|
▼いさなさん:
この掲示板の管理人をしている秋桜です。療育経験のある当事者で、成人後は言語聴覚士になって支援者として医療現場などで働いてきました。
夫は当事者なので、当事者、支援者、家族という立場で生活しています。
>障害があるということは家族や友人以外の他人にとっては健常者より価値がないということです。
昨日からいさなさんの書き込みをずっと見ています。他の方に対して助言をしているつもりなのかもしれませんが、ずいぶん棘のある書き方をされている印象を持ちました。
今まで苦労されてきたのでしょうが、その苦労やストレスをこの掲示板の参加者にぶつけるのは筋違いです。それは相手のことを思いやるように見せかけた八つ当たりです。
いさなさんが思いやりを表現したいのでしたら、「他人に知らず知らず迷惑をかけてしまったし、それに気づいた時にものすごく自己嫌悪に陥った」「自分と同じ失敗をしてほしくないのです」といったもう少し客観的に書くようお願いします。
それができないのでしたら、この掲示板に書き込みをするのはやめてほしいです。
価値があるかどうか、というのはその人が決める問題です。意見を述べるのは自由ですが、その考えを「〜すべき」と他人に押し付けては議論は成り立ちません。
私は障害があるからと言って定型発達(いわゆる健常者)より価値がないとは思いません。幼い頃から色々な障害のある人に会ってきました。就職してからはさらに支援者としてことばやコミュニケーション、食事指導や家族支援をしてきました。
色々な人の出会いは今の私を育ててくれたとても大切な宝物です。それに障害の有無は関係ありません。
もちろん障害のある人たちはたいていの方より何倍も手間も時間もかかる人たちです。私も発達障害の当事者である夫と11年暮らしていますが、時折どうしようもない気持ちになって「離婚しようか…」と思わず口にしてしまうことがあります。
夫は「とてもいい人」ですが、こういうことを口にしない限り私が追い詰められた気持ちになっていることになかなか気づきません。知らず知らずに私を物のように扱っていることで私を傷づけていた、と知るまで時間がかかります。
でも、障害がある人でも接し方を工夫することで少しずつ気づいて学習するんです。それは仕事や夫との暮らしで実感しています。ただものすごい手間と根気が必要です。
そういう手間が嫌、という人にとっては確かに障害のある人は社会の中では足手まといだと思ってしまうのでしょう。ただそういう価値観の中で社会が疲弊しているのもまた事実だと私は感じています。
この3,4年はビジネス関係の人とお付き合いしていますが、定型発達の人もコミュニケーションに悩んでいる人は多いです。そしてシステムを変えたい、と考えている会社の人もいます。今までコミュニケーションについて学んだことがないから、案外私が「それって当り前では?」と思うことに意外と気づかれていないことも多いです。
大抵の人は無意識に、かつ何となくやってそれなりにできているからいざ意識的にやろうとすると、とても苦労されています。
そういう方に発達障害の話をすると皆さんとても関心を持って聞いてくださいますし、一様におっしゃるのは「人として接する、というコミュニケーションの基本姿勢については定型発達だろうと発達障害だろうと変わらないことも多いね」ということです。
|
|