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温室さん、お久しぶりです!コメントありがとうございます。
>対人関係で難しいと思っている事は、趣旨から外れてしまうことが多い事です。
>一番伝えたい事は伝わらず、違う箇所で討論になってしまうと、難しさを覚えます。
…ははは、このスレッドなんかもいい例ですね?(^^;
確かに、細かい点にコダワルと、全体の趣旨を見逃しがちですね。
>「定型」という言葉に敏感で、それだけで嫌悪感を持たれる方が多いように思います。、
>「上から目線」と言われるのも「定型」をつける付けないでは差が大きいように思います。
>なので最近では、そんなデメリットを背負うのであれば本末転倒なので、
>そういうことは無しで本題に入った方が、相手に変な先入観を持たれないで良いのではないか?
>とさえ思うことがあります。
うーん…嫌悪感…
えーと、定型とか自閉とか、レッテルの元で意見交換しようとすると
レッテル自体に対する先入観から、意見そのものにも先入観を持って
しまいがち、ということでしょうか。
>定型はあくまでも地球上に一番多い平凡脳なだけで
>物事をスムーズに何でも解決できる万能脳では無く、常に悩みもあったり、理解不能なことも個々に抱えていると思います。
>ただ情報認知、取捨選択、防御本能これらには敏感なので、これらが対人関係では大きく作用しているかもしれませんけど。
定型が万能脳であるとはワタシも思いません。
しかし自閉脳にとっての困難さの一因は、けっこう社会の仕組みが、
定型(というか健常)であることを前提としてできてる点です。
たとえば、学校ひとつにしても、「お友だちと仲良く」とか、
「積極的に授業中発言する」のがよいという価値観が、暗黙の了解として
あったりしますよね。
しかしそもそも「お友だち」の定義が理解できなかったうちの子などには
意味不明な(あるいは違った意味にとれる)めあてですし、
授業中に積極的に発言したら、私語ばかりでうるさいと叱られたり…。
「理解できない」ということをわかっていただけないと「反抗的」など
と誤解されたりするので、どうしてもくどくど説明しがちです(涙
>受け入れ態勢が広過ぎて、相手からは、距離感が近い、ウザイと感じてしまう方が多いのか
>また定型の悪い「まずは共感から」的な発想が、相手には不快感になるのかもしれないですね。
社交辞令や共感は、個人的には、大事だと思いますよ。
「ほどほどの距離感」がとりにくいとか、共感能力の多い少ないは、
定型・非定型を問わず、個人差があるのはわかります。
共感能力が極端に低いのは、それだけでは決して不幸ではなく、
脳が「そういう風にできてる」と受け止めてもらえたら嬉しいです。
馴れ、というか、経験を積むことによって変わってきたりしますので。
>なのでそういうことを理解すると、余計な社交辞令はそこそこに
>またこちらの自己主張(聞いて欲しい)もそこそこに
>相手の話には、言葉を選んで、直球で手短に伝えてみる。それが分かりやすいのではないか?
>分かり合えるのではないか?と思って話すよう心がけています。
そうですね。「短く」「肯定語で」、自閉症児に対する言葉掛けには
有効なテクニックですよね。
ワタシ思うのだけど、自閉症児や発達障害児に対する療育的な配慮って、
定型の多くの子にも有効じゃないですか。
地下鉄の乗り換え表示だって、色分けラインや数字の駅表示などは、
”視覚支援”や”構造化”そのもので、外国人にも分かりやすいけど、
一般の人にも分かりやすいでしょ?
このように、発達障碍児・者の感覚を知っていただくことは
ノーマライゼーションについての有効なネタになり得ると思うのですが、
そこらへん、定型の方々にとっては冗長に思えるのでしょうか…。
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