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さらに横から失礼いたします。
「自閉とは自開だ」と誰かが言っていたのを思い出しました。
定型であれば、相手を自分の鏡と見立ててその相手という鏡の像に映る自分の姿が心地よく感じられ続けるような反応を提供し続けます、なぜならそれに快感原則があるからです。
自閉の場合は何らかの形でこの快感原則がおそらくうまく働いていないため鏡の像が相手にとって心地よいものばかりでなくてもお構いなしに映し出してしまうものだと私は考えています。
白雪姫の魔法の鏡であるならば、白雪姫がいても「王妃様が一番美しい」といい続けられるのが定型なら「あんたより白雪姫のほうが百倍きれいだよ」といってぶっ壊されるのが自閉だということです、なぜならこの場合は王妃は自分が世界で一番美しいという回答を期待してそれをもらえるものだと確信しているからです。
いない当人のことをとやかく言うのはなんですが、その観点から見るといさなさんの発言はまさに白雪姫の鏡でいうなら後者の鏡であり、彼女の発言からは私は否定的とかそういったものよりも現実としてそのようなことがある、というある種の別の側面から見た事実のような気がします。
ただ、自閉の人で問題なのは「自分もまた誤解する側である」ということを認識していないことでしょう。
定型であれば無意識に「誤解し誤解される」といいうことがある程度できています。
であるから「流す」ことができるのであり、「空気を読む」ことができるのであり、そこのところを取り繕って鏡を映しあうことを優先します。
自閉の人の場合はそこの原則が成り立たないため、では相手も正直に鏡を移したらどうなるかというと案外すんなり聞いてもらえるものではありません。
おそらく私の今のコメント読む方によってはあまりよい気持ちはしないでしょうが、私はそれを認識して書いております。
別に私はいまここで他の方にとって映したい像を写しているわけでなく、言いも悪いもない地点からものをいっているので。
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