様に対しては感謝することはできても、両親に対する感謝の気持ちが湧きません。
離れてみると、鳥瞰図を見てるみたいに、自分の家族の生の姿が見えてきますよね。Chiquititaさんは、家にいながら、それに気付かれていたということは、精神的には、ずっと早くに親離れできていたんですね。その分、葛藤も大きかったでしょうね。
>でも茨城での生活も4ヶ月になろうとし、私自身、遅まきながら親父やオフクロのマリオネットでないことを少しずつ実証しています。
親が思っているほど、自分は弱い存在じゃない。1人で生きていけないような人間じゃない。私も、1人暮らしを始めて、やっと自分を肯定できるようになりました。
自己選択、自己責任の重さを感じることもありますが、それを支えるだけの力が自分にあることが分かり、うれしいです。
親の人生は親に返し、自分で歩いてもらうしかありません。
子は、自分の人生を、自分で歩く。
当たり前のことなのに、その当たり前のことが、なんと難しかったことか・・・。
これからですね!
自分の人生、思いっきり楽しみましょうね。
|
|