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発達心さん、はじめまして。コメントありがとうございます。
>コミュニケーションをとるときは、必ず勘違いをしていないか確認をとっています。わからないときも同じです。人の表情とか、微妙な変化をつかんでやりとりしないといけないので、大勢の人と話すときは、疲れ果ててしまいます。
勘違いはワタシも多いので… あ。
だからコミュニケーションが苦手という意識が抜けないのかもしれません。
基本的に、自分に信頼がおけない感じです。
大勢の人と話すのはワタシも苦手ですね。第一顔がおぼえられないし。
>人との会話は、対立ではなく協調なのでは?と思っています。。
ごめんなさい、協調ということがよくわかりません。
何かの仕事とか目的が一緒であれば協力はできますが、会話で協調する
というのは、相手の話に合わせるということでしょうか。
>やはり、自閉圏の私独特の感じ方とか、価値観があるのでそれが理解されないことですね。
>最近は、それが、健常非健常問わず、あたりまえだと感じるようになりました。
なにか悟りの境地に至られたようですね。うらやましい限りです。
体調のいいときは、ワタシも理解されないのはあたりまえと思えます。
自分だって、他の障がいを持つひとの感じ方や価値観はなかなか
理解できないですから。
以前、テレビなどで日本に滞在する外国人が、さまざまな日本の
「ワカラナイ」風習にツッコミ入れるのが流行りましたよね。
自閉圏の感じ方や価値観も、ひとつの異文化と思ってもらえるといいな、
なんて思います。
>>・コミュニケーションしてよかった、と思うことはどんな所ですか?
>
>会話を楽しめたことですね。意見を押し付けることもなく、また人の意見に左右されることもなく、ただ純粋に。。疲れますけど。。
うーん、純粋に会話を楽しむというのは難しいですね。
ほどほどの距離感がもてると、会話が楽しめるのかもしれませんね。
自他の境界が曖昧と指摘されたことがあるのですが、この「ほどほどの
距離感」というのが難しいです。正直言って、互いに影響を及ぼし合わない
程度の会話なら、何の意味があるのだろう?と思ってしまいます。
しかし「ほどほど」を心掛けて会話を楽しめるようになりたいです。
大変に参考になりました。ありがとうございます。
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