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こんにちは。コメントありがとうございます(^O^)/
▼ネーブルさん:
>>・自閉圏のひととのコミュニケーションは難しいですか?
>
>相手の方の趣味や好きな事を共有しているときは、難しいとは感じません。そして相手の方の感覚や生活の具体的なことを聞くのは難しくないし、とても楽しく感じます。私の周囲には、饒舌に話す人も、ほとんど単語しか語らない人も居ますが、新鮮な情報として「教えてもらっている」という感覚で、性差も年齢差も忘れて、個人対個人の会話になるのが良いです。
>
>ただ、こちらのことを理解してもらいたいとなったとき、非常に難しいと感じる時が多くあります。
>相手の認知や気持ちの中に入れてもらえない、という寂しさを感じます。
>特に、共感とか同調を求めたとき、理屈や分析で返されると「言っていることは理解できるが、感情的に
>満足できない」というストレスは感じます。
具体的で率直なご意見、ありがとうございます。
共感や同調は、実はワタシも苦手な分野です。
「理屈や分析で返す」のも、やっちゃうなー。
自分も共感や同調してほしいときに理屈や分析で返されると
ストレスになるくせにね。
実は、自分が共感や同調をほしいときがある、ということは、
この掲示板に出入りするようになって初めて自覚しました。
それ以前は、唯我独尊じゃないけど、他者に共感してほしいという
感覚が自分にはない、と思い込んでたのですね。新鮮な発見でした。
>>・コミュニケーションしてよかった、と思うことはどんな所ですか?
>
>それはもう、視野が広がったという点です。
>障害にかかわらず少数派の方の視点や感覚は、モノゴトを考えたり判断する上でとても新鮮で大切な視点を持たせてくれるものだと思います。
そうですね。
少数派の視点や立場が想像できると、かなり視野が広がりますよね。
ワタシ自身もアスペルガーという点では少数派ですが、他の点では
多数派に属する面もあるので、自分の感覚や判断が当り前と思い込まない
よう気をつけなくては、と思います。
(そうは言っても”理解”に難があるので、偏った自己判断してしまう
クセはなかなか自分だけでは修正が利かないのが悩みのタネですが)
少しワタシの感覚を述べると、定型のかたがた、あるいは多数派の
かたがたは議論をしたがらないな、という印象を受けます。
それはもしかしたら、共感がベースになっているからかな、という気も
します。共感はもらえたら嬉しいですが、それと道義的な規範やマナー、
たとえば議論の場のルールとは別物ではないのか?と思うのです。
もっとも定型/非定型にかかわらず、訓練不足なだけかもしれません。
万一裁判員に選ばれたら、ワタシは診断書でもなんでも出して全力で
辞退したいです。だって、情状酌量の意味がわからないんですもの。
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